エイブリー・ジョンソン
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2016年のジョンソン | |
| 引退 | |
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| 愛称 | Little General |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1965年3月25日(60歳) |
| 出身地 |
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| 身長(現役時) | 180cm (5 ft 11 in) |
| 体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
| キャリア情報 | |
| 高校 | セントオーガスティン高等学校 |
| 大学 |
ニューメキシコ・ジュニア大学 (1983–1984) キャメロン大学 (1984–1985) サザン大学 (1986–1988) |
| NBAドラフト | 1988年 / ドラフト外 |
| プロ選手期間 | 1988年–2004年 |
| ポジション | PG |
| シュート | 左 |
| 背番号歴 | 15, 6, 5 |
| 永久欠番 | スパーズ 6 |
| 指導者期間 | 2004年–2019年 |
| 経歴 | |
| 選手時代: | |
| 1988 | パームビーチ・スティングレイ |
| 1988–1990 | シアトル・スーパーソニックス |
| 1990 | デンバー・ナゲッツ |
| 1991 | サンアントニオ・スパーズ |
| 1992 | ヒューストン・ロケッツ |
| 1992–1993 | サンアントニオ・スパーズ |
| 1993–1994 | ゴールデンステート・ウォリアーズ |
| 1994–2001 | サンアントニオ・スパーズ |
| 2001–2002 | デンバー・ナゲッツ |
| 2002–2003 | ダラス・マーベリックス |
| 2003–2004 | ゴールデンステート・ウォリアーズ |
| コーチ時代: | |
| 2004–2005 | ダラス・マーベリックス (AC) |
| 2005–2008 | ダラス・マーベリックス |
| 2010–2012 | ニュージャージー / ブルックリン・ネッツ |
| 2015–2019 | アラバマ大学 |
| 受賞歴 | |
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選手時代
コーチ時代
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| NBA通算成績 | |
| 得点数 | 8,817 (8.4 ppg) |
| リバウンド数 | 1,751 (1.7 rpg) |
| アシスト数 | 5,846 (5.5 apg) |
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Stats Basketball-Reference.com | |
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Stats NBA.com | |
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Coaching Stats Basketball-Reference | |
エイブリー・デウィット・ジョンソン(Avery DeWitt Johnson, 1965年3月25日 - )は、アメリカ合衆国・ルイジアナ州ニューオリンズ出身の元プロバスケットボール選手および指導者。選手時代は北米男子プロバスケットボールNBAのサンアントニオ・スパーズなどで活躍し、引退後はダラス・マーベリックス、ニュージャージー・ネッツなどでヘッドコーチを務めた。5フィート11インチの低い身長ながらポイントガードとしてリーダーシップを発揮しチームを率いたため、スパーズ在籍時、チームメイトのデビッド・ロビンソン(提督:Admiral)に対してLittle General(小さな将軍) と呼ばれた[1]。
1988年、彼はドラフトで指名されなかったが[2]シアトル・スーパーソニックスを皮切りに、デンバー・ナゲッツ、ヒューストン・ロケッツ、サンアントニオ・スパーズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、ダラス・マーベリックスで16年間NBAでプレイした。 彼が最も知られたのはサンアントニオ・スパーズに在籍していた時代(1991年,1992-1993年,1994-2001年)で特に1999年のニューヨーク・ニックスとのNBAファイナル第5戦では試合を決める重要なシュートを決めた。
ヘッドコーチ時代
2003-04シーズン終了後、彼はドン・ネルソンの下でマーベリックスのプレイヤーコーチとなった。2年間をネルソン・ヘッドコーチに学んだジョンソンは2004年10月28日に引退して専任コーチとなった。そして2005年3月19日にアシスタントコーチからヘッドコーチへ昇格した。
ジョンソンはチームを引き継いだ後、2004-05シーズンを16勝2敗して、プレイオフ1回戦でヒューストン・ロケッツを破ったが、カンファレンス準決勝でフェニックス・サンズに敗れた。ジョンソンは2005年4月に就任後最初の月に月間最優秀コーチに選ばれたがこれは史上初めてのことだった。
2005-06シーズンはより成功したものになった。ジョンソンは2005年11月に再び月間最優秀コーチとなり(自身2度目のそして4月の受賞に次いで、2ヶ月連続)、NBAのコーチとして初の就任後2ヶ月連続受賞者となった。2006年1月28日にはユタ・ジャズを降して50勝12敗として50勝1番乗りを果たした。2月にはオールスターゲームのウェスタン・カンファレンスのコーチとして選ばれた。3月15日には、82試合を指揮した(フルシーズン指揮した)最初のシーズンでの最多勝記録を更新する60勝をあげた。マーベリックスはウェスタン・カンファレンスで2番目の勝率だったが同地区のスパーズが地区優勝したため、プレーオフ第4シードだった。プレイオフでは、メンフィス・グリズリーズ、前年のNBAチャンピオンのサンアントニオ・スパーズ、フェニックス・サンズを倒して、マーベリックスを初のNBAファイナルへ導いた。しかしチームは2連勝したもののその後4連敗して敗れ去った。4月下旬、初めてフルシーズンを通して指揮を執ったシーズンながら最優秀コーチ賞を獲得した[3]。
2006-07シーズンは67勝の文句なしの成績を収め、チームをカンファレンス第1シードでプレーオフに導いた。プレーオフファーストラウンドで元上司ドン・ネルソン率いるゴールデンステート・ウォリアーズと対戦。師弟対決となったシリーズは、ウォリアーズの速い攻撃スタイルに対応できず、2勝4敗と歴史的なアップセットを喫した。翌2007-08シーズンも51勝の好成績でカンファレンス第4シードでプレーオフに臨んだが、第1回戦でニューオーリンズ・ホーネッツに敗れ、2年連続ファーストラウンド敗退となった。シーズン後、責任をとる形でヘッドコーチを解任された[4]。2008年から2年間CNNやESPNでNBA解説者を務め、2009-10、2010-11、2011-12の3シーズン、ニュージャージー・ネッツのヘッドコーチを務めた。