イイデライナー
From Wikipedia, the free encyclopedia
3歳秋1993年11月にデビューし、3戦目で勝ち上がり、暮れのラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)で重賞初挑戦となったが、ナムラコクオーに敗れる6着だった。年をまたいで4歳、1994年1月のシンザン記念(GIII)では、ナムラコクオーとの再戦となったが千切られ、再び敵わなかった[2]。それでも7馬身差の2着を確保した[3]。続いて2月のきさらぎ賞(GIII)では、3番人気で参戦した。逃げるサムソンビッグが、前半の1000メートルを65秒1で通過するスローペースを演出しており、中団につけたイイデライナーには、不利な展開となっていた[4]。直線に向いて外側から追い込んでサムソンビッグに接近して、ゴール寸前で並びかけた[4]。しかしアタマ差及ばず2着、重賞連続2着となった[4]。
続いて皐月賞のトライアル競走である弥生賞(GII)では、逃げて千切ったサクラエイコウオーの後を追う2着争いをエアチャリオットとナムラコクオーなどと接戦を繰り広げ[5]、ほとんど同時に決勝線通過を果たしたが、エアチャリオットとナムラコクオーにハナ+クビ、クビ差及ばず4着となり、優先出走権を逃した[6]。この後は毎日杯(GIII)に、次いで同厩のナリタブライアンが断然の人気に支持された皐月賞(GI)に参戦したが、いずれも二桁敗退、気管支炎をきたしていたための不調、回復途上ゆえの敗戦だった[7][8]。
全快初戦となったのは、東京優駿出走への「東上最終便」とされる京都4歳特別(GIII)に5番人気で参戦した。重賞2着2回で賞金は積んでいたが、敢えて参戦していた[8]。1番人気で中団後方にいるバンブーフェリーニの背後を確保し、ハイペースを追走した[8]。最終コーナーで外に膨れたバンブーフェリーニに対して、空いた馬場の中央を突いて進出し、バンブーフェリーニに並びかけて先頭を争った[8]。バンブーフェリーニには粘られたものの、半馬身先に決勝線到達を果たし、重賞初勝利を果たした[8]。その後の東京優駿は下位で敗退し、3歳馬ながら参戦した宝塚記念も同様だった[9]。以後、重賞やオープン競走を走り続け、終いには障害競走にも出走したが、勝利を挙げることができなかった。1997年6月の出走を最後に競走馬を引退した。