アイザイア・キャンベル (野球)
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| アリゾナ・ダイヤモンドバックス(マイナー) | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1997年8月15日(28歳) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 230 lb =約104.3 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2019年 MLBドラフト2巡目 |
| 初出場 | 2023年7月7日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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アイザイア・リン・キャンベル(Isaiah Lyn Campbell, 1997年8月15日 - )は、ポルトガル共和国アングラ・ド・エロイズモ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下所属。
プロ入りとマリナーズ時代
2018年のMLBドラフト24巡目でロサンゼルス・エンゼルスに指名されたが、契約しなかった。
2019年のMLBドラフト2巡目(全体76位)でシアトル・マリナーズに指名されてプロ入り[1][2]。
2020年は、新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、プレーしなかった[3]。
2021年にエバレット・アクアソックスでプロデビューを果たした。シーズンでは5試合に登板して3勝1敗、防御率2.33の成績を記録していたが[4]、肘の手術によって途中離脱した[5]。
2022年は、肘の負担を考慮してリリーフに転向した。8月よりAA級のアーカンソー・トラベラーズに昇格し、防御率3.46という成績を記録した。オフの11月15日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐため、40人枠に登録された[6]。
2023年7月6日にメジャー初昇格を果たし、翌7日のヒューストン・アストロズ戦(ミニッツメイド・パーク)にてメジャー初登板を果たすと1イニングを無失点に抑えた[7]。同月22日のトロント・ブルージェイズ戦にてメジャー初勝利を挙げた[8]。マリナーズでは主に救援投手として27試合に登板し、4勝1敗、防御率2.83、1セーブを記録した[9]。
レッドソックス時代
2023年11月17日にルイス・ウリアスとのトレードでボストン・レッドソックスに移籍した[10]。
2024年はメジャーで8試合に登板したが、防御率16.20、6奪三振と苦戦した[9]。オフの11月22日に一度はノンテンダーFAとなったものの同日中にレッドソックスとマイナー契約で再契約を結び、翌23日にブライアン・マタと共にAAA級ウースター・レッドソックスに配属された[11]。
2025年は開幕前のスプリングトレーニングに招待選手として参加した。ここでは6試合の登板で2ホールドを挙げたものの防御率10.13とアピールに失敗したため、開幕はAAA級ウースターで迎えた[9]。AAA級ウースターでは30試合の登板で5勝4敗7セーブとまずまずの成績を挙げると7月8にリアム・ヘンドリックスの60日間の故障者リスト入りに伴って、メジャー昇格を果たした[12]。翌9日に本拠地フェンウェイ・パークで行われたコロラド・ロッキーズ戦ではホルヘ・アルカラの後を受けて3番手で登板するもロッキーズのカイル・ファーマーに2点本塁打を浴びて2失点と役割を果たせず[13]、11日にオプションでAAA級ウースターに送り返された[9]。ウースター再配属となったあとは4試合に登板。6イニングで1勝2敗5失点(自責4)の成績ながら8月5日に同日DFAとなったアルカラと入れ替わる形でメジャー再昇格を果たした[14]。メジャー再昇格後は4試合に登板し、最初の登板となった6日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦にはジョーダン・ヒックスの後を受けて4番手で登板。この試合では2イニングを投げてロイヤルズのビニー・パスカンティーノに浴びた適時打のみの1失点に抑える好投をみせた[15]。その後も3試合連続で無失点と好投していたものの、8月16日に本拠地で開催されたマイアミ・マーリンズ戦ではスティーブン・マッツの後を受けてこの試合の4番手として登板。しかし、ヘリバート・ヘルナンデス、エリック・ワガマン、デレック・ヒルに3者連続となる適時打を許すなど0.2イニングで4失点の内容で2日後に再びオプションでAAA級ウースターに配属された[9][16]。9月29日に三度目となるメジャー昇格を果たすもこの時は登板機会が訪れることは無く、そのままシーズンを終えた[9]。また、チームはワイルドカードでポストシーズンに進出したものの、キャンベル自身はポストシーズンのロースター入りはならなかった[9]。オフの11月6日にトレイス・トンプソンらと共にFAとなった[17]。この年は最終的に6試合に登板して勝敗こそ付かなかったものの防御率7.04と2年連続で結果を残せずに終わった[9]。
ダイヤモンドバックス傘下時代
2025年12月5日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、翌2026年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった(同日中にAAA級リノ・エーシズに配属)[18]。
人物
父親が空軍に勤務していたためポルトガルで生まれたが、その後はカンザス州で育ち、高校もカンザス州のオセーレ・サウス・ハイスクールに通った[19]。