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鶴見 (横浜市)

横浜市鶴見区の町 From Wikipedia, the free encyclopedia

鶴見(つるみ)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅周辺の地域名称。または、同区の町名[5]。現行行政地名は鶴見一丁目及び鶴見二丁目。住居表示実施済み区域[6]。なお、この項では、町名の鶴見について述べる。1980年(昭和55年)7月28日に廃止された鶴見町(つるみちょう)[7]についてもこの項で述べる。

概要 鶴見, 国 ...
鶴見
町丁
總持寺大祖堂
北緯35度30分19秒 東経139度40分21秒
国 日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川県
市町村 横浜市
行政区 鶴見区
人口情報(2026年(令和8年)3月31日現在[1])
 人口 3,139 人
 世帯数 1,725 世帯
面積([2])
  0.508 km²
人口密度 6179.13 人/km²
設置日 1972年(昭和47年)6月5日
郵便番号 230-0063[3]
市外局番 045(横浜MA)[4]
ナンバープレート 横浜
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概要 鶴見町, 国 ...
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地理

鶴見区中部、JR京浜東北線鶴見駅南西の丘陵地帯に位置する。北から北東にかけて主要地方道鶴見駅三ツ沢線を挟み寺谷一丁目および豊岡町、南東はJR鶴見線・東海道本線の線路を挟み鶴見中央五丁目および生麦五丁目に接し、南部の花月園跡は岸谷三・四丁目に囲まれる。西の一角は東寺尾東台が入り組み、北西は東寺尾中台に接する[5]。町の南部約1/3が一丁目、北部2/3が二丁目となる。区役所をはじめとする官公庁や商店街など鶴見区の中枢は、主に隣接する鶴見中央にあり、区の中枢ではない。

一丁目には、1087年に真言宗東福寺が開創[8]。1914年(大正3年)には東福寺の敷地に花月園遊園地が開園。1946年(昭和21年)11月に遊園地が閉園となったあと1950年5月に花月園競輪場がオープンしたが[9]、2010年に競輪場としての運営を終了。跡地は、隣接する岸谷四丁目のJFEスチール社宅跡とともに、防災公園および住宅地として再開発される[10][11]。

1575年(天正3年)に鶴見区寺尾にて開創した曹洞宗成願寺は、元和年間(1615年~1623年)に現在の鶴見二丁目に移転した[12]。石川県輪島市にあった曹洞宗大本山總持寺は1898年(明治31年)に火災により焼失。これを機に交通の便の良い関東に移ることになり、同じ曹洞宗の成願寺の敷地が選ばれた。總持寺は1911年に現在地に移転。成願寺はその東隣の豊岡町に移転した。鶴見臨港鉄道(現 JR鶴見線)には1930年から1942年にかけて本山駅が設けられ、参詣客でにぎわったが、鉄道の拡幅工事などで門前町らしい街並みは失われている[13]。總持寺の周囲には、学校法人総持学園による鶴見大学と短期大学部、附属中学校・高等学校、附属三松幼稚園および鶴見大学歯学部附属病院がある[5]。

面積

面積は以下の通りである[2]。

さらに見る 丁目, 面積(km²) ...
丁目面積(km²)
鶴見一丁目 0.174
鶴見二丁目 0.334
計 0.508
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地価

住宅地の地価は、2026年(令和8年)1月1日の公示地価によれば、鶴見1-7-19の地点で34万8000円/m²となっている[14]。

歴史

「鶴見」の名は鎌倉時代から室町時代にかけて「鶴見郷」の郷名に見られ、大山郷の別名を持つ[9]。地名学では「ツル」は河川の周囲、「ミ」は出入り変曲した地形に対し「~の周り」を意味する接尾語として使われる。鳥類のツルとは直接の関係はないと考えられている[15]。江戸時代に橘樹郡鶴見村が成立する。天保郷帳によると石高は655石余り、『新編武蔵風土記稿』によると江戸から5里あまり、東西9町余り、南北11町ほどで家数は120件であった[16][17]。 1889年(明治22年)4月1日に、鶴見村は生麦村、東寺尾村および馬場村の一部と合併して生見尾村となり、鶴見はその大字となる。生見尾村は1921年(大正10年)4月1日の町制施行の際に鶴見町となる。この頃は都市近郊の農地で「ツルミの赤茄子」と呼ばれるトマトが栽培されていた。1927年(昭和2年)4月1日に橘樹郡鶴見町は横浜市に編入、同年10月1日には区制施行により横浜市鶴見区の町名、鶴見区鶴見町となる。1972年6月5日に、鶴見町の一部から鶴見一・二丁目が新設され、同時に住居表示が実施された[18][6]。

鶴見区鶴見町の町域の変遷

横浜市に編入されてから耕地整理などにより数度にわたり、鶴見町は周辺の町と境界を変更している。1928年3月15日に上末吉町および市場町に鶴見町の町域の一部を編入[19]。1929年には東寺尾町と境界を変更するとともに馬場町の一部を編入[19]。1936年には生麦町と境界を変更するとともに東寺尾町の一部を編入[20]。鶴見町の一部を1937年に下末吉町、1939年に北寺尾町・東寺尾町に編入[21]。1959年に鶴見町の一部を東寺尾町に編入、翌年には東寺尾町の一部を鶴見町に編入した[22]。1967年5月1日に鶴見町の一部が生麦五丁目となり、生麦町の一部を編入[23]。1969年6月1日に鶴見町の一部が下末吉一・二丁目となり、下末吉町の一部を編入[24]。1972年6月5日に鶴見町の一部から鶴見一・二丁目、寺谷一・二丁目、東寺尾東台、諏訪坂を新設[25]。1979年7月23日には佃野町と豊岡町を新設[26]。残りの町域は1980年7月28日に鶴見中央一~五丁目となり、町名としての鶴見町は消滅した[18][6][27]。

世帯数と人口

2026年(令和8年)3月31日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。

さらに見る 丁目, 世帯数 ...
丁目世帯数人口
鶴見一丁目 1,167世帯 2,301人
鶴見二丁目 558世帯 879人
計 1,725世帯 3,180人
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人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

さらに見る 年, 人口 ...
人口推移
年 人口
1995年(平成7年)[28]
2,890
2000年(平成12年)[29]
3,010
2005年(平成17年)[30]
3,106
2010年(平成22年)[31]
3,581
2015年(平成27年)[32]
3,634
2020年(令和2年)[33]
3,490
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世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...
世帯数推移
年 世帯数
1995年(平成7年)[28]
1,477
2000年(平成12年)[29]
1,580
2005年(平成17年)[30]
1,715
2010年(平成22年)[31]
1,905
2015年(平成27年)[32]
1,873
2020年(令和2年)[33]
1,866
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学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年11月時点)[34]。

さらに見る 丁目, 番地 ...
丁目番地小学校中学校
鶴見一丁目4番35号(パラシオン鶴見)横浜市立豊岡小学校横浜市立鶴見中学校
5番〜6番25号
6番27〜33号
6番43号
横浜市立東台小学校横浜市立寺尾中学校
1番〜4番34号
4番35号(パラシオン鶴見を除く)
4番36号〜最終号
6番26・34〜36号
7〜13番
横浜市立鶴見中学校
鶴見二丁目1番横浜市立豊岡小学校
2番、3番横浜市立東台小学校横浜市立寺尾中学校
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事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[35]。

さらに見る 丁目, 事業所数 ...
丁目事業所数従業員数
鶴見一丁目 23事業所 269人
鶴見二丁目 24事業所 1,368人
計 47事業所 1,637人
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事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

さらに見る 年, 事業者数 ...
事業者数推移
年 事業者数
2016年(平成28年)[36]
48
2021年(令和3年)[35]
47
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従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

さらに見る 年, 従業員数 ...
従業員数推移
年 従業員数
2016年(平成28年)[36]
1,276
2021年(令和3年)[35]
1,637
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その他

日本郵便

警察

町内の警察の管轄区域は以下の通りである[38]。

さらに見る 丁目, 番・番地等 ...
丁目番・番地等警察署交番・駐在所
鶴見一丁目全域鶴見警察署鶴見駅西口交番
鶴見二丁目全域
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参考文献

  • 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年6月8日。
  • 横浜市市民局総務部住居表示課『横浜の町名』1996年12月。
  • 『県別マップル14 神奈川県道路地図』(第6版)昭文社、2016年、12頁。ISBN 978-4-398-62683-7。
  • 「鶴見村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ66橘樹郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763984/68。
  • “横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2022年9月6日閲覧。

関連項目

脚注

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Timelines

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