Gill Sans
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Gill Sans(ギル・サン)は、エリック・ギルによってデザインされ、1928年にモノタイプのイギリス支社から発表されたヒューマニスト系サンセリフ書体である。エドワード・ジョンストンが1916年にデザインしたロンドン地下鉄のコーポレート書体、Underground Alphabetを基にしている。
若き日のギルは、その開発初期段階においてジョンストンを補佐していた。1926年、若き印刷・出版業者のダグラス・クレヴァードンがブリストルに書店を開業した際、ギルは彼のためにサンセリフ体の大文字を用いて店頭のファサード看板にレタリングを施した。さらに、クレヴァードンが今後の告知や案内に使用できるよう、手本となるアルファベットのスケッチも提供している。この頃までには、ギルはすでに著名な石工、芸術家、そしてレタリングの制作者としての地位を確立しており、書体デザインにも着手していた。
ギルは、友人でありモノタイプの影響力ある幹部かつ印刷史家でもあったスタンレー・モリソンから、このアルファベットを書体ファミリーへと発展させるよう依頼を受けた。モリソンは、1920年代後半のドイツで大きな注目を集めていたErbar、Futura、Kabelといった新しい「幾何学的(ジオメトリック)」スタイルのサンセリフ書体ファミリーに対抗しうる書体を求めていた。Gill Sansは当初、見出し用大文字のセットとして発表され、すぐ後に小文字が追加された。ギルの狙いは、ジョンストンの影響、古典的なセリフ体、および古代ローマの碑文の要素を融合させ、簡潔でモダンでありながら同時に古典的な美しさも併せ持つデザインを作り上げることであった。Gill Sansは、文書全体をサンセリフ体で組む習慣が一般的になる前にデザインされたため、その標準ウェイトは現代の多くの本文用フォントよりも明らかに太く設計されている。
Gill Sansは瞬く間に成功を収めた。発表の翌年には、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) がすべてのポスター、時刻表、宣伝物においてこの書体を採用した。1948年にイギリス4大鉄道会社が国有化された際には、イギリス国鉄が標準書体の基盤としてGill Sansを選定している。また、意図的に簡素にデザインされたペンギン・ブックスのモダニズム的な表紙にも採用され、当時のイギリスのポスターや掲示物で用いられた非常に大きなサイズでも提供された。Gill Sansは発表後のイギリス印刷界における主要な書体の一つとなり、現在でも極めて高い人気を保っている。イギリスのデザイン界において長きにわたり愛用されていることから、「イングランドのHelvetica」と評されることもある[1][2]。Gill Sansは他の多くの書体に影響を与え、ヒューマニスト・スタイルとして知られるサンセリフのジャンルを定義する一助となった。
モノタイプは、オリジナルのレギュラーあるいはミディアムウェイトを急速に拡張して大規模なファミリーを形成し、現在も販売を続けている。基本的なセットは、マイクロソフトの一部ソフトウェアやmacOSのシステムフォントとしても提供されている。
特徴

Gill Sansの字形は、大文字においては記念碑的なローマン・キャピタルに、小文字においては伝統的なオールドスタイルのセリフ体に由来する。このため、正方形や円といった単純な図形を基調とするFuturaなどのジオメトリック・サンセリフや、19世紀のレタリング様式の影響を受けたAkzidenz-Grotesk、Helvetica、Universなどのグロテスク・サンセリフ(いわゆる「インダストリアル」デザイン)とは大きく異なるスタイルを持つ[3][4][5][6]。例えば C や a はアパーチャー(開口部)が広く、グロテスク・サンセリフに見られる閉じた構造とは対照的である[7]。また、ローマン(通常)スタイルの a や g には、手書きやブラックレターで用いられる「1階建て」の字形ではなく、「2階建て」のデザインが採用されている。

Gill Sansの大文字は、ローマのトラヤヌス記念柱に見られるようなローマン・キャピタルを部分的にモデルとしており、文字ごとの字幅の違いが顕著である。こうした字形は、当時のイギリスにおける碑文彫刻の標準的な様式となっていた。ギルの師であるエドワード・ジョンストンは、「ローマン・キャピタルは、可読性と美しさにおいて文字の中で最上位にある。壮大かつ重要な碑文において最も優れた形態である」と記している[8][9][10][11]。
Gill Sansは、先行するジオメトリック・サンセリフほど純粋な幾何学的原理に基づいていないものの、一部に幾何学的な印象を持つ要素も見られる[注釈 1]。大文字の J はベースラインの下まで伸び、O はほぼ完全な円を描く。また、大文字の M は正方形のプロポーションに基づいており、中央のストロークが中心で交わる。これはローマ碑文に由来するものではなく、むしろJohnstonのデザインに近い[10][注釈 2]。E や F は比較的幅が狭く設計されている。

伝統的なセリフ体の影響は小文字にも見られる。Futuraとは異なり、小文字の a と g は「2階建て」の構造を持つ。また、t は右下へカーブし、左上が斜めにカットされている点も、単に2本の直線からなるFuturaの t とは異なる[14]。さらに、小文字の a はループの上部に向かって著しく細くなっている。これはセリフ体では一般的なデザインだが、サンセリフ体では珍しい。
従来のセリフ体のモデルを踏まえ、イタリック体はローマン体とは異なる字形を持っている。一方、多くのサンセリフ体では文字を単に傾斜させたオブリーク(傾斜体)と呼ばれるスタイルがとられる。この違いは、手書きに似た「1階建て」のデザインになる a や、18世紀にウィリアム・カスロンが彫刻したようなイタリック体を想起させる、左側にカリグラフィー風のテールを持つ小文字の p に最も顕著に表れている[10][15]。イタリック体の e はより抑制的で、セリフ体なら通常は曲線をつけるボウル部の下側に直線が用いられている[10][注釈 3]。ほとんどのセリフ体と同様に、Gill Sansのいくつかのウェイトやリリースでは、張り出しの大きい f が後続の文字とつながるように、あるいは衝突するのを防ぐために合字が用いられている[15]。
Gill Sansの基本的な字形は、特にエクストラボールドやエクストラコンデンスドの字幅において、スタイル間での一貫性を欠く(金属活字の時代には、同じスタイルであってもサイズが異なれば一貫性がなかった)。また、ウルトラボールドスタイルは事実上まったく異なるデザインであり、当初はそのように宣伝されていた[18]。デジタル時代のモノタイプのデザイナーであり、ギルの死後におけるGill Sansの展開に関する記事を執筆したダン・ラティガンは、「Gill Sansは有機的に発展した。(中略)書体に対して非常に『非体系的』なアプローチをとっている。デザインされた時代、そして使用された時代の特徴がよく表れている」と述べている[19][20]。当時、サンセリフ体は一貫したファミリーを形成し、すべてのウェイトとサイズにおいて字形を可能な限り揃えるべきとする考え方は、まだ十分に発達していなかった。1957年のUniversの画期的なリリースなどの進展があるまでは、ファミリーの書体がそれぞれのウェイトに応じて変化するのが一般的であった[21]。
細いウェイトでは、レギュラーの t の左上にある斜めのカットが、2本の独立したストロークに置き換えられている[注釈 4]。ボールド以上のウェイトでは、Gill Sansの i と j は非常に特異なデザインとなっており、ドットが親画のストローク幅よりも小さい[22][23][24]。
開発


モリソンがGill Sansの開発をギルに依頼したのは、1925年にギルのセリフ体であるPerpetuaの制作で協働し始めてからのことである(ギルはウェールズ在住だったため、主に郵便でやり取りが行われた)。二人は1913年頃からの知己であった。1927年、モリソンはブリストルにあるクレヴァードンの書店を訪れ、ギルが手がけた看板(ファシア)とアルファベットに強い印象を受けた[28]。ギルは、モリソンがサンセリフ体のファミリー開発を依頼してきたのは「これらの文字を見たことが契機である」と記している[29][23][30][注釈 5]。
ギルはジョンストンとの緊密な協働期とその後、折に触れてサンセリフ体の文字デザインに取り組んでいた。これには、1910年代に手がけた看板描き向けのアルファベットに見られるほぼサンセリフの大文字デザインや、ウェールズのカペル=イ=フィンの自宅周辺に設置された大文字の看板などが含まれる[23][31][注釈 6]。ギルは地下鉄プロジェクトにおけるジョンストンの仕事を高く評価しており、極端な太さという「19世紀的堕落」からサンセリフを救い出したと後に記している[10][33]。一方でジョンストン自身は、自らデザインしたアルファベット(当時の呼称)を商業用書体として展開しようとはしなかったようである[34]。Johnston Sansの制作以前にも活字デザインに関わろうとしたことはあったが、当時の業界では社内デザイナーによる内製が主流であったため、成功には至らなかった[32]。
標準化されたレタリングを企業ブランディングに用いた最初期かつ最も持続的な事例の一つである地下鉄のレタリングに対し、モリソンも同様に敬意を払っていた(なお、ギルはW・H・スミス向けにセリフ体の文字セットをデザインしている)。モリソンはこれについて、「カール大帝の時代以来、アルファベットに与えられることのなかった市民的かつ商業的な正当性を(そのレタリングに)与えた」と記している[35]。

モリソンとギルは、Perpetuaの開発中からモノタイプ社内で一定の反発を受けていた。モリソンはこの新書体プロジェクトを熱心に支援したが、同社の技術部長兼書体デザイナーであったフランク・ヒンマン・ピアポントは強く否定的であり、「このデザインには評価すべき点が何一つ見当たらず、問題点が多い」と批判した[36][37][38](ピアポントは、当時モノタイプの主力であったサンセリフ体群(現在はMonotype Grotesqueと呼ばれる統一性の緩やかなファミリー)の制作者であった。これはドイツのサンセリフ体に影響を受けたもので、より非彫刻的なデザインである[39])。また、モリソンは J と Q の文字をベースラインの下まで優雅に伸ばすよう強く主張して介入した。当時の見出し用活字はボディいっぱいに収まるよう設計されるのが一般的であり、このような処理は異例であった[40]。初期には名称が一定しておらず、「Gill Sans-serif」や「Monotype Sans-Serif」(この2つはギル自身も自著で用いている)、あるいは注文番号(Series No. 231など)で呼ばれることもあった[41][42]。
モノタイプの記録文書やギル自身の書き残した文書には、Gill Sansの開発過程に関する膨大な資料が現存している。先行して制作された大文字はJohnstonに酷似している。一方、記録からは、Johnstonには存在しなかった実用的なヒューマニスト・サンセリフの小文字およびイタリック体の制作に、ギル(そして最終的な清書と字間(スペーシング)の調整を担ったサリー州サルフォーズのモノタイプ工場製図室チーム)が苦心していたことがうかがえる[20][注釈 7]。ギルによる初期の草案では、アセンダーやディセンダーの先端を斜めに切り落とす処理が多数提案されており、またディセンダー自体もかなり長めに設定されていた(完成版に比べると、Johnstonとの差異が大きい)[45][46][47]。
イタリック体の初期案も最終版とは大きく異なり、傾きが浅く、非常に長いディセンダーやスワッシュ大文字が用いられていた[10][15][20][注釈 8]。ギルは自身のセリフ体デザインであるPerpetuaやJoannaにおいてカリグラフィー的なイタリック体の g を好んでおり、Gill Sansの初期案でも検討していた[47]。しかし最終版ではこれは採用されず、標準的な「2階建て」の g が用いられた[10][48]。

Gill Sansのレギュラー(ローマン体)では一部の文字がJohnstonから単純化されている。菱形のドット(点)は円形に変わり(のちに制作されたライトウェイトでは長方形)、小文字の l(エル)は単なる直線となった。一方で a の形状はより複雑なものとなり、ほとんどのバージョンやサイズにおいて湾曲したテールが設けられた[20][49]。さらに全体として洗練が加えられた。例えば、視覚的な不均衡を避けるため、水平の線を垂直の線よりわずかに細く調整している。これは書体デザインにおける標準的な手法だが、Johnstonでは採用されていなかった[10][34]。大きく張り出したレッグ(脚)を持つ R はJohnstonには見られない特徴であり、ギルが好んだデザインであった。歴史家のジェームズ・モズリーは、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵されているイタリア・ルネサンス期の彫刻から着想を得た可能性を指摘している[13][50]。

デザインプロセスにおいて特に検討が重ねられたのは、a(金属活字時代の複数のバージョンやサイズにおいて、Johnstonのような直線のテール、あるいは緩やかな曲線のテールを持っていた)と、b、d、p、q であった。これらの文字では、バージョンごとに(同じウェイトでもサイズによって同一のデザインではなかったため、サイズごとにも)ストローク末端の処理が見えるものと見えないものがあった[18][20][22][注釈 9]。ダン・ラティガンは、モノタイプのアーカイブには「Gill Sansの b、d、p、q だけで1冊の本が書けるほど」の資料が残されていると述べている[20][52]。
Gill Sansの見出し用大文字は、1928年の印刷会議で初めて公開され、スタンレー・モリソン編集の雑誌『ザ・フルーロン』に見本帳として掲載された[15][40]。当初の反応は一部では好意的であったが、サンセリフ体すべてを現代的で不健全なものと見なす極端に保守的な印刷業者からは依然として疑念の目で見られ、ある者はこれを「タイポグラフィのボリシェビズム」と呼んだ[31][53]。この時代、純粋主義者にとってサンセリフ体は依然として俗悪で商業的と見なされていたのである。エドワード・ジョンストンの弟子であったグレイリー・ヒューイットは、私的な場で次のように評している。
私はジョンストンへの信頼を失った。彼が我々のために尽くしてくれた全てのことにもかかわらず……彼はローマン・アルファベットの規範を放棄し、現代生活の美観を損ねるブロック体を、何の配慮も説明もなく世に放つことで、あまりにも多くのものを台無しにしてしまった。彼自身の名声が、その俗悪さと商業主義の隠れ蓑となってしまっている。[54]
それにもかかわらず、Gill Sansは発表後急速に普及していった。
Gill Sansの製造工程は、当時のモノタイプの標準的な手法に則っていた。モノタイプがドイツの印刷業界から招聘したフランク・ピアポントとフリッツ・シュテルツァーの指導のもと、製図室のチームによって大型の図面として鏡文字の文字図案が描かれた[55]。このデザイン作業を担った製図スタッフは女性が多数を占めており、彼女たちは各文字の異なるサイズへの適合や文字詰めなど、最終図面の多くの要素を作り上げていた[56]。その後、これらの図面はパントグラフを用いて金属製の父型を機械彫刻し、母型を打ち抜くための原型として用いられた。完成した母型は鋳造機に装填され、活字が鋳造された[55][57]。当時のモノタイプの標準的な工程では、全体の文字を完成させる前に、まず少数の文字だけを彫刻して試し刷りを行い(その一部は現存している)、紙面の色調(カラー)のバランスや文字詰めを確認していた[20]。ラティガン、ウォルター・トレーシー、そしてエリック・ギルの伝記作家であるマルコム・ヨークは、Gill Sansを成功に導いた製図室の貢献が正当に評価されていないと指摘している。ギルは、このデザインについて「可能な限り数学的に計測可能なものとすべきであり、機械製造に関わる製図工らの感性には極力依存すべきではない」と主張していたが、ヨークはこの発言を「配慮を欠くものだ」と批判している[20][31]。
反響
Gill Sansは急速に普及した。この成功は、ギルの支持者であったベアトリス・ウォードが主導したモノタイプによる洗練されたマーケティング戦略によるところが大きいが、同時にその実用性の高さや、機械組版で非常に幅広いサイズとウェイトが用意されていたことにも起因している[58][59]。
Gill Sansが人気を博す一方で、批判的な評価もあった。ギルと面識のあったロバート・ハーリングは、ギルのレタリングを考察した1976年の作品集の中で、基本ウェイトの字面の黒みが強いため長文のテキストには不向きであると指摘し、実際にGill Sansで組んだ文章を例示している[48]。もっとも、レギュラーウェイトは、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) が発行したカントリーウォークのガイドブックなど、一部の商業印刷における本文用書体としての採用実績もあった[60]。ウィリアム・アディソン・ドウィギンズは、1929年頃にライノタイプ向けにより個性的な競合書体であるMetroの開発を提案した際、Gill SansとFuturaについて「大文字は立派だが、小文字は出来がよくない」と評した[61]。また、スティーブン・コールズやベン・アーチャーといった現代の評論家は、Johnstonから十分な改良が見られない点や、特に太字における文字色(黒み)の不均一さを批判している[1][22]。さらに広く、現代のフォントデザイナーであるジョナサン・ヘフラーは、JohnstonとGill Sansのデザインについてその硬直性を指摘し、「手仕事というよりは機械の産物であり、融通のきかない規則によって形成された冷たく厳格なデザインである。時に見せる気まぐれな要素も場違いで、不安定で不安を煽るように感じる」と酷評している[62]。
ギルは自身の作品や著書において、Johnstonとの類似性について繰り返し言及している。1933年にジョンストンへ宛てた手紙では、自身の名を冠した書体が作られたことを謝罪し、ジョンストンの作品が重要かつ先駆的であると称賛した[54][63]。その一方で、著書『タイポグラフィに関するエッセイ』においては、自身の書体の方が「おそらく改良されており」、ジョンストンのものよりも「間違いが起きにくい」と主張している[42]。ジョンストンとギルは1920年代初頭までに次第に疎遠となっていたが、ギルの伝記作家であるフィオナ・マッカーシーは、その一因がジョンストンの妻グレタの反カトリック主義にあったと指摘している[64][65]。なお、ジョンストンに書体を依頼したロンドン地下電気鉄道のマネージング・ディレクターフランク・ピックは、Gill SansをJohnstonの「かなり忠実な模倣」であると私的にはみなしていた[54]。
拡張と新スタイル

Gill Sansの発売当初の成功を受け、モノタイプは多様な派生書体を急速に展開した[20]。さらに同社は、自社の活字鋳造機「スーパーキャスター」向けに、非常に大きなサイズのGill Sans用母型も販売した。これにより、利用者は低コストで独自に活字を鋳造できるようになった[12][58]。そのため広告主の間で人気を博し、ポスター用書体として広く採用されることとなった。ギルの伝記作家であるマルコム・ヨークは、これを「公共掲示物における明瞭さの神髄」と評している[66]。
Gill Sansには、コンデンス体(長体)やシャドウ体(影付き)など、多様なスタイルが展開された[20][67]。シャドウ体としては、大文字のみのレギュラーウェイトのものや、深い立体感を持たせたライトウェイトのものなど、複数のデザインが展開された。金属活字時代には、枠線内や黒の点描背景に白抜きの文字を配した「カメオ・ルールド (cameo ruled)」と呼ばれるデザインも提供されていた[68][69][70][71]。シャドウ体はレギュラー体と重ね刷りして異なる色で印刷することを想定しており、簡易的な多色刷り効果を得るためのものであった[72]。装飾的な書体の一部は主にモノタイプ社内でデザインされたとみられており、ギルは郵送されてきたデザイン案を検討し、批評を加えたうえで承認していた[73]。
モノタイプの重要資産の一つとなったGill Sansは、ギルの死後も長期にわたり、拡張や改刻、新フォーマットへの移行が繰り返された。その結果、現在では非常に多様なデザインやバージョンが存在している[20]。1993年には、本文用に適したブックウェイトや、ヘビーウェイトが新たに制作された[74]。
Gill Kayo

1936年、ギルとモノタイプは非常に太いサンセリフ書体である「Gill Kayo(ギル・ケーオー)」を発表した。この名称は、その攻撃的な造形を暗示する「KO(ノックアウト)」に由来する。オリジナルのGill Sansとは多くの字形が大きく異なるにもかかわらず、しばしば「Gill Sans Ultra Bold」の名称で販売された[20]。ギル自身はこのデザインを一種の冗談として捉えており、「Double Elefans」という名称を提案していた[75][76]。ハーリングは本書体を「陰気だ」と評し、「西暦2000年(結局のところ、それほど遠い未来ではない)のタイポグラフィ史家は、ギル氏の経歴におけるこの奇妙な逸脱を発見し、1936年当時の氏の不可解な心理状態を解明しようと多くの時間を費やすことになろう」と皮肉を込めてコメントしている[77][78][79]。それから40年後、ハーリングはこれを「ディスプレイ向けに開発された書体の中でも、最も粗野で品位に欠けるもの」と表現した[48]。本書体の開発は1932年に始まったが[20]、初期の原画の一部はギルの娘婿であるデニス・テゲトマイヤーが手がけた可能性が指摘されている[73]。1970年代から1980年代にかけて、レトラセットがコンデンス体のウェイトを追加したことで、Gill Kayoはグラフィックデザインの分野で再び人気を博した[80][81][82][83]。
Kayoを含むGill Sansの極太ウェイトは、i や j のドットの特異なデザインや、その極端な太さに対して特に批判の対象となってきた[1][10](前述の通り、Gill Sansの標準ウェイトは現代の基準から見ても既にかなり太い[1][31])。ギルは自著『タイポグラフィに関するエッセイ』の中で、注意を引くためにサンセリフ体を極端に太くする19世紀の傾向は可読性を損なうため本末転倒であると主張していた[27]。同書の結びの段落において、ギルはこのジャンルに対する自身の貢献について自嘲気味に次のように記している。
現在では、愚か者の数と同じくらい多様な種類の文字が存在している。私自身も5種類の異なるサンセリフ体をデザインしてきたが、それぞれの広告が隣の広告よりも大声で叫ぼうとするため、新しいものをデザインするたびに文字はどんどん太くなっていった。
代替字形

モノタイプは、国ごとの異なる嗜好や印刷様式に対応するため、Gill Sansの代替字形セットを開発した。これらには、Futuraの影響を受けた N、M、R、a、g、t などのデザイン、フランス・ルネサンス様式の4端を持つ W、よりコンパクトな R、上向きにループするテールを持つ19世紀様式の Q(Centuryなどに見られ、LNERでも使用された)、標準のイタリックに対してオブリーク(単なる傾斜体)のデザイン、より曲線的なイタリック体の e、およびいくつかの代替数字が含まれる[20][84][85][86][87]。Gill Sansの標準デザインでは、数字の 1、大文字の I、小文字の l はすべて単純な縦線である。そのため、価格表など数字が連続して混同を避けるために、セリフ付きの代替の 1 が販売されていた[1](ただし、すべての時刻表で採用されたわけではなく、例えばLNERは標準形を使用していた[85])。また、Gill Sansの初期バージョンには、9 のカーブに合わせた独特な 7、前方に張り出した 5、エックスハイトに揃えた 0 など、後に廃止された特徴も見られた[42]。
ギル自身もこれらの代替字形のデザインに関与しており、モノタイプのアーカイブには、彼が幾何学的な代替字形について再考した際のメモが保存されている[20][23]。Futuraの人気の高まりとともに、改変されたのはGill Sansに限らなかった。歴史家のポール・ショーがいわゆる「Futura摘出術 (Futura-ectomy)」と言及したように、ErbarやドウィギンズのMetroも当時の流行に合わせるための変更を受けている[88]。ギルの死後、モノタイプはギリシア文字およびキリル文字のバージョンを作成した[注釈 10]。さらに、金属活字には見られなかった追加機能として、特にオールドスタイル数字やスモールキャピタルが加えられた[7]。
シリーズとスタイル

ラティガンやその他の資料によると、金属活字の時代が終わるまでに、Gill Sansには以下のスタイルが存在した(ただし、すべてが同時期に販売されていたわけではない)。
- Gill Sans Titling(1928年、シリーズ番号231)
- Gill Sans(1930年、シリーズ番号262。別称Gill Sans Medium)
- Gill Sans Bold(1930年、シリーズ番号275)
- Gill Sans Shadow Line(1931年、シリーズ番号290)[注釈 11]
- Gill Sans Shadow Titling(1931年、シリーズ番号304)[注釈 12]
- Gill Sans Bold Titling(1931年、シリーズ番号317)
- Gill Sans Extra Bold(1931年、シリーズ番号321)
- Gill Sans Light(1931年、シリーズ番号362)[注釈 13]
- Gill Sans Shadow(1932年、シリーズ番号338)[注釈 14]
- Gill Sans Bold Condensed(1932年、シリーズ番号343)
- Gill Sans 5pt(1932年、シリーズ番号349。別称Gill Sans No. 2)[94]
- Gill Sans Bold 5pt(1932年、シリーズ番号350。別称Bold No. 2)[94]
- Gill Sans Poster(1932年、シリーズ番号353)
- Gill Sans Bold Condensed Titling(1933年、シリーズ番号373)
- Gill Sans Cameo(1934年、シリーズ番号233)
- Gill Sans Cameo Ruled(1935年、シリーズ番号299)
- Gill Sans Shadow No. 1(1936年、シリーズ番号406)[注釈 15]
- Gill Sans Shadow No. 2(1936年、シリーズ番号408)[注釈 16]
- Gill Sans Ultra Bold(1936年、シリーズ番号442)
- Gill Sans Bold Extra Condensed(1937年、シリーズ番号468)
- Gill Sans Condensed(1937年、シリーズ番号485。別称Medium Condensed)[20]
- Gill Sans Bold No. 3(1937年、シリーズ番号575)
- Gill Sans Bold Condensed Titling(1939年、シリーズ番号525)
- Gill Sans Extra Bold Titling(1939年、シリーズ番号526)
- Gill Sans Light 5pt(1958年、シリーズ番号662。別称Light No. 2)[94]
Titlingシリーズは大文字のみで構成される。
写真植字
写真植字の時代、モノタイプはGill Sansを写真植字用フィルムで提供した。1961年にリリースされた書体にはLight 362、Series 262、Bold 275、Extra Bold 321、Condensed 343が含まれており、これらはすべてフィルムマトリクスセット「A」(6 - 7ポイント)および「B」(8 - 22、24ポイント)として販売された[20][96]。
インファント版とラウンデッド版

モノタイプは、1階建ての a や g を採用したGill Sansのインファント版(幼児向け)を開発した。この書体ではほかに丸みを帯びた y、セリフの付いた 1、下部に折り返しを持つ小文字の l など、より判別しやすい字形が用いられている[18][97]。インファント版は手書き字形に基づくため子どもが認識しやすいとされ、教材や玩具で広く用いられている。このような書体は、Gill SansやAkzidenz-Grotesk、Bemboといった代表的な書体ファミリーを補完する目的で作られることが多い[98][99][100]。また、モノタイプはジョン・ルイス向けに、玩具用途のためにストロークの端を丸めたラウンデッド版も制作している[101]。
デジタルリリース

デジタル版のGill Sansは、いくつかの段階を経て展開されている。主な区分としては、2005年以前のリリース(これには多くのOSに同梱された「システムフォント」としてのGill Sansが含まれる)、2005年のPro版、そして多数の代替字形が追加され、Windows 10にも一部収録された2015年のNova版がある[18]。一般的なウェイトにおける基本的なデザイン特性はおおむね共通しているが、細部にはいくつかの差異が見られる。例えばブックウェイトでは、2005年版では i や j のドットが円形であったのに対し、2015年版では四角形となり、一部の合字が簡略化されている[18][102][103]。またデジタル版では、オールドスタイル数字やスモールキャピタルなど、金属活字には存在しなかった字種も追加されている[7]。
すべての金属活字書体のデジタル復刻と同様に、Gill Sansのデジタル化においても解釈上の判断がいくつか求められた。その一例が、小さなサイズで印刷した際に顕著となるインクのにじみ(インクスプレッド)をどのように補正するかという問題である。このため、印刷されたGill Sansとそのデジタル版とが必ずしも一致するとは限らない。デジタル版のGill Sansは、モノタイプによる他の多くのデジタル化書体と同様に、いくつかの点で批判を受けてきた。とりわけ、過度に詰まった文字間隔や、オプティカルサイズの欠如が課題とされている。すなわち、あらゆるサイズに対して単一のデザインを用いざるを得ないため、サイズごとに設計が異なっていた金属活字の繊細な字形や字間の調整を再現できないのである。金属活字時代には、フォントサイズごとに字間や細部が調整されるのが一般的であり、小サイズでは字間を広げるなどの処理が行われていた。このような差異は、FuturaやAkzidenz-Groteskといった他の主要なサンセリフ書体でも同様に見られる[104][5]。写真植字の時代においても、モノタイプは複数のマスターサイズを提供していたが、デジタル化への移行に伴い、このような慣習は廃れた[18][20][96]。これを補うためには、小サイズでは字間を広げたり、やや太めのウェイトを使用したりするなど、サイズに応じた手動調整が必要となる[105][注釈 17]。
元国際タイポグラフィ協会 (ATypI) 会長のジョン・ベリーは、Gill Sansの現代的な字間設定について、「レギュラーウェイト、そしてとりわけライトウェイトは、トラッキングをやや広めに取った方が見栄えが良い」と述べている[107]。一方、ウォルター・トレーシーは1986年の時点で後期の字間を好み、「金属活字版は……おそらくセリフ体であるかのように字送りがなされていたのだと思う」と記している[108]。
Gill Sans Nova(2015年)
2019年現在、モノタイプによるGill Sansの最新のデジタル化版は、ジョージ・ライアンによる「Gill Sans Nova」である[109]。これには、これまでデジタル化されていなかったインライン版の一部や、スタイル別の代替字形、雑誌『グラツィア』向けに制作されたウルトラライト(極細ウェイト)など、多数のバリエーションが追加されている[18][110][111][112]。Gill Sans MT(「MT」はモノタイプの略)とは異なり、鉤付きの 1 がデフォルトで採用されているほか、レギュラーウェイトが「ミディアム」に改称されている。モノタイプはこのリリースを記念してロンドンでエリック・ギルの作品展を開催した。これは1958年、ギルのセリフ体Joannaが一般リリースされた際に行われた催事を踏襲したものである[113][114][115][116]。追加要素としては、ギルが検討していたものの未発表に終わっていたイタリック体のスワッシュ大文字も含まれている[18][117]。
ファミリーは計43書体から構成される。内訳は、テキスト用33書体(9ウェイト、3字幅)、インライン6書体(5ウェイト、2字幅、うち1つはコンデンスド)、シャドウ2書体(2ウェイト、1字幅)、シャドウアウトライン1書体、デコ1書体である。レギュラー、ライト、ボールドの基本セットは、Windows 10においてユーザーが追加でダウンロードできる「Pan-European Supplemental Fonts(汎ヨーロッパ補足フォント)」パッケージに含まれている[118]。
その他
ペーター・ヴィーゲルは、旧東ドイツで1990年まで道路標識に使用されていたGill Sans Bold Condensedの改変版「TGL 12096-1」をデジタル化した[119]。
使用例

1928年に大文字1ウェイトのみで発表されたGill Sansは、翌年にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) の標準書体に採用されたことで全国的な知名度を得た。この書体はすぐに、金属製の機関車の銘板や手描きの駅名標から、食堂車の印刷メニュー、時刻表、広告ポスターに至るまで、同社のアイデンティティを構成するあらゆる媒体に用いられるようになった[51][120][121]。LNERはこのリブランディングを推進するにあたり、機関車に強い関心を持っていたエリック・ギルに急行列車「フライング・スコッツマン」の運転台への乗車機会を提供した。また、ギルはGill Sansのスタイルで同列車のサインボードを描いており、これはセント・ブライド図書館のコレクションとして現存している[12][85][122]。

1949年、鉄道管理委員会 (Railway Executive) は全駅で使用されるサインの標準仕様を定めた。各地域ごとの色を背景とし、文字にはGill Sansが用いられた[123]。印刷物の多くにもGill Sansが使用され、サインは大文字のみで組まれることが多かった。また、(イギリス交通委員会の一部門である)鉄道管理委員会によって独自のバリエーションも開発され、これはサインペインターが大型の標識を手描きするためのマニュアルに収録された。その他の採用例としては、1935年以降のペンギン・ブックスのペーパーバック装丁や、イギリスの地図作成機関である陸地測量部が挙げられる[124]。また、ロンドン交通局でも、Johnstonでの組版が実用上困難な文書に使用された[125]。印刷史家のポール・ショーはこれを、1930年代から1950年代にかけての「モダニスト・クラシカル」スタイルの重要な要素と位置づけている。このスタイルは、大文字の多用や見出しの中央揃えなどを特徴とし、簡潔で無駄のないデザインを志向するものであった[126]。
Gill Sansはその後も人気を保っているが、1950年代から1960年代頃にかけては、ヨーロッパ大陸やアメリカのデザインの影響を受け、グロテスクやネオ・グロテスク書体へと移行する傾向があった[127][128]。この時期に普及した書体には、初期のグロテスク・サンセリフ体のほか、同じスタイルでありながらより洗練された新たなデザインであるHelveticaやUniversなどがあった。ジェームズ・モズリーは、1960年に旧来のMonotype Grotesqueに対する「注文が思いがけず再び増加した」と述べ、これが「1960年代初頭のタイポグラフィ界に吹き始めた新鮮で革命的な風を、Univers以上に鮮やかに体現している」と評した[129]。2007年にはさらに、「そのいささか無骨なデザインが、Gill Sansの……行き過ぎた“美しさ”に飽き飽きしていた既成概念に反発するデザイナーたちにとっての主な魅力の一つであったようだ」と付け加えている[39][129]。
その一例が、ジョック・キニアとマーガレット・カルヴァートによる1965年のイギリス国鉄のコーポレート・リブランディングである。印刷物にはHelveticaとUniversが、サインには専用に設計されたが非常に類似したRail Alphabetが導入され、Gill Sansとしばしば結びつけられていた伝統的なオールキャップスのサイン様式は放棄された。キニアとカルヴァートによる道路標識の再設計(Transport書体)でも、同様のアプローチが採用されている[130][131][132]。
ライノタイプとそのデザイナーであるヘルマン・ツァップは、1955年にGill Sansの対抗書体の開発に着手していたが、後に一部の字形をこれらの新しい書体に近づけることを検討したのち、1962年から1963年頃に(当時「Magnus」と呼ばれていた)このプロジェクトを中止している[133][134]。
Gill Sansの優位性をさらに低下させたもう一つの要因は、写真植字の登場であった。これにより、フィルム上の写真像から文字を組版できるようになり(特に見出しなどのディスプレイ用途において顕著であり、本文の組版ではその後もしばらく金属活字が使われ続けたが)、安価に利用できる書体の選択肢が飛躍的に拡大した。レトラセットのような転写シートも、小規模な印刷物において同様に書体の選択肢を広げた。これらの中でも、Compactaやスティーブンソン・ブレイクのImpactは、密度が高く工業的な印象のデザインを採用しており、当時のデザイントレンドを象徴する存在であった[135][136][137][138]。
ジェームズ・モズリーは、自身の成長期にあたる1930年代から1950年代の状況について、後年次のように回想している。
モノタイプの古典書体はタイポグラフィの世界を支配していた。少なくともイギリスにおいてはあまりにも広く普及していたため、その優れた品質は否定しがたい一方で、退屈さを覚え、それらが体現する無難で平板な趣味に反発したくなることもあった。実際、1960年までには、それらが私たちを退屈させ続ける時代もそう長くはないだろうと、すでに感じ取られていた。金属活字の終焉が、ついに現実となりつつあったのである。[139][注釈 18]
Gill Sansはイギリスで非常に高い人気を博し、ヨーロッパの印刷業界でも一定の広がりを見せたものの、金属活字時代のアメリカでは広く普及するには至らなかった。当時のアメリカの印刷業者は、Franklin Gothicのようなゴシック体(サンセリフ)や、Futura、あるいはモノタイプ独自のTwentieth Centuryといった幾何学的な書体を好んだためである[3][注釈 19]。
そのため、Gill Sansが世界的な人気を獲得したのは、金属活字時代が終わり、写真植字やデジタルの時代に入ってからであった。とりわけ、MacintoshやMicrosoft Officeのシステムフォントとして採用されたことが大きな契機となった[144]。
とはいえ、活字時代のアメリカにおいてもギルの作品が用いられた例は存在する。1930年にGill Sansをベースとしてギル自身が制作した、雑誌『ポエトリー』の特注ワードマークおよびロゴである。これは同誌の編集者であったハリエット・モンローがロンドンでギルの作品を目にしたことに由来している[145]。
1997年、BBCは多くの用途において(ただしすべてではないが)コーポレート書体としてこの書体を採用し、ロゴにも使用された[146]。変更の理由について、デザイナーのマーティン・ランビー=ネアンは「時の試練に耐えた書体を選ぶことで、流行を追うあまり数年後には時代遅れに見えてしまうような選択を避けることができる」と述べている[147]。ギルのBBCとの関わりはこれにとどまらず、ロンドン本部のブロードキャスティング・ハウスには、彼が制作した彫刻やその他の美術作品が展示されている[148]。
BBCは2017年、携帯機器での可読性を高め、さらに継続使用に追加ライセンスを必要としない独自のコーポレート書体ファミリーへの段階的な移行を開始した[149]。この書体はBBC初代総裁ジョン・リースにちなんで「Reith」と名付けられ、2021年にはコーポレートロゴとしても採用された[150]。

2000年代初頭以降に製造された三菱電機のエレベーターでは[151]、ボタンおよびLCD表示の書体としてGill Sansが用いられている。
2022年まで、セーブ・ザ・チルドレンはロゴおよびブランディングにGill Sansを採用していた。しかし、デザイナーであるエリック・ギルによる子どもたちへの性的虐待が広く認知されるようになったことを受け、同団体は「Gill Sansの使用から離れる」としてリブランディングを実施した[152]。
類似書体
初期の競合書体

1930年、シェフィールドの活字鋳造所スティーブンソン・ブレイクは、Gill Sans、Johnston、Futuraの影響を受けた商業ベースの競合書体であるGranbyを発表した[22][54][153]。これはコンデンスド体やインライン体を含む大規模なファミリーであり、Johnstonに見られるような菱形ドットを備えていた。また、Gill Kayoの影響を受けた「Granby Elephant」というウェイトも含まれていた[154]。
これに対しより個性的な別のデザインが、ハロルド・カーウェンによって家業であるプライストウのカーウェン・プレスでの使用のために制作された。Curwen SansまたはCurwen Modernと呼ばれるこの書体は、Johnstonと多くの共通点を持ち、カーウェン・プレスが印刷を手がけたロンドン交通局の制作物で時折使用された[155][156][157]。カーウェンは、本書体が1900年代にジョンストンのもとで学んだ経験に基づくものであると述べているが、金属活字として彫刻されたのはGill Sansと同時期の1928年であり、小文字はKabelに類似していた[54]。2018年にはK-タイプによるデジタル復刻版がリリースされている[158][159]。
Gill Sansの人気が高かった時期には、競合を意図した書体がいくつか開発されたが、最終的に広くリリースされるには至らなかった。後にペンギン・ブックスの装丁を手がける際にGill Sansを多用することになるヤン・チヒョルトは、初期の写真植字機用に類似の書体を設計した。これは当時ほとんど使用されなかったが、後にデジタル化されている[160][161][162][22]。1930年代には、モリソンの友人でもあるオランダの書体デザイナー、ヤン・ファン・クリンペンが、セリフ体とヒューマニスト・サンセリフ体を備えたスーパーファミリーであるRomulusをデザインした。しかし、エックスハイトが低いそのサンセリフ体は、テスト校正の段階から先に進むことはなかった[3]。前述の通り、ライノタイプは1955年にGill Sansの競合書体の開発を開始し、「Magnus」と名付ける予定であった[注釈 20]。ドイツの書体デザイナーヘルマン・ツァップがデザインし、イギリスのライノタイプのマネージャーであるウォルター・トレーシーの意見を取り入れたこのデザインは、テスト校正の段階には達したものの、製造能力の不足や嗜好の変化により、1963年までに最終的に計画は中止された[10][133]。

類似の書体に限らず、「Keep Calm and Carry On」のポスターなど、Gill Sansが支配的だった時代にイギリスで制作された多くの看板や物品には、Gill Sansに似た手描きや特注のレタリングが用いられた[163][164]。戦時中、英空軍の戦闘機軍団はこれに類似した標準的な文字セットを使用した。後に著名なフォントデザイナーとなるマシュー・カーターは、母親が彼の遊び用としてGill Sansをもとにしたリノリウム版の文字を彫ってくれたことを2005年に回想している[165][166]。もう一つのあまり知られていない追随例として、オランダ規格協会による「NEN 3225」標準レタリングがある。これはオランダ国内の公共利用に向けた標準レタリングを策定するプロジェクトであり、Gill Sansに似たサンセリフ体と、ヤン・ファン・クリンペンによる対になるセリフ体で構成されていた。このプロジェクトは1944年に開始されたが、1963年まで公表されず、最終的に普及することはなかった[167][168]。
後期およびデジタル専用書体
Gill Sansがその確立に貢献したヒューマニスト・サンセリフという書体のカテゴリーは、1980年代から1990年代にかけて大きな注目を集めた。これはとりわけ、1960年代から1970年代に圧倒的な人気を誇ったHelveticaやUniversに対する反動としての側面が強かった[22][169][170][171]。
Gill Sansに影響を受けた現代のサンセリフ体は、本文用に適したプロポーションと文字間隔に調整したり、より広く一貫したウェイト展開を持たせたりするなど、そのコンセプトを応用していることが多い。こうした発展は、コンピューターの普及によりマルチプル・マスターや補間によるフォント設計が可能になったことで、より実現しやすくなった。また、より不規則で手書き風のスタイルを取り入れたものもある[22][172]。代表例としては、ジェレミー・タンカードのBlissや、フォルカー・キュスターのToday Sansなどが挙げられる。タンカードはこのジャンルの衰退に触れつつ、自身の目標は「Gill Sans以来となる、イギリスらしさを備えた初の商業用書体」を作ることであったと述べている[22][173][174]。Rowton SansもGill Sansに着想を得ているが、ギルが自身のセリフ体Joannaで用いたものに近い、ほぼ直立したイタリック体を持つのが特徴である[175][176]。さらに間接的な影響としては、アーサー・ヴァンソンによるChesham Sansがある。これはイギリスの伝統的なサンセリフ体の看板文字に着想を得たもので、ギルの作品と多くの共通点を持つ[177]。ビットストリームのHumanist 521は非公式のデジタル化版であり、1997年には同社のロシアのライセンシーであるパラタイプがこれにキリル文字版を追加した[178][179]。また、ソフトメーカー (SoftMaker) やフォントサイト (Fontsite) も、ChantillyやGibsonといった別名でGill Sansのデジタル版をリリースしている[180][181]。
より広い意味では、ハンス・エドゥアルト・マイヤーによるSyntaxもいくつかの点で類似している。1968年に発表され、ヤン・チヒョルトからも称賛されたこの書体は、より動的で手書き文字の影響を受けたサンセリフ体として設計された[10][182]。ただし、そのイタリック体はGill Sansよりもオブリーク(傾斜体)に近い[7]。トーマス・フィニーが設計し、アドビから発表されたHypatia Sansは、より表情豊かなヒューマニスト・サンセリフとして意図されたものである[183][184]。このほかにも、Gill Sansの影響をある程度受けているフォントは数多く存在する[7][185]。
書体スーパーファミリー

ヒューマニスト・サンセリフの概念を発展させたものとして、書体のスーパーファミリー(セリフ体と、それに対応するヒューマニスト・サンセリフ体の組み合わせ)がある。エリック・ギルの作品に影響を受けた代表例には、マルティン・マヨールによるFF Scala Sansがある[7][10]。他にも、マイケル・ギルズがレトラセット向けに制作したCharlotte SansおよびCharlotte Serif[186]、ズザナ・リッコがBaskervilleをベースに制作したMr EavesおよびMrs Eaves[187][188]、ロビン・ミェンチェスがCaslonをベースに制作したDover SansおよびDover Serifなどが挙げられる[189][190]。モノタイプ自身も2015年に、ギルがデザインしたセリフ体Joannaを補完する目的で(ただし完全に一致するものではない)、画面表示に最適化されたサンセリフ体Joanna Sansを発表している[191][192]。
法的側面

書体デザインは多くの国で著作権の対象とならない場合が多い。また、イギリスなどの一部の国でも、エリック・ギルの没後(1940年)から70年が経過しており、金属活字としての書体ファミリーがほぼ完成していた時点を基準として、そのデザインの保護期間は満了している[20][193][194][195]。そのため、Gill Sansの代替となるデジタルフォントを作成すること自体は法的に認められている。ただし、ブックウェイトやユーロ記号など、後年になってモノタイプが追加した要素については、必ずしも同様には扱われない。さらに、「Gill Sans」という名称は依然としてモノタイプの登録商標(米国商標登録第1340167号)であるため、派生フォントの名称として使用することはできない[196][197]。
Gill Sansの完全なオープンソースのクローンはリリースされていない。比較的完成度の高い派生例として、アルカンディス・デジタル・ファウンドリ・プロジェクトとデザイナーイルウェン・アランダルによるGilliusがあり、ボールド、イタリック、コンデンスド、コンデンスド・ボールドなどのスタイルが含まれている。ただしこれは純粋なクローンではなく、Bitstream Veraを改変した部分を含み、特に w のデザインなどにジオメトリック書体からの影響が見られる[198]。フィリピン・ケソン市を拠点とし、デザイナー「Toto G」が運営するファウンドリK22は、影付きバリエーションとしてK22 EricGill Shadow(Gill Sans Shadow 338のデジタル化)およびインライン書体のK22 EricGill Shadow Lineを公開しており、「個人的・私的・非商用目的」であれば無償、商用利用には有償で提供されている[199][200]。2011年には、ブリュッセルのオープンソース・デザイン集団Open Source Publishing (OSP) が、ミディアムウェイトの直接的なクローンであるSans Guiltを公開した。しかしこのフォントには w や x の位置ずれなど、いくつかの明らかな誤りが見られる[201]。