1977年の日本ハムファイターズ

From Wikipedia, the free encyclopedia

1977年の日本ハムファイターズ
成績
パシフィック・リーグ5位
年間5位:58勝61敗11分 勝率.487
後期4位:27勝32敗6分 勝率.458
前期4位:31勝29敗5分 勝率.517[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 大社義規
経営母体 日本ハム
監督 大沢啓二
« 1976
1978 »

テンプレートを表示

1977年の日本ハムファイターズ(1977ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1977年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。

このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二監督の2年目のシーズンである。

当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 平均失点 開幕時監督
1977 レギュラー敗退5位586111.487
1976 レギュラー敗退5位526711.437
1975 レギュラー敗退6位556312.466
1974 レギュラー敗退6位49756.395
1973 レギュラー敗退5位55696.444
1972 レギュラー敗退4位63616.508
1971 レギュラー敗退5位447412.373
1970 レギュラー敗退5位54706.435
1969 レギュラー敗退4位57703.449
1968 レギュラー敗退6位51795.392
1967 レギュラー敗退3位65654.500

3年ぶりに最下位を脱出したこともあり、大沢監督は「今年こそシーズンを勝ち越す」と宣言し、投手陣はダブル高橋(高橋一三高橋直樹)に野村収、さらに広島からトレードで佐伯和司が加入した。前期は4位ながら勝ち越し、後期以降のAクラス入りが期待されたが後期に入ると負けが込むようになり、勝ち越しどころか借金3の5位で終了した。結局、高橋直が17勝(17敗)を挙げた以外は高橋一・佐伯がそれぞれ6勝、野村が5勝と期待外れに終わる。打撃陣は前年同様ウォルター・ウィリアムスボビー・ミッチェルの外国人コンビが打線を引っ張り、特にミッチェルは最後までロッテレロン・リーと本塁打王を争う活躍を見せた。他にも3割をマークした富田勝、正捕手・加藤俊夫のレギュラー陣、若手の岡持和彦が一定の成績をあげたが、それ以外の選手が低調に終わった。シーズン終了後、大沢監督は南海から柏原純一をトレードで獲得し、打線の強化を図ることになる。チームは前年と同じ順位ながらも借金を大きく減らし、1ケタにとどめたことが翌1978年のAクラス入りにつながった。この年3連覇の阪急には12勝12敗2分と健闘したが、4位の近鉄には8勝15敗3分と大きく負け越してしまい、勝率5割はならなかった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 富田勝
2 千藤三樹男
3 ウイリアムス
4 ミッチェル
5 上垣内誠
6 小田義人
7 加藤俊夫
8 中原全敏
9 菅野光夫
投手 高橋直樹
1977年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位 4月終了時 5月終了時 前期成績
1位 近鉄-- 阪急-- 阪急--
2位 南海1.0 近鉄0.5 南海1.5
3位 阪急3.0 南海3.0 近鉄2.5
4位 日本ハム5.5 ロッテ6.0 日本ハム4.0
5位 クラウン6.5 日本ハム8.5 ロッテ8.0
6位 ロッテ8.0 クラウン9.0 クラウン14.0
後期
順位 7月終了時 8月終了時 後期成績
1位 クラウン-- ロッテ-- ロッテ--
2位 阪急2.0 クラウン2.0 阪急0.5
3位 ロッテ3.0 日本ハム2.5 南海4.0
4位 日本ハム 阪急2.5 日本ハム7.0
5位 近鉄4.0 南海5.0 クラウン7.5
6位 南海6.0 近鉄6.0 近鉄8.0
1977年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝率
優勝阪急ブレーブス695110.575--
2位南海ホークス635512.5345.0
3位ロッテオリオンズ605713.5137.5
4位近鉄バファローズ596110.49210.0
5位日本ハムファイターズ586111.48710.5
6位クラウンライターライオンズ49738.40221.0

*優勝は前後期優勝チームによるプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定[1]

オールスターゲーム1977

ファン投票 選出なし
監督推薦 高橋直樹 高橋一三 加藤俊夫 ウィリアムス

できごと

選手・スタッフ

[2]

表彰選手

ドラフト

出典

Related Articles

Wikiwand AI