くしの歯作戦
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啓開
道路啓開とは、災害時における1次対応であり「災害発生→啓開→応急復旧→本復旧→復興」という復興への流れの基礎となるものである。
徳山からの命令は「前へ!突っ込め!」だけであった。具体的には人命救助と捜索部隊を72時間以内[注 2]に被災地に送り込むことが絶対任務であり、自衛隊車両などの通行を前提に路面状態の悪さは許容され、それでも駄目であれば迂回路が作られた。
国道事務所・国道維持出張所の職員数名と、事前に契約した地元建設会社のバックホー(パワーショベル)と操作員、土嚢、アスファルト合材のチーム(全52チームが参加した[4]。)が、事前視察で判明した不通箇所に向かった[5]。
啓開する場所は地震の被害を受けた脆弱な場所であり、余震や大雨等で崩落したり、津波が再度来襲することも十分あり得た。南海トラフ巨大地震では、短期間に複数回のマグニチュード8クラスの地震に見舞われていることがあったため、作業は10分以内に安全な場所へ避難できる現場のみに制限された[6]。
評価
鉄道や港湾の復旧のめどが立たない中、三陸地区に通じる道路網の回復は比較的速やかに行われ、災害救助への文字通り道筋をつけた[7]。
徳山は、阪神・淡路大震災での経験から「一番本当に激しいところからは何の情報も上がって来ない」として、太平洋沿岸に大被害が生じていることを基本前提とする方針を立て、資料をまとめた。この資料説明から一晩で地元建設業者と連絡を取り52チームを結成したことが成功要因であった。また徳山は、内陸部から沿岸部への啓開ルートを16に絞ったことを、作戦初日で11ルートの啓開という早さの要因の1つとして挙げている。
また、大畠章宏国土交通大臣(当時)から「人命救助が第一義。被災者の救援活動、被災状況の早期把握、応急対策に全力を挙げること」「(東北地方整備局)局長の判断が私の判断として、国土交通省の所掌にとらわれず、予算を気にせず、被災地と被災者の救援のために必要なことなど、やれることは全部やりきること」という指示があったことも成功要因として挙げられている[8]。
