勝矢寿延

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

勝矢 寿延(かつや としのぶ、1961年9月2日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。元サッカー日本代表。元フットサル日本代表。

愛称 ガッチャ
カタカナ カツヤ トシノブ
ラテン文字 KATSUYA Toshinobu
国籍 日本の旗 日本
概要 勝矢 寿延, 名前 ...
勝矢 寿延
名前
愛称 ガッチャ
カタカナ カツヤ トシノブ
ラテン文字 KATSUYA Toshinobu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1961-09-02) 1961年9月2日(64歳)
出身地 長崎県
身長 175cm
体重 76kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1977-1979 日本の旗 島原商業高校
1980-1983 日本の旗 大阪商業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1991 日本の旗 本田技研 140 (6)
1991-1993 日本の旗 日産/横浜マリノス 45 (0)
1994-1997 日本の旗 ジュビロ磐田 99 (2)
1998 日本の旗 セレッソ大阪 14 (0)
通算 298 (8)
代表歴2
1985-1993 日本の旗 日本 27 (0)
1989  日本フットサル 3 (0)
監督歴
2000 日本の旗 セレッソ大阪U-13
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 1993年10月28日現在。
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人物

島原商業高校時代は全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。大阪商業大学を経て、本田技研工業に入社。センターバックとして活躍すると、1985年に開催された1986 FIFAワールドカップ・アジア予選香港戦でAマッチ初出場[1]。アジア地区最終予選の韓国戦の第2戦にも出場したが、0-1と破れ[2]ワールドカップ出場はならなかった。1987年にはソウル五輪のアジア地区最終予選まで進出したが、最終戦で中国に敗れ敗退。以降は代表を遠ざかったが、1991年に日産自動車へ移籍し存在感を発揮すると、新たに代表監督に就任したハンス・オフトによって代表に復帰。1992年のキリンカップ、アルゼンチン戦で約5年振りにAマッチ出場を果たし[1]、同年のアジアカップでも決勝のサウジアラビア戦を含む3試合に出場して優勝に貢献した。また1989 FIFAフットサル世界選手権フットサル日本代表として出場した。

1993年、Jリーグの開幕戦となったヴェルディ川崎戦にも先発出場[3]、同年7月17日にはJリーグオールスターサッカーに先発出場した[4]サッカー日本代表では、クラブと同じポジションであるセンターバック、もしくは右サイドバックの主に控えの立場であったが、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選の最終予選では都並敏史の故障により代役探しに苦戦していた左サイドバックとして、第3戦の北朝鮮戦に三浦泰年に変わって先発出場。未経験のポジションながら安定した守備で勝利に貢献[5][6][7]すると、第4戦以降も起用され、ドーハの悲劇で知られるイラク戦にもフル出場した[8]。なお、日本がアジア最終予選まで勝ち上がりながらも本大会出場を逃した3つの大会(85年W杯予選、87年五輪予選、93年W杯予選)で、そのすべての最終予選に参加した選手は勝矢と都並のみで、すべての大会で試合出場もしたのは勝矢のみである。

マリノスではレギュラークラスの選手であったが、1993年の後期になると出場機会を減らした。1994年、日本代表に復帰させ指導したオフトが監督に就任することとなったジュビロ磐田に移籍、11月19日、シーズン最終節の鹿島アントラーズ戦でJリーグ初ゴールを決めた[9]。同年、2年連続となるJリーグオールスターサッカーのメンバーに選出されていたが、怪我のため出場出来なかった[10]。ジュビロでの最終年は控え選手としてのプレーとなったが、1997年には2ndステージ優勝、Jリーグ年間チャンピオンにも輝いた。

1998年にセレッソ大阪に移籍、ファーストステージ開幕当初はレギュラーとしてプレーしたが、セカンドステージに入るとベンチを温める試合が増え、最終節のアビスパ福岡戦に後半開始から出場したのを[11]最後に現役を引退。C大阪のチーム統括部でコーチなどを歴任。2007年5月に強化部スカウト総括責任者に就任。2013年12月、C大阪の強化部長に就任した[12]

2015年2月10日、C大阪のサッカースクールのスクールマスターに就任した[13]

プレイスタイル

空中戦に強く、強靭な肉体を活かしたマンマークを得意としていた[14]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1984本田8JSL1部161
1985220
1986-87191
1987-8822130
1988-8918010
1989-9022221
1990-9121140
1991-92日産2620030
1992横浜M-J-600060
19932500010260
1994磐田2210010231
1995351-00351
199627013110411
1997261504020210
1998C大阪151400000140
通算日本J 1382231
日本JSL1部 1606
総通算 2988
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JSLオールスターサッカー 4回出場(1987年、1988年、1989年、1991年)

その他の公式戦

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 27試合 0得点(1985年 - 1993年)
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1985200020
1986403070
198760100160
1988000000
1989000000
1990000000
1991000000
19929050140
19936060120
通算 270240510
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出場

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No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1985年09月22日香港の旗香港 香港○2-1森孝慈ワールドカップ予選
2.1985年11月03日大韓民国の旗ソウル 韓国●0-1ワールドカップ予選
3.1986年07月25日マレーシアの旗クアラルンプール シリア○2-1石井義信ムルデカ大会
4.1986年08月01日マレーシアの旗クアラルンプール マレーシア●1-2(延長)ムルデカ大会
5.1986年09月20日大韓民国の旗大田 ネパール○5-0アジア大会
6.1986年09月22日大韓民国の旗大田 イラン●0-2アジア大会
7.1987年09月02日タイ王国の旗バンコク タイ△0-0オリンピック予選
8.1987年09月15日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ネパール○5-0オリンピック予選
9.1987年09月18日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ネパール○9-0オリンピック予選
10.1987年09月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 タイ○1-0オリンピック予選
11.1987年10月04日中華人民共和国の旗広州 中華人民共和国○1-0オリンピック予選
12.1987年10月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 中華人民共和国●0-2オリンピック予選
13.1992年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アルゼンチン●0-1ハンス・オフトキリンカップ
14.1992年06月07日日本の旗愛媛県愛媛県総合運動公園陸上競技場 ウェールズ●0-1キリンカップ
15.1992年08月22日中華人民共和国の旗北京 韓国△0-0ダイナスティカップ
16.1992年08月24日中華人民共和国の旗北京 中華人民共和国○2-0ダイナスティカップ
17.1992年08月26日中華人民共和国の旗北京 北朝鮮○4-1ダイナスティカップ
18.1992年08月29日中華人民共和国の旗北京 韓国△2-2(PK4-2)ダイナスティカップ
19.1992年10月30日日本の旗広島県広島県立びんご運動公園陸上競技場 アラブ首長国連邦△0-0アジアカップ
20.1992年11月01日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 北朝鮮△1-1アジアカップ
21.1992年11月08日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 サウジアラビア○1-0アジアカップ
22.1993年03月07日日本の旗福岡県東平尾公園博多の森陸上競技場 ハンガリー●0-1キリンカップ
23.1993年03月14日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アメリカ合衆国○3-1キリンカップ
24.1993年04月30日アラブ首長国連邦の旗ドバイ バングラデシュ○4-1ワールドカップ予選
25.1993年10月21日カタールの旗ドーハ 北朝鮮○3-0ワールドカップ予選
26.1993年10月25日カタールの旗ドーハ 韓国○1-0ワールドカップ予選
27.1993年10月28日カタールの旗ドーハ イラク△2-2ワールドカップ予選
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指導歴

  • 1999年 - セレッソ大阪
    • 1999年:チーム統括部スカウト担当[13]
    • 2000年:U-13監督[13]
    • 2001年7月 - 12月:チーム統括部強化担当[13]
    • 2002年:チーム統括部チーフスポーツディレクター[13]
    • 2003年 - 2004年:チーム統括部テクニカルディレクター[13]
    • 2005年 - 2007年:トップチームコーチ[13]
    • 2007年5月 - 2013年:強化部スカウト統括責任者[13]
    • 2014年:強化部長[13]
    • 2015年2月 - :サッカースクール スクールマスター[13]

出典

関連項目

外部リンク

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