アルナ・コネ

コートジボワールのサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

アルナ・コネArouna Koné, 1983年11月11日 - )は、コートジボワール出身の元サッカー選手。元コートジボワール代表。現役時代のポジションはフォワード

ラテン文字 Arouna KONE
生年月日 (1983-11-11) 1983年11月11日(42歳)
出身地 アニャマ
概要 アルナ・コネ, 名前 ...
アルナ・コネ
2012年のアルナ・コネ
名前
ラテン文字 Arouna KONE
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
生年月日 (1983-11-11) 1983年11月11日(42歳)
出身地 アニャマ
身長 181cm
体重 81kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
コートジボワールの旗 リオ・スポール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 コートジボワールの旗 リオ・スポール 30 (17)
2002-2003 ベルギーの旗 リールセ 32 (11)
2003-2005 オランダの旗 ローダ 63 (27)
2005-2007 オランダの旗 PSV 53 (21)
2007-2012 スペインの旗 セビージャ 40 (1)
2010 ドイツの旗 ハノーファー (loan) 8 (2)
2011-2012 スペインの旗 レバンテ (loan) 34 (15)
2012 スペインの旗 レバンテ 0 (0)
2012-2013 イングランドの旗 ウィガン 34 (11)
2013-2017 イングランドの旗 エヴァートン 48 (6)
2017-2021 トルコの旗 スィヴァススポル 121 (31)
2022-2023 ベルギーの旗 VK ウェールデ
代表歴
2004-2013 コートジボワールの旗 コートジボワール 39 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。
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クラブ経歴

初期の経歴

コートジボワールの首都アビジャン郊外にあるアニャマ(Ányama)に生まれ、他の多くの少年と同じようにストリートサッカーに興じた。父親は勉学に集中して欲しいと願ったが、アルナはプロのサッカー選手に憧れていた。9歳の時に父親が死去すると、母親はアルナの大志に賛同し、地元のリオ・スポール・ダニャマの下部組織に入団した。コートジボワールから世界に羽ばたいて成功を収めたサッカー選手は小さなクラブの下部組織に入団するのではなく、アビジャンにあるASECアビジャンの下部組織に入団することが多く、兄のバカリ・コネもASECアビジャン出身である。サッカーに集中するために16歳の時に学校に行くのを辞め、17歳の時にRSダニャマトップチームに昇格し、チームのコートジボワール・プレミア・ディビジョン(1部)昇格に貢献した。2002年にはフランスRCランスのトライアルに招待されたが、個人的な事情によりランスではなくベルギーリールセSKと契約した。リールセではチームメイトと良好な関係を築き、同じコートジボワール人のAdolphe TohouaもリールセSKに加入した。デビューシーズンの2002-03シーズンは32試合に出場して11得点を挙げる活躍を見せた。2003年夏には、わずか1シーズンプレーしただけでオランダローダJCに引き抜かれた。

PSVアイントホーフェン

ローダでも即座に結果を出し、2005年夏には2004-05シーズンのリーグ王者・PSVアイントホーフェンに移籍した。ローダには移籍金900万ユーロが支払われ、背番号10番を渡された。2005-06シーズンはペルー代表ジェフェルソン・ファルファンオランダ代表ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンクと息の合ったコンビを組み、21試合に出場して11得点を挙げる活躍で自身の株を上げ、2位のAFCアヤックスに勝ち点10の大差を付けてリーグ優勝を果たした。UEFAチャンピオンズリーグでは2試合に出場したが、先発出場したのは1試合のみで、チームもベスト16に終わった。

2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではチームのフォワード陣最多の9試合に出場し、ホームとアウェーのガラタサライSK戦でそれぞれ1得点ずつを決めた。3トップの頂点や3トップのウイング、2トップの一角など様々なポジションで起用され、チームのベスト8に貢献した。2007年冬の移籍期間にはイングランドアストン・ヴィラFC[1]ウクライナFCシャフタール・ドネツク[2] などから興味を持たれた。3月には練習中に膝を負傷し、クラブや代表の重要な試合を何試合も欠場した。PSVが2位との間に築いた勝ち点差は決して追いつくことができない差のように思えたが、負傷中にじわじわと勝ち点差が縮まっていった。21節終了時点で18勝2分1敗と首位を独走していたが、22節からの10試合は3勝3分4敗と苦しみ、最終的には2位のアヤックスと勝ち点差なしでのリーグ優勝であった。欠場する試合も多かったが、31試合に出場して10得点8アシストの記録を残した。UEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦でアーセナルFCを下したが、アルナとブラジル人DFアレックスは準々決勝のリヴァプールFC戦に出場できず、2試合合計0-4で完敗した。

2007年夏にはマラリアで倒れ[3]、モスクワで開催されたロシア鉄道杯に出場できなかった。アルナが欠場したその大会では、準決勝でACミランを、決勝でレアル・マドリードを破って優勝している[4]8月20日、2007-08シーズン開幕戦のヘラクレス・アルメロ戦(2-0)にフル出場した。得点こそなかったが、イングランドミドルズブラFCのスカウトがスタンドから観戦し、600万ポンドを支払う用意があったと報道されている[5]

セビージャFC

2007年8月21日にはスペインセビージャFCとの移籍交渉が「前進した」(advanced)と伝えられ[6]8月30日に5年契約を結んだ。移籍金は800万ユーロであるが、活躍次第で900万ユーロまで上昇する[7]9月12日にセビージャの選手としてメディアに出演し、背番号22を受け取った。9月16日レクレアティーボ・ウェルバ戦(4-1)でマリ代表フレデリック・カヌーテとの交代で後半途中から出場し、リーガ・エスパニョーラ初出場を飾った。この試合ではPKを獲得したが、フォワードでコンビを組んだアレクサンドル・ケルジャコフがPKを外した。9月25日RCDエスパニョール戦(2-3)で出場2戦目にして移籍後初得点を挙げた[8]。10月2日のUEFAカップSKスラヴィア・プラハ戦には後半から出場して1得点し、4-2の勝利に貢献した[9]。2008年4月までにリーグ戦の先発出場はわずか6試合にとどまり、途中出場が11試合と多かったため、セビージャからの移籍の可能性が報道された。兄弟に会いにローマを訪れたことも、セリエAのクラブへの移籍の噂に火を注いだ[10]。2008年夏には、リヴァプールFCアルバロ・アルベロアをトレードの一部としてアルナの獲得に興味を持っているという話や、トッテナム・ホットスパーFCが興味を抱いているという話、ミドルズブラFCからオファーがあったなどと報道された。

2008-09シーズンはFCディナモ・モスクワに移籍したケルジャコフが着けていた背番号9を与えられた。2008年8月20日2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選ギニア戦に招集されたが、その試合中に膝に重傷を負い、リーグ戦の欠場を余儀なくされた[11]。検査で左膝十字靭帯の損傷が確認され、長いリハビリ期間に入った[12]2009年2月4日に練習に復帰したことが伝えられ[13]、7ヶ月の離脱期間を終えて3月に復帰したが、2008-09シーズンの出場はわずか6試合にとどまった。

2009年夏に負傷したことや、既に十分な人数のフォワードが在籍していたことなどから余剰戦力とみなされ、2009-10シーズンは監督からの信頼を失った。9月には、アフリカネイションズカップ20102010 FIFAワールドカップに出場するためにセビージャFCからの移籍を検討していることを認め[14]レアル・サラゴサへの移籍がささやかれた[15][16]。12月にはイングランドのバーミンガム・シティFCウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCハル・シティAFCバーンリーFCからの関心が伝えられた。年明けの1月にはアフリカネイションズカップ2010に参加し[17]2月1日ドイツハノーファー96に半年間の契約でレンタル移籍することが決定した[18]ボルシア・ドルトムント戦(1-4)でデビューし、その試合で初得点も決めた。ハノーファー96では2009-10シーズン終了までに8試合に出場して2得点した。

シーズン終了後にセビージャに復帰したが、出場はわずか1試合に留まり2011年8月25日レバンテUDに期限付き移籍。移籍後はチームトップの15ゴールを挙げ、チームのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に寄与した。

ウィガン・アスレティックFC

2012年8月14日イングランドウィガン・アスレティックFCに完全移籍。

エヴァートンFC

ウィガンの2部降格に伴い、2013年7月8日、恩師ロベルト・マルティネスが率いるエヴァートンFCに移籍した[19]。公式戦62試合に出場し10ゴール3アシストを記録した。

スィヴァススポル

2017年7月4日トルコスィヴァススポルに移籍した。

代表経歴

アフリカネイションズカップ2008でのアルナ(左から2番目)

世代別代表

2003年、Mama Ouattara監督が率いるU-21コートジボワール代表の一員としてアラブ首長国連邦で開催されたFIFAワールドユース選手権に出場し、Tohouaなどとともに活躍した。グループリーグではU-21メキシコ代表やU-21サウジアラビア代表を抑え、U-21アイルランド代表に次ぐ2位で通過した。決勝トーナメント1回戦ではU-21アメリカ代表と対戦し、0-2で敗れて大会からの敗退が決まった。2-1で勝利したメキシコ戦で1得点し、2-2で引き分けたアイルランド戦で2得点しており、国際サッカー連盟(FIFA)の公式ウェブサイトはアルナを「コートジボワールの攻撃の絶対的な要」と表現している[20]

A代表

2004年3月のチュニジア戦(2-0)でコートジボワール代表デビューした。アフリカネイションズカップ2006には背番号9を着けて出場して1得点し、開催国のエジプトに敗れたものの準優勝している。同年夏には2006 FIFAワールドカップの出場メンバーに選出され[21]セルビア・モンテネグロアルゼンチンオランダと強豪が揃ったグループリーグの3試合すべてに出場した。しかしアルナは得点を奪えず、チームもグループリーグ敗退に終わった。ハンブルクで行われた初戦のアルゼンチン戦はベンチスタートとなり、2点を奪われた後の77分にカデル・ケイタとの交代で途中出場した[22]シュトゥットガルトで行われた2戦目のオランダ戦はディディエ・ドログバとともに先発出場し、2度の決定機を迎えたが、結局得点できず、チームは0-2で敗れた。ミュンヘンで行われた3戦目のセルビア・モンテネグロ戦は先発してフル出場したが、早々に2点を奪われて敗れ、3戦全敗で大会からの敗退が決まった[23]

2006年10月8日アフリカネイションズカップ2008予選のガボン戦(5-0)では代表初得点を含む3得点を挙げた。クラブや代表での活躍が評価され、2006年のコートジボワール最優秀選手の候補に選ばれた。結局はドログバが受賞している。2007年6月3日、アフリカネイションズカップ2008予選のマダガスカル戦で代表に復帰した。首都アビジャンではなく北部のブアケで行われたこの試合には、ドログバやサロモン・カルーとともに3トップの一角として先発出場し、2得点の活躍で5-0の大勝に貢献した。8月17日には、エジプトで開催されるアフリカネイションズカップ2008に出場するコートジボワール代表メンバーに選ばれた[24]。背番号9を着け、グループリーグ最初の2試合はベンチから試合を見守ったが、3戦目のマリ戦では先発出場した。

人物

  • コネはムスリムであり、1日5回の祈りを欠かさず、モスクでの礼拝などではブブー(Boubou)と呼ばれる西アフリカのイスラム教徒の民族衣装を身にまとう。

家族

10人の兄弟と5人の姉妹がいる。2歳年上の兄バカリもコートジボワール代表歴のあるサッカー選手であり、オリンピック・マルセイユなどに所属した。バカリとアルナは2006 FIFAワールドカップに揃って出場している。カラモコ・コネ(Karamoko Koné)もサッカー選手であり、かつて所属したローダJCのリザーブチームに所属していた。クラブで得た報酬のいくらかをコートジボワールにいる母親や家族に仕送りしている。家族について「アフリカでは家族間の連帯意識がとても強い。僕が9歳の時に父親が死んで、僕の母親と家族は長い間を困難な状況で生きてきたんだ。僕は母親や家族に感謝しているし、僕が彼らをサポートすることができる」と語っている。2007年8月21日に初子が生まれた[25]

個人成績

2017年5月25日現在
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クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ その他 通算
ディヴィジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
リオ・スポール 2001 126-126
2002プレミア・ディビジョン 1811-1811
通算3017-3017
リールセ 2002-03ジュピラー・プロ・リーグ 321100-3211
通算321100-3211
ローダ 2003-04エールディヴィジ 281100-2811
2004-05エールディヴィジ 331400-3314
2005-06エールディヴィジ 2200-22
通算632700-6327
PSV 2005-06エールディヴィジ 211100-202311
2006-07エールディヴィジ 311000-924012
2007-08エールディヴィジ 1000-0010
通算532100-1126423
セビージャ 2007-08ラ・リーガ 21100-31242
2008-09ラ・リーガ 6000-60
2009-10ラ・リーガ 12020-30170
2010-11ラ・リーガ 1000-0010
通算40120-61482
ハノーファー 2009-10ブンデスリーガ 8200-82
通算8200-82
レバンテ 2011-12ラ・リーガ 341552-3917
通算341552-3917
ウィガン 2012-13プレミアリーグ 34114200-3813
通算34114200-3813
エヴァートン 2013-14プレミアリーグ 500010-60
2014-15プレミアリーグ 121000040161
2015-16プレミアリーグ 2552240-317
2016-17プレミアリーグ 501022-82
通算4763272406110
総通算34111113572213382122
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代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 39試合 9得点(2004年-2013年)[26]
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コートジボワール代表国際Aマッチ
出場得点
200450
200531
2006154
200764
200850
200910
201000
201100
201220
201320
通算399
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得点

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#日時場所相手スコア結果大会
1.2006年10月8日コートジボワールの旗 アビジャン ガボン5–0勝利アフリカネイションズカップ2008予選
2.
3.
4.2007年6月3日コートジボワールの旗 ブアケ マダガスカル5–0勝利
5.
6.2007年11月21日カタールの旗 ドーハ カタール6–1勝利親善試合
7.
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タイトル

クラブ

脚注

外部リンク

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