鈴木寿 (競馬)
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1984年3月に美浦・尾形盛次厩舎からデビューし、同3日の中山第4競走4歳未勝利・ダービーコーラス(16頭中10着)で初騎乗[1]、11月10日の福島第1競走3歳300万下・ミトモスイセイで初勝利[2]を挙げる[3]。初勝利当日の第8競走4歳以上400万下では12頭中12番人気の関西馬ピースメーカー[4]で勝利して初の1日2勝[5]も挙げ、1年目の同年は3勝[6]をマーク。
2年目の1985年には12月14日・15日の中山で初の2日連続勝利[7]を挙げるなど5勝[6]、3年目の1986年には初の2桁勝利で自己最多の18勝[6]をマーク。
1986年には日高育成牧場で育った抽せん馬[8]のタイテエム産駒コーセイで新馬戦を8馬身差の圧勝[9]であっと言わせ[10]、いちょう特別はメリーナイスらに敗れたが[11] [10]、鋭い追い込みを武器に[10]3歳抽せん馬特別では単勝1.1倍の1番人気に応えて6馬身差勝利[12]。テレビ東京賞3歳牝馬ステークスからは増沢末夫に交代[13]したが、同馬は同年の優駿賞最優秀3歳牝馬に選出された[10]。
1989年には中山記念でコーセイに大崎昭一からの乗り替わりで3歳時以来の騎乗[13]を果たし、ホクトヘリオス・レジェンドテイオーを抑えて[14]9番人気ながら重賞4勝目[13]に導くと同時に自身唯一の重賞勝利[3]となった。安田記念でも騎乗して9着に終わったが、リンドホシ・ランドヒリュウ・サクラチヨノオーに先着[15]。5頭立ての新潟3歳ステークスではクリアトラース[16]、福島3歳ステークスではサンエイソロン産駒ダイワシーゲル[17]で共に3着に入った。
1991年には3月2日の中山で第3競走4歳新馬を青森産馬コウチポート[18]でツインターボの3馬身差2着[19]、第7競走4歳新馬をブルーフラールを母に持つブルーカナリア[20]で逃げて3着馬に5馬身差付けると同時に勝ち馬とアタマ差2着[21]に入った。7月7日の福島第8競走4歳500万下ではニチドウタロー産駒セントダンサー[22]で14頭中14番人気ながら勝利して枠連万馬券[23]を演出し、11月2日の福島第3競走3歳未勝利ではニシノライデン産駒セントライデンで逃げ切った[24]。
1993年にはサクラロータリー産駒セノエスワローで中山ダート1200mの新馬→500万下を連勝し、初めての芝で重賞のクイーンカップでは5着と健闘、クロッカスステークスではユキノビジンの3着に入った[25]。コウチポートでは中山ダート1200mの500万下で2勝すると、初めての芝で東京マイル戦の900万下を2着と好走し、ダービーデーの5月30日に行われた同条件の第7競走富嶽賞を勝利[18]。七夕賞では11番人気で8着[18]、カブトヤマ記念ではキョウシンマルゼンで13頭中13番人気ながらハシノケンシロウ・ヒダカハヤトに先着する6着[26]、テレビ東京賞3歳牝馬ステークスでは12番人気のイガノリリーで7着[27]と入着はならなかったが、1桁着順で全て人気を上回り、7年ぶり最後の2桁勝利で自己最多の14勝[6]をマーク。
1994年には吉永正人厩舎のサクラトウコウ産駒マルタカトウコウで500万下→900万下→アクアマリンステークス(1500万下)→栗東ステークス(OP)を全て逃げ切って4連勝し[28]、福島記念ではマッドネスオーでマイヨジョンヌ・ツインターボ・トーヨーリファールを抑えて2着[29]に入った。
1995年にはマッドネスオーで中山記念では12頭中11番人気ながらホッカイセレス・トロットサンダー・ホクトベガ・インターマイウェイを抑えてフジヤマケンザン・サクラチトセオーに次ぐ4着[30]、新潟大賞典ではアイリッシュダンス・スガノオージに次ぐ5着[31]に入り、9月10日の中山第12競走4歳以上500万下・セノエスワローが平地最後の勝利[32]となった。
1998年にはメジロマスキットを母に持つメジロシンドウ[33]で東京障害特別(春)では10歳馬ケイティタイガーのハナ差2着[34]、中山大障害(春)にはノーザンレインボー・ケイティタイガーに次ぐ3着[35]に入った。
1999年には9年ぶりの0勝[6]に終わったが、2000年3月11日の中山第5競走障害4歳以上未勝利ではレイズスズランで逃げ切って大差勝ちし[36]、2003年5月3日の東京第5競走障害4歳以上オープンでは父メジロマックイーン、母メジロマスキットのメジロシュナイダー[37]で通算100勝[38]を達成。
2003年6月21日の福島第5競走障害3歳以上未勝利・エーピーカラコルムで最後の勝利[38]を挙げ、2004年2月28日の中山第5競走障害4歳以上未勝利・ビジネスサイクル(13頭中5着)が最後の騎乗[39]となり、翌2月29日付で現役を引退[3]。