エウメネスの柱廊
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| エウメネスの柱廊 | |
|---|---|
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ギリシア語: Στοά του Ευμένους 英語: Stoa of Eumenes | |
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| 別名 | エウメネスのストア |
| 概要 | |
| 建築様式 | ドーリア式・イオニア式建築 |
| 所在地 | アテナイのアクロポリス |
| 自治体 | アテネ |
| 国 |
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| 座標 | 北緯37度58分14秒 東経23度43分34秒 / 北緯37.9706度 東経23.7260度座標: 北緯37度58分14秒 東経23度43分34秒 / 北緯37.9706度 東経23.7260度 |
| 完成 | BC 2世紀[1] |
| 倒壊 | AD 3世紀[1] |
| 寸法 | |
| 他の寸法 | 長さ 163m[2] |
| 技術的詳細 | |
| 構造方式 | 石造建築構造 |
エウメネスの柱廊(ギリシア語: Στοά του Ευμένους,英語: Stoa of Eumenes)はギリシャ アテネのアテナイのアクロポリスにかつて存在した長さ163mの2階建て[2]列柱廊。
アクロポリスの南麓にありヘロディス・アッティコス音楽堂とディオニューソス劇場の間に、紀元前2世紀にアッタロス朝ペルガモンのエウメネス2世により造られた。同じ時期に造られたアッタロスの柱廊より46m長かったが、商業スペースとなる小部屋は二重列柱廊内には造られていなかった。この柱廊が商業目的ではなく、施設間をつなぐ通路として計画されたからだと考えられている。列柱の外側はドーリア式、1階の内側はイオニア式が配されており、ペルガモン式の柱頭が取り付けられていた。
3世紀にエウメネスの柱廊は破壊され、石材はアテナイの防衛壁を作るために流用された[2]。
