行衛
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歴史
江戸時代には北原村の飛地として行衛の名がみられる[4][6][7]。寛永10年(1633年)に北原村と合併するまでは独立した行衛村であった[8][9]。1889年(明治22年)町村制が施行されると大門村の大字となった。かつては武州鉄道が通っており、行衛駅が置かれていた。
→「北原 (さいたま市) § 歴史」も参照
- 1956年(昭和31年) - 大門村が戸塚村・野田村と合併し美園村になった際に美園村大字北原の小字となる[4]。
- 1962年(昭和37年) - 美園村が川口市に併合された際にふたたび独立した大字となった[4]。
- 1963年(昭和38年) - 大字北原を編入。
- 1984年(昭和59年)10月1日 - 行衛の一部が戸塚四丁目の一部となる[10]。
- 1989年(平成元年) - 住居表示実施により大字行衛の大部分が北原台一丁目 - 三丁目、および差間三丁目の一部となった[4]。
- 2008年(平成20年) - 大字行衛の一部について住居表示を行い、それぞれ一部を戸塚四丁目、北原台一丁目・二丁目・三丁目、差間三丁目としている[11]。
- 2014年(平成26年)3月1日 - 行衛の一部(現在の戸塚南五丁目23番地の大半と24番地が該当)と戸塚の一部から戸塚南 (旧行衛地区は戸塚南五丁目)が成立[12]。
地名の由来
世帯数と人口
小・中学校の学区
交通
施設
旧地名から採られた行衛公園などは北原台に属し、行衛には属さない。
- 見沼自然の家
- 芝川第一調整池(一部)