鋸南町

千葉県安房郡の町 From Wikipedia, the free encyclopedia

鋸南町(きょなんまち)は、千葉県の南部に位置し、安房郡に属する

日本の旗 日本
都道府県 千葉県
概要 きょなんまち 鋸南町, 国 ...
きょなんまち ウィキデータを編集
鋸南町
鋸南町旗 鋸南町省
鋸南町旗 鋸南町章
1975年10月27日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
安房郡
市町村コード 12463-0
法人番号 8000020124630 ウィキデータを編集
面積 45.17km2
総人口 5,998[編集]
推計人口、2026年7月1日)
人口密度 133人/km2
隣接自治体 鴨川市富津市南房総市
町の木 ツバキ
町の花 ニホンスイセン
鋸南町役場
町長 白石治和
所在地 299-2115
千葉県安房郡鋸南町下佐久間3458
北緯35度06分40秒 東経139度50分09秒
鋸南町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

鋸南町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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南房総地域観光圏観光都市。海岸部は南房総国定公園に指定されている。日本三大水仙群生地[1]

地理

鋸山から望む鋸南町(保田)

千葉県の房総半島南西部、千葉市都道府県庁所在地)から約60キロメートル、東京都区部東京都都心)から60 - 70キロメートル圏内の位置にある。なお、東京都(特に東京国際空港(羽田空港))や神奈川県からは東京湾アクアラインを利用した場合が最短の移動距離となる。都市雇用圏における館山都市圏に含まれており、館山市への通勤率は10.4%(平成22年国勢調査)。

東京湾岸(内房)に面しており、内陸の山間部は房総丘陵を抱え北端の富津市との境に鋸山がある。南端には浦賀水道に突き出た西ヶ崎がある。海岸線は起伏に富んでおり、保田、勝山などの漁港がある。また勝山沖には浮島などの岩礁も多い。

町域

  • 東西10.75キロメートル
  • 南北7.3キロメートル
  • 総面積45.19平方キロメートル

地形

隣接する自治体

地区

  • 保田地区(北部)
    • 元名、保田、大帷子、小保田、市井原、横根、江月、吉浜、大六
  • 勝山地区(南西部)
  • 佐久間地区(南東部)
    • 中佐久間、上佐久間、奥山、大崩

歴史

源頼朝上陸地の碑

1180年治承4年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は箱根別当にかくまわれた後、現在の神奈川県足柄下郡真鶴町から出航。安房国平北郡猟島(現在の竜島付近)に到着。ここから再起を図った。起死回生の地として頼朝上陸の碑が現在竜島海岸に建立され、同地は千葉県の史跡に指定されている。

醍醐新兵衛定明により、関東初の商業捕鯨が行われた。夏季に、浮島付近を回遊していたツチクジラを捕獲していた[2]

鋸南町の保田は浮世絵師菱川師宣の出身地としても知られる。菱川家は師宣の父吉左衛門の代から保田に移り住んだが、師宣はのちに江戸に移り浮世絵師として活躍した。師宣の死後、その子孫は保田に戻り紺屋となっている。

風光明媚な保田海岸は明治時代夏目漱石なども訪れた房州海水浴発祥地であり、小林一茶徳富蘆花若山牧水獅子文六らが愛した文化人の里でもあった[3]

沿革

人口

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、10.37%減の8,022人であり、千葉県下54市町村の中で最も減少率が高い。

鋸南町と全国の年齢別人口分布(2005年) 鋸南町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 鋸南町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
鋸南町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 13,316人
1975年(昭和50年) 13,067人
1980年(昭和55年) 12,843人
1985年(昭和60年) 12,442人
1990年(平成2年) 11,696人
1995年(平成7年) 11,071人
2000年(平成12年) 10,521人
2005年(平成17年) 9,778人
2010年(平成22年) 8,950人
2015年(平成27年) 8,022人
2020年(令和2年) 6,993人
総務省統計局 国勢調査より

行政

町長

  • 白石 治和(しらいし はるかず)

立法

町政

  • 鋸南町議会
  • 定数:12[5]

県政

  • 千葉県議会
  • 選挙区:南房総市・安房郡選挙区
  • 定数:1名

国政

経済

産業

農業

花卉栽培と酪農が盛んである。日本三大スイセン生産地[1]。房州の花づくりは安政年間(1854年 - 1860年)に鋸南町元名地区に咲く日本水仙が、元名の花と呼ばれて船で江戸に運ばれたのが始まりと言われている[3]。また、南房総は食用ナバナの出荷日本一(南房総市・館山市を含む)でもある。

漁業

沿岸漁業や養殖漁業が盛んである。2019年の台風15号では、多大な被害を受けた[6]。1990年代後半からは沖合において、東京湾でも最大級となるサンゴの群落が確認されており、2010年代以降は海水温の上昇と共にそれらの面積が拡大するのに合わせて海藻林が消失しつつあり、アワビサザエなどが獲れなくなるなどの影響も発生している[7][8]

第2種漁港
  • 勝山漁港(かつやま - )
    • 竜島漁港
  • 保田漁港(ほた - )
    • 元名漁港
    • 大六漁港
第1種漁港
  • 岩井袋漁港(いわいぶくろ - )

工業

  • 採石業

姉妹都市・提携都市

日本国内

地域

公共施設

B&G海洋センター
  • B&G海洋センター - 温水プールアリーナ、ミーティングルームなどを完備
  • 鋸南町中央公民館
  • 鋸南町営弓道場
  • 岩井袋運動場(野球場)

医療

二次医療圏(二次保健医療圏)としては安房医療圏(管轄区域:安房地域)である。三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)。

医療提供施設は特筆性の高いもののみを記載する[9]

教育

中学校
  • 鋸南町立鋸南中学校
小学校
  • 鋸南町立鋸南小学校(2014年4月に勝山小学校と保田小学校を統合)
特別支援学校
児童養護施設
  • 東京都勝山学園

交通

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

源頼朝が竜島海岸に上陸し、再起を図ったという歴史的事実にちなみ、カワヅザクラに『頼朝桜』との愛称をつけ、住民相互の親睦を深めるための植栽事業を行っている。

名所・旧跡・観光スポット

寺社

百尺観音(日本寺
  • 日本寺 - 曹洞宗磨崖仏の大きさとしては日本最大級の日本寺大仏や百尺観音などがある。
  • 昌龍寺 - 曹洞宗。菱川師宣の家の檀那寺(ただし師宣の代までのもの)。
  • 存林寺 - 曹洞宗。菱川家の檀那寺。師宣の孫に当たる重嘉が叔父佐次兵衛の家を継いだことにより、以後菱川家の檀那寺となった。
  • 別願院 - 浄土宗。菱川師宣の墓所。今ある師宣の墓は近代になってから再建されたもので、本来の墓は元禄16年(1703年)に起きた地震による大津波で失われたという。
  • 保田妙本寺 - 日蓮宗興門八本山の一つ。

自然

江月水仙ロード
  • スイセン - 町内の各所で日本寒水仙が栽培されており、毎年12月から2月に「水仙まつり」が開催される。江月水仙ロード・をくづれ水仙郷・佐久間ダム親水公園などがスイセンの名所となっている。
  • 鋸山 - 鋸山登山自動車道が通る。
  • 大黒山 - 勝山海岸上にそびえる山。大黒山展望台がある。
  • 明鐘岬
  • 佐久間ダム湖親水公園 - ソメイヨシノ、花見場所として賑わう。
  • 安房温泉

海水浴場

保田海水浴場
  • 館山湾・浦賀水道沿岸(内房)
    • 勝山海水浴場
    • 大六海水浴場
    • 保田第一海水浴場 - 日本海水浴発祥の地。明治22年(1889年)、夏目漱石海水浴を楽しんだ。

博物館

祭事・催事

  • 水仙まつり
  • 水仙写真コンクール
  • 勝山の祭り

文化財

国・県指定文化財一覧[12]

さらに見る 番号, 指定・登録 ...
番号 指定・登録 類別 名称 所在地 所有者または管理者 指定年月日 備考
1 国指定 重要文化財(工芸品) 梵鐘(元亨元年在銘) 安房郡鋸南町元名184 日本寺 昭和51年6月5日 1口
2 重要文化財(古文書) 愛染不動感見記 日蓮筆 安房郡鋸南町吉浜453-1 妙本寺 昭和43年4月25日 2幅
3 県指定 有形文化財(歴史資料) 菱川師宣関係過去帳 安房郡鋸南町保田1933 昌龍寺 昭和60年3月8日 1帳
4 妙本寺聖教類及び関係資料 安房郡鋸南町吉浜453-1 妙本寺 平成20年3月18日 一括
5 記念物(史跡) 源頼朝上陸地 安房郡鋸南町竜島165-1 昭和10年3月26日
6 田子台遺跡 安房郡鋸南町下佐久間1536他 鋸南町 昭和29年3月31日
7 菱川師宣誕生地 安房郡鋸南町保田」 個人 昭和33年4月23日
8 記念物(名勝) 鋸山と羅漢石像群 安房郡鋸南町元名184-1 日本寺 昭和29年12月21日
9 記念物(天然記念物) 天寧寺の柏槙 安房郡鋸南町下佐久間3180 天寧寺 昭和14年12月15日
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文化

蟹殻掛け

千葉県安房郡鋸南町吉浜地区をはじめとする南房総の漁師町には、かつて「蟹殻掛け」(かにがらかけ)と呼ばれる魔除けの習俗が存在した。漁師の家の玄関口などに蟹の甲羅を吊るし、災厄を退けると信じられていたものである [13]

特に用いられたのはタカアシガニの甲羅で、その表面に墨で鬼面のような顔を描き、飾り付けた。決まった時期に行うものではなく、風で飛ばされたり破損した際に新しく作り直すという形式で継続された [13]

この蟹を「島村蟹」と呼ぶ伝承があった。これは享保4年(1720年)4月6日に細川高国が兵庫県尼崎で自害した際、その家臣・島村武文が殉死して海に身を投げ、その霊魂が蟹となったという説話にちなむとされる。この伝説は壇ノ浦の戦いで没した平家の亡霊が「平家蟹」となったとする伝承と類似している[13]

ただし現地では必ずしもその伝説を意識していたわけではなく、実際に用いられたのは「アシタカガニ」と呼ばれる水深50〜60尋(約90〜110メートル)あるいはそれ以上の深海に棲息する蟹であった。この蟹は比較的容易に入手可能であり、魔除けに適すると考えられたため、習俗として根付いたとみられる。

1980年代頃にはすでに衰退し、1983年時点の記録では「現在これを掛けている家は多くない」と報告されている[13]

出身有名人

参考文献

  • 『鋸南町史』(国書刊行会、1983年、341p)

脚注

関連項目

外部リンク

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