青春ファンタジア 菊池桃子 あなたと星の上で
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| 青春ファンタジア 菊池桃子 あなたと星の上で | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送方式 | 収録 |
| 放送期間 | 1985年4月7日 - 1988年10月9日 |
| 放送時間 |
日曜24:05 - 25:00 → 日曜23:00 - 23:55 → 日曜24:00 - 24:55 |
| 放送局 | ニッポン放送 |
| ネットワーク | NRN |
| パーソナリティ | 菊池桃子 |
| 出演 | 永田耕一(劇団スーパー・エキセントリック・シアター) |
| テーマ曲 | 星に願いを[1] |
| ディレクター |
田中厳美[2] 浅野啓児[2] 藤井正博[1] 他 |
| 提供 |
学生援護会(1985年) 渋谷ゼミナール(1986年) カルビー(1987年4月~同年9月、1988年)[3] |
『青春ファンタジア 菊池桃子 あなたと星の上で』(せいしゅんファンタジア きくちももこ あなたとほしのうえで)は、1985年4月7日から1988年10月9日まで、ニッポン放送製作により、NRN各局で放送されていたラジオ番組である。
放送終了後の動き
本番組がスタートする6か月前の1984年10月から同じニッポン放送で放送されていた『SONY Night Square 菊池桃子 桃子とすこし夜ふかし』が1985年3月で終了した後、放送時間を移動して放送枠を55分に拡大し、改めて本番組がスタートした。『桃子と少し夜ふかし』からは、本番組の初代ディレクターを務めた田中厳美の他、コーナーも『コメディ桃子』『青春日記』『桃子の星占い』と多くが引き継がれた。
ニッポン放送では55分番組だったが、ネットしていたNRN各局においては、30分の短縮版のものが放送されていた。
メインパーソナリティは菊池桃子で、最初は主に菊池の一人喋りで番組が進められていたが、途中1986年6月から、劇団スーパー・エキセントリック・シアターの永田耕一が共演者として加わった[2]。菊池が巨人ファン、永田がヤクルトファンということで、野球についてのトークも比較的多かった[4]。この他、菊池の愛犬の話も多かった[4]。
送られてきたはがきの数は、多い時で週に4,000通を数え、送り主は中学生から大学生が主だった。送り主の男女比は最初7対3程だったが、後に女性率が増えて6対4程になったという[1]。本番組からはがきを読まれるなどされたリスナーに送られるノベルティは『桃子をイメージしたカワウソの消しゴム』などがあった[1]。なおこれは、本番組中にカワウソが流行ったことから出来たものである(浅野ディレクターの時期に流行った)[2]。
この番組中でビートルズ特集をやっていたことがあり、その選曲は菊池自身がやっていた[5]。
オープニングテーマ曲は『BELLA NOTTE』(作詞・作曲:Peggy Lee & Sonny Burke)。エンディングテーマ曲は『星に願いを』で、最後は毎週「また来週、あなたと、あの星の上で逢いましょ。」の言葉とグッドナイトキスの音で終わっていた[1][注釈 1](「おやすみなさい」だった『桃子とすこし夜ふかし』からの慣習を引き継いだ)。
本番組はいつもは録音放送であったが、1988年10月9日の最終回は生放送で行われた。ニッポン放送局舎前には、この情報を聞いた約50人のリスナーが駆け付け、最終回放送を見守っていた[2]。
スポンサーは学生援護会(1985年)→渋谷ゼミナール(1986年)→カルビー(1987年4月 - 9月、1988年)[3]などと変遷。最終回のみ、「この番組は、健康とまごころをお届けするカルビーの提供で、日曜の夜と桃子を愛して下さった皆さんに、お送りしました」と読み上げられた。
2024年11月5日、『青春ファンタジア 菊池桃子 あなたと星の上で 2024』と題した特別番組を20時から21時まで放送した[7][8][9]。放送ではかつてのパートナー、永田耕一と電話を繋ぎ思い出話に花を咲かせた[10]。この特別番組は東海ラジオ放送、山陰放送、長崎放送、熊本放送、大分放送でも同時ネットされた。
2024年12月23日・24日、『青春ファンタジア 菊池桃子あなたと星の上で 2024』と題したトーク&ライブイベントが日本橋三井ホールにて開催された[8]。
放送時間
パーソナリティ
- 菊池桃子
- パートナー:永田耕一(劇団スーパー・エキセントリック・シアター)- 1986年6月から