1960年の阪急ブレーブス

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1960年の阪急ブレーブス
成績
パシフィック・リーグ4位
65勝65敗6分 勝率.500[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 阪急西宮球場
球団組織
オーナー 小林米三
経営母体 京阪神急行電鉄
監督 戸倉勝城
« 1959
1961 »

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1960年の阪急ブレーブスでは、1960年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。

この年の阪急ブレーブスは、戸倉勝城監督の2年目(途中就任の前年を含む)のシーズンである。

前年優勝が期待されながらも大型連敗を繰り返して藤本定義前監督が辞任。打撃コーチから昇格した戸倉監督でもチームを立て直せず苦戦したが、最後は近鉄の内紛に助けられて辛うじて5位を死守した。戸倉監督2年目のチームはユニフォームに赤いラケットラインを追加、ビジターの胸文字ロゴを「Hankyu」に変更、そして帽子の鍔も赤に変更[2]、シーズン突入後大阪球場での南海との開幕戦に勝利すると、4月22日まで5連勝で開幕ダッシュに成功。しかしその翌日から5連敗し、西鉄との3位争いがしばらく続いた。それでも7月を18勝8敗、8月を15勝10敗1分で貯金15を稼いだものの、終盤は1つ勝ったら連敗の繰り返しが続き、9月28日からの7連敗で貯金がなくなったが10月9日の対西鉄最終戦に勝って何とか勝率5割で終えた。投手陣は米田哲也が22勝、梶本隆夫が21勝をあげて20勝投手を2人出し、それ以外にも安藤治久秋本祐作足立光宏がローテーションを守って奮闘しこの5人でチーム勝ち星の大半を稼いだが、打線の援護に恵まれない試合も目立った。打撃陣は中田昌宏ロベルト・バルボンらの活躍でチーム打率はリーグ4位とまずまずで、盗塁数もリーグ2位の105個を記録したが本塁打は優勝の大毎や2位の南海に引き離され、64本のリーグ最下位に終わった。

阪急ブレーブスの当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 打率 本塁打 本塁打率 盗塁 防御率 平均失点 開幕時監督
1960 レギュラー敗退4位65656.500.戸倉勝城
1959 レギュラー敗退5位48824.369.藤本定義
1958 レギュラー敗退3位73516.589.岩本義行
1957 レギュラー敗退4位71556.563.藤本定義
1956 レギュラー敗退3位88642.579.西村正夫
1955 レギュラー敗退4位80602.571.西村正夫
1954 レギュラー敗退4位74633.540.芥田武夫
1953 レギュラー敗退2位67521.563.浜崎真二
1952 レギュラー敗退5位49581.458.浜崎真二
1951 レギュラー敗退5位37518.420.浜崎真二
1950 レギュラー敗退4位54642.458.浜崎真二

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 人見武雄
2 本屋敷錦吾
3 滝田政治
4 中田昌宏
5 衆樹資宏
6 加奥隆三
7 バルボン
8 山下健
9 梶本隆夫
1960年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大毎-- 南海-- 大毎-- 大毎-- 大毎-- 大毎--
2位 南海1.0 大毎3.5 南海2.0 南海2.5 南海5.0 南海4.0
3位 東映2.0 東映6.5 西鉄13.0 阪急7.0 阪急11.0 西鉄12.0
4位 阪急2.0 西鉄8.0 阪急14.0 西鉄14.5 西鉄12.5 阪急17.0
5位 近鉄3.5 阪急8.0 東映17.0 東映26.0 東映30.5 東映30.0
6位 西鉄3.5 近鉄10.0 近鉄20.0 近鉄29.0 近鉄34.0 近鉄39.0
1960年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝率
優勝毎日大映オリオンズ82483.631--
2位南海ホークス78526.6004.0
3位西鉄ライオンズ70606.53812.0
4位阪急ブレーブス65656.50017.0
5位東映フライヤーズ52782.40030.0
6位近鉄バファロー43871.33139.0

[1]

オールスターゲーム

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

脚注

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