長屋順耳

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1874-02-03) 1874年2月3日
岐阜県大垣(現・大垣市
死没 (1951-08-19) 1951年8月19日(77歳没)
国籍 日本の旗 日本
ながや じゅんじ

長屋 順耳
生誕 (1874-02-03) 1874年2月3日
岐阜県大垣(現・大垣市
死没 (1951-08-19) 1951年8月19日(77歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学文科大学
職業 教育者官吏
テンプレートを表示

長屋 順耳(ながや じゅんじ、1874年明治7年)2月3日[1] - 1951年昭和26年)8月19日[2])は、東京外国語学校校長。女子学習院長宮中顧問官

岐阜県出身。1897年(明治30年)に東京帝国大学文科大学英文科を卒業し、大学院に進学した[3]1898年(明治31年)に第四高等学校教授となり、1904年(明治37年)から広島高等師範学校教授、1917年大正6年)から文部省督学官を務めた[4]1919年(大正8年)、東京外国語学校校長となり、1932年(昭和7年)に女子学習院長に転じた[4]1940年(昭和15年)に退官して、宮中顧問官となった[4]

栄典

脚注

参考文献

関連文献

Related Articles

Wikiwand AI