関口英司
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子供の頃の夢は怪獣博士であった[6]。
小学校時代から音楽教室に習いに行っていたという[6]。当時は親が習い事をさせたかったため、先に妹がエレクトーンを習いに行き、その講師がエレクトーン以外のことも教えていたため「じゃあ、お前も行ってみたらどうだ」といった感じで行っていた[7]。当初はアルトリコーダーを習っていたが、発声など講師がピアノで弾いていた音を聴いて聴いた音がどうなのかというのを五線譜に書いていくといったことをしていた[6][7]。
中学時代は当初は合唱部に入部したかったが、その時は9割女子で、男がいたかどうも少しよく分からないくらいで「女の子ばっかしのとこ行くの恥ずかしいじゃない」と思い、断念[6]。その頃も前述の教室に通っていた[6]。その時に「じゃあ、全然違う何がいいかな」と思い、友人が「卓球部に入る?」と言われ、「じゃあ、俺も」となり卓球部に所属していた[6][7]。その時は全くやる気がなく、普通の日常でも部活動はしていたが、やりたくなかったことから日曜日の練習試合には行かなかった[7]。
高校時代は合唱部に所属していた[6]。関口が通っていた高校は進学する数年前までは部活動がない学校であった[7]。関口が高校に進学する3年前くらいから部活動を始めており、高校時代の合唱部は人が少なかった[6]。関口が高校に進学した時は3年生が4人いただけで、2年生がおらず、関口を含めて1年生が3人で、合計7人ぐらいであった[7]。その後3年生が色々あって退部し、1年生が3人だけという合唱部になった[6]。最初に一回大会に出場した時は3年生を含め7人くらいおり、なんとなく勝ちになった[7]。しかし翌年の高校2年生の時に1年生が2人入部したが、すぐに退部[7]。その時に3人だけで合唱コンクールに出場した[6]。
俳優になったきっかけは「仕事をしたくなかったから」。「芝居をやってなかったら実家を継いでいたかもしれない」と語り、就職という選択肢が関口の中にあまりなかった[6]。まずサラリーマンという選択肢がなく、父は職人で周囲も職人が多く、その時にサラリーマンの知っている人物があまりおらず、「サラリーマンって何をする人なんだろう?」「分かんないなあ」「分かんないのはやりたくないなぁ」と思っていた[6]。高校卒業後、「じゃぁ職人になるのか」と思った時に、「なーんかそれもちょっと嫌だなあ」と考え、東京アナウンス学院[4]に入学[6]。勉強が嫌いだったことから大学に行くという選択肢も最初からなかった[6]。その時に演劇的なものには全く興味がなかったわけではなかったが、発声なども色々しており、声はそこそこ出るため、「だったらじゃあ声優っていうのはどうだろうか」という考えた[6]。本気で学ぶつもりはあまり無かったが、入学して2年でしていくうちに「これは面白いなあ」と思った[6]。声優の勉強もしていたが、声優科以外にも演技科や映像科など色々なものがあり、そういう人物たちが交流することもあり、在学中にも2回ぐらい舞台を経験[7]。学校主催のミュージカルや学院内オーディションのようなものもあり、それで「ちょっと受けてみよう」と思い、受けたところ合格[7]。その時に1年生にしてはそこそこいい役を貰い「舞台の方も面白い」と感じたという[6]。
その後、江崎プロダクション附属養成所を経て、1993年から江崎プロダクション(現:マウスプロモーション)に所属[4]。