鈴木寿 (競馬)

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国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道
生年月日 (1962-07-28) 1962年7月28日(63歳)
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
鈴木寿
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道
生年月日 (1962-07-28) 1962年7月28日(63歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦・尾形盛次(1984年 - 1996年)
美浦・騎手(フリー)(1996年 - 2004年)
初免許年 1984年3月3日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2004年2月29日
2004年2月28日(最終騎乗)
重賞勝利 1勝
通算勝利 1575戦101勝
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鈴木 寿(すずき ひとし、1963年7月28日 - )は、北海道出身の元騎手調教助手

1984年3月美浦・尾形盛次厩舎からデビューし、同3日中山第4競走4歳未勝利・ダービーコーラス(16頭中10着)で初騎乗[1]11月10日福島第1競走3歳300万下・ミトモスイセイで初勝利[2]を挙げる[3]。初勝利当日の第8競走4歳以上400万下では12頭中12番人気の関西馬ピースメーカー[4]で勝利して初の1日2勝[5]も挙げ、1年目の同年は3勝[6]をマーク。

2年目の1985年には12月14日15日の中山で初の2日連続勝利[7]を挙げるなど5勝[6]、3年目の1986年には初の2桁勝利で自己最多の18勝[6]をマーク。

1986年には日高育成牧場で育った抽せん馬[8]タイテエム産駒コーセイで新馬戦を8馬身差の圧勝[9]であっと言わせ[10]、いちょう特別はメリーナイスらに敗れたが[11] [10]、鋭い追い込みを武器に[10]3歳抽せん馬特別では単勝1.1倍の1番人気に応えて6馬身差勝利[12]テレビ東京賞3歳牝馬ステークスからは増沢末夫に交代[13]したが、同馬は同年の優駿賞最優秀3歳牝馬に選出された[10]

1989年には中山記念でコーセイに大崎昭一からの乗り替わりで3歳時以来の騎乗[13]を果たし、ホクトヘリオスレジェンドテイオーを抑えて[14]9番人気ながら重賞4勝目[13]に導くと同時に自身唯一の重賞勝利[3]となった。安田記念でも騎乗して9着に終わったが、リンドホシランドヒリュウサクラチヨノオーに先着[15]。5頭立ての新潟3歳ステークスではクリアトラース[16]福島3歳ステークスではサンエイソロン産駒ダイワシーゲル[17]で共に3着に入った。

1991年には3月2日の中山で第3競走4歳新馬を青森産馬コウチポート[18]ツインターボの3馬身差2着[19]、第7競走4歳新馬をブルーフラールを母に持つブルーカナリア[20]で逃げて3着馬に5馬身差付けると同時に勝ち馬とアタマ差2着[21]に入った。7月7日の福島第8競走4歳500万下ではニチドウタロー産駒セントダンサー[22]で14頭中14番人気ながら勝利して枠連万馬券[23]を演出し、11月2日の福島第3競走3歳未勝利ではニシノライデン産駒セントライデンで逃げ切った[24]

1993年にはサクラロータリー産駒セノエスワローで中山ダート1200mの新馬→500万下を連勝し、初めての芝で重賞のクイーンカップでは5着と健闘、クロッカスステークスではユキノビジンの3着に入った[25]。コウチポートでは中山ダート1200mの500万下で2勝すると、初めての芝で東京マイル戦の900万下を2着と好走し、ダービーデーの5月30日に行われた同条件の第7競走富嶽賞を勝利[18]七夕賞では11番人気で8着[18]カブトヤマ記念ではキョウシンマルゼンで13頭中13番人気ながらハシノケンシロウヒダカハヤトに先着する6着[26]、テレビ東京賞3歳牝馬ステークスでは12番人気のイガノリリーで7着[27]と入着はならなかったが、1桁着順で全て人気を上回り、7年ぶり最後の2桁勝利で自己最多の14勝[6]をマーク。

1994年には吉永正人厩舎のサクラトウコウ産駒マルタカトウコウで500万下→900万下→アクアマリンステークス(1500万下)→栗東ステークス(OP)を全て逃げ切って4連勝し[28]福島記念ではマッドネスオーでマイヨジョンヌ・ツインターボ・トーヨーリファールを抑えて2着[29]に入った。

1995年にはマッドネスオーで中山記念では12頭中11番人気ながらホッカイセレストロットサンダーホクトベガインターマイウェイを抑えてフジヤマケンザンサクラチトセオーに次ぐ4着[30]新潟大賞典ではアイリッシュダンススガノオージに次ぐ5着[31]に入り、9月10日の中山第12競走4歳以上500万下・セノエスワローが平地最後の勝利[32]となった。

1998年にはメジロマスキットを母に持つメジロシンドウ[33]東京障害特別(春)では10歳馬ケイティタイガーのハナ差2着[34]、中山大障害(春)にはノーザンレインボー・ケイティタイガーに次ぐ3着[35]に入った。

1999年には9年ぶりの0勝[6]に終わったが、2000年3月11日の中山第5競走障害4歳以上未勝利ではレイズスズランで逃げ切って大差勝ちし[36]2003年5月3日の東京第5競走障害4歳以上オープンでは父メジロマックイーン、母メジロマスキットのメジロシュナイダー[37]で通算100勝[38]を達成。

2003年6月21日の福島第5競走障害3歳以上未勝利・エーピーカラコルムで最後の勝利[38]を挙げ、2004年2月28日の中山第5競走障害4歳以上未勝利・ビジネスサイクル(13頭中5着)が最後の騎乗[39]となり、翌2月29日付で現役を引退[3]

引退後は奥平真治厩舎の調教助手となった[40]

騎手成績

脚注

外部リンク

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