1948年の中日ドラゴンズ

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1948年の中日ドラゴンズ
成績
レギュラーシーズン8位
52勝83敗5分 勝率.385[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 杉山虎之助
経営母体 中日新聞社
監督 杉浦清
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1948年の中日ドラゴンズ(1948ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1948年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、杉浦清選手兼任監督の3年目(1946年から監督代行を含む)のシーズンである。このシーズンから、「中日ドラゴンズ」と改称した。

当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 平均失点 開幕時監督
1948 レギュラー敗退8位52835.3853.103.82杉浦清
1947 レギュラー敗退2位67502.5733.452.69杉浦清
1946 レギュラー敗退7位42603.4124.575.58竹内愛一
1945 太平洋戦争の戦況悪化により休止
1944 レギュラー敗退4位13211.3822.314.34三宅大輔
1943 レギュラー敗退2位48297.6232.582.05桝嘉一
1942 レギュラー敗退7位39606.3942.623.09本田親喜
1941 レギュラー敗退6位37470.440
1940 レギュラー敗退5位58415.586
1939 レギュラー敗退6位38535.418

1946年に親会社の中日新聞社にあやかるべく、「中部日本」に球団名を変更するも翌年からドラゴンズのニックネームを入れ、最終的に戦後初の2位となったチームは中部日本を略して中日に変更。中日球場の完成までこの年巨人も使用する後楽園球場を本拠地にしてスタートした。開幕時は好調だったが、5月に5勝11敗1分、6月に6連敗などで4勝13敗と打って変わってBクラスに転落。夏場に復調するも、8月28日からまさかの11連敗で最下位が決定的となり、9月24日から6連敗。10月は10勝11敗1分と健闘するも、終盤はほとんど勝てず11月7日から5連敗で閉幕。最後は優勝の南海に34.5ゲームを、5位の急映に10ゲームも付けられて2年ぶりの最下位に転落し、杉浦監督は辞任して選手選任となり指揮権はこの年総監督だった天知俊一の手に委ねられることになった。投手陣はこの年巨人から移籍の近藤貞雄をはじめ服部受弘星田次郎などがローテを守ってチーム防御率もリーグ6位の2.99と健闘するも、先発陣で勝ち越したのは星田だけで、近藤は防御率2点台を記録するも7勝23敗で最多敗を記録し、清水秀雄が12勝17敗、服部が16勝19敗でそれぞれ負け越すなど打線の援護がない試合も目立った。チームは一進一退を繰り返しながらも徐々に戦力を整えていき、1954年の球団初優勝と日本一につながる。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 山本尚敏
2 茅野秀三
3 国枝利通
4 大沢清
5 杉浦清
6 水野良一
7 服部受弘
8 上林繁次郎
9 宮下信明
1948年日本野球連盟順位変動
順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位 南海-- 南海-- 南海-- 大阪-- 南海-- 南海-- 南海--
2位 大陽4.0 阪急6.0 大阪4.5 南海0.5 大阪4.0 巨人2.5 巨人5.0
3位 中日4.5 大阪7.0 阪急8.0 巨人6.0 巨人7.0 阪急11.0 大阪17.0
4位 大阪5.0 金星7.5 金星10.0 阪急7.0 阪急12.5 大阪11.0 阪急20.0
5位 阪急6.0 中日11.0 巨人13.5 金星7.5 大陽14.0 大陽13.0 急映24.5
6位 巨人6.0 巨人11.5 急映15.0 中日11.5 中日15.0 金星15.0 大陽25.5
7位 急映7.0 急映12.0 大陽15.5 急映13.5 金星15.5 急映20.0 金星25.5
8位 金星7.5 大陽13.0 中日17.5 大陽14.0 急映20.0 中日23.5 中日34.5
1948年日本野球連盟成績
順位球団勝率
優勝南海ホークス87494.640--
2位読売ジャイアンツ83552.6015.0
3位大阪タイガース70664.51517.0
4位阪急ブレーブス66686.49320.0
5位急映フライヤーズ597011.45724.5
6位大陽ロビンス61745.45225.5
7位金星スターズ60737.45125.5
8位中日ドラゴンズ52835.38534.5

選手・スタッフ

表彰選手

出典

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