関金温泉
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関金温泉湯命館 | |
| 温泉情報 | |
| 所在地 | 鳥取県倉吉市関金町関金宿 |
| 座標 | 北緯35度21分44.97秒 東経133度45分46.21秒 / 北緯35.3624917度 東経133.7628361度座標: 北緯35度21分44.97秒 東経133度45分46.21秒 / 北緯35.3624917度 東経133.7628361度 |
| 交通 |
車:米子自動車道湯原ICから国道313号を倉吉方面へ約35分 鉄道・路線バス:西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線倉吉駅より、日交バスで約35分 |
| 泉質 | 放射能泉[1] |
| 泉温(摂氏) | 40 - 62[1] |
| 湧出量 | 毎分337リットル[2] |
| 宿泊施設数 | 5 |
| 年間浴客数 | 23,410[3] |
| 統計年 | 2017[3] |
| 外部リンク | 倉吉観光マイス協会 倉吉観光情報 |
温泉街
歴史
開湯伝説は諸説ある。開湯年代を養老年間(西暦717-723年)とするもの[4]、延暦年間(782年-806年)とするもの(『日本鉱泉誌』)[2]、貞観12年(870年)とするもの[6]、元弘年間(1331-1333年)とするものがある[6]。
鶴が入浴しているところを行基が発見し、弘法大師が荒れ果てていた温泉地を整備したと伝えられる。発見者を弘法大師とする説もある。元弘年間の開湯説では、関金城主の山名小太郎が開湯したことになっている[6][注 1]。また、昭和初期の文献では、行基(668-749年)が発見し、一度廃れたが弘法大師(774-835年)が再興し、山名小太郎(14??-1489?年)が浴槽を設置した、となっている[8]。
関金温泉には、湯の美しさから「銀の湯」「しろがねの湯」との古名があり[4]、伯耆民談記にも「銀湯」として登場する。
江戸時代には、鳥取県中部と山陽地方を結ぶ備中街道(美作街道)上にあり、関金宿が置かれていた[9]。放射線が測定されるより以前の時代には「淡黄色の無臭の炭酸泉」とされている[10]。
鳥取県が入湯税を基に算出した温泉利用者数をみると、ピークは2003年(平成15年)頃で約34,000人が利用している[11]。その後低迷し2012年には約13,000人となったが、これを底に再び増加傾向となり2017年には約23,000人となっている[3]。1997年(平成9年)以前は利用者の算出方法が異なり、各自治体の申告数に基づく推計値だが、これに遵うとバブル景気の頃には年間40万人前後の利用客があった計算になる[11]。
