安行原
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安行原 | |
|---|---|
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| 北緯35度50分22.4秒 東経139度45分56.51秒 / 北緯35.839556度 東経139.7656972度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地区 | 安行地区 |
| 面積 | |
| • 合計 | 1.415 km2 |
| 人口 | |
| • 合計 | 9,608人 |
| • 密度 | 6,800人/km2 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
334-0057[2] |
| 市外局番 | 048 (川口MA)[3] |
| ナンバープレート | 川口 |
安行原(あんぎょうはら)は、埼玉県川口市の大字。郵便番号は334-0057[2]。また草加市に原町と称する町丁があり、旧草加町時代に安行原の一部を編入した経緯から、原町の地名がある。もとは江戸期より存在したひとつの原村であった[4]。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡谷古田領に属する原村で、古くは戦国期より見出せる足立郡のうちの原であった[4]。
- はじめは知行は旗本酒井氏および久永氏の相給[4]。
- 正保年間より知行は上野阿波守となるが、後に幕府領となる、その後一部が東叡山寛永寺領となる[4]。なお、検地は幕府領は1731年(享保16年)、旗本領は1695年(元禄8年)、寛永寺領は1750年(寛延3年)ににそれぞれ実施[4]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕府領(代官・佐々井半十郎支配所)および田村権左衛門の知行[5]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1873年(明治6年) - 地内の民家を仮用して原村学校(現、川口市立安行小学校)が創立される[6]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、安行、赤山領領家、原、慈林、北谷、苗塚、小山、花栗、藤八新田、吉蔵新田の8箇村2新田が合併し、安行村が成立。原村は安行村の大字原となる。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 地内に安行村立安行中学校(現、川口市立安行中学校)が創設される。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 安行村が川口市に編入され、大字原は川口市の大字となり、安行原に改称。
- 1957年(昭和32年)5月1日 - 川口市と草加町(現・草加市)との境界変更により、安行原の一部が草加町に編入、草加町安行原(現在の草加市原町)が成立。
- 1976年(昭和51年)2月19日 - 「安行原の蛇造り」が市指定無形民俗文化財に指定される[7]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[8]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 81〜84番地 | 川口市立安行東小学校 | 川口市立安行東中学校 |
| その他 | 川口市立安行小学校 | 川口市立安行中学校 |
交通
地域
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 旧高旧領取調帳データベース