1948年の急映フライヤーズ

From Wikipedia, the free encyclopedia

1948年の急映フライヤーズ
成績
レギュラーシーズン5位
59勝70敗11分 勝率.457[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 大川博
経営母体 東京急行電鉄
監督 苅田久徳(選手兼任、8月16日まで)
皆川定之(8月20日から代理監督)
« 1947
1949 »

テンプレートを表示

1948年の急映フライヤーズでは、1948年シーズンの急映フライヤーズの動向をまとめる。

この年の急映フライヤーズは、苅田久徳選手兼任監督の2年目のシーズンである。

当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 平均失点 開幕時監督
1948 レギュラー敗退5位597011.4573.183.90苅田久徳
1947 レギュラー敗退6位51653.4402.973.59苅田久徳
1946 レギュラー敗退5位47580.4483.974.74横沢三郎
1945 太平洋戦争の戦況悪化により休止

この年から東京急行電鉄大映との共同経営になったのに伴って、チーム名を「急映フライヤーズ」に変更。東急グループ総帥・五島慶太の公職追放で東急フライヤーズが混乱しているのに目を付けた映画界の風雲児・永田雅一中日ドラゴンズの内紛に巻き込まれて退団した選手を集めて大映野球を結成するが、一度はご破算となった。しかし、大映の永田社長は私財を投じて設立した大映野球と前述のフライヤーズを合併させ、東急の急と大映の映から一字を取って急映フライヤーズが誕生した。新球団名で今度こそAクラスをと意気込む苅田監督だが、肝心のチーム成績は7月時点で首位の阪神と13.5ゲーム差の7位に沈むと、成績不振もあり苅田監督は8月16日に休養。後を受けた皆川定之監督代行のもと、チームは8月後半以降巻き返したが、前半戦の借金を取り返せず5位に終わりAクラス入りはならなかった。シーズン終了後、大映が経営から撤退し、球団の名称を「東急フライヤーズ」に戻したため、「急映フライヤーズ」として戦ったのはこの年限りとなった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 田中幸男
2 皆川定之
3 長持栄吉
4 飯島滋弥
5 大下弘
6 谷義夫
7 清家忠太郎
8 吉江英四郎
9 苅田久徳
1948年日本野球連盟順位変動
順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位 南海-- 南海-- 南海-- 大阪-- 南海-- 南海-- 南海--
2位 大陽4.0 阪急6.0 大阪4.5 南海0.5 大阪4.0 巨人2.5 巨人5.0
3位 中日4.5 大阪7.0 阪急8.0 巨人6.0 巨人7.0 阪急11.0 大阪17.0
4位 大阪5.0 金星7.5 金星10.0 阪急7.0 阪急12.5 大阪11.0 阪急20.0
5位 阪急6.0 中日11.0 巨人13.5 金星7.5 大陽14.0 大陽13.0 急映24.5
6位 巨人6.0 巨人11.5 急映15.0 中日11.5 中日15.0 金星15.0 大陽25.5
7位 急映7.0 急映12.0 大陽15.5 急映13.5 金星15.5 急映20.0 金星25.5
8位 金星7.5 大陽13.0 中日17.5 大陽14.0 急映20.0 中日23.5 中日34.5
1948年日本野球連盟成績
順位球団勝率
優勝南海ホークス87494.640--
2位読売ジャイアンツ83552.6015.0
3位大阪タイガース70664.51517.0
4位阪急ブレーブス66686.49320.0
5位急映フライヤーズ597011.45724.5
6位大陽ロビンス61745.45225.5
7位金星スターズ60737.45125.5
8位中日ドラゴンズ52835.38534.5

[1]

できごと

  • 6月10日 - 対中日戦(後楽園球場)、大下弘宮下信明から2安打を放ち、試合は7対3で急映が勝つ。だが試合終了後、大下の使用したバットが規則違反の製である事が判明。
  • 8月26日 - 6月10日の中日戦で竹製バットを使用した大下弘に、罰金1000円(当時)が徴収される。

選手・スタッフ

表彰選手

出典

Related Articles

Wikiwand AI