エリク・パールタル

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本名 エリク・エンデル・パールタル
ラテン文字 Erik Paartalu
生年月日 (1986-05-03) 1986年5月3日(39歳)
エリク・パールタル
名前
本名 エリク・エンデル・パールタル
ラテン文字 Erik Paartalu
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
 エストニア
生年月日 (1986-05-03) 1986年5月3日(39歳)
出身地 シドニー
身長 193cm
体重 87kg
選手情報
ポジション MF(DMF)/DF(CB)
利き足 両足
ユース
オーストラリアの旗 NSWIS
オーストラリアの旗 ノーザン・スピリト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2004 オーストラリアの旗 ノーザン・スピリト 1 (0)
2004 オーストラリアの旗 ノーザン・タイガース 17 (4)
2004-2006 オーストラリアの旗 パラマッタ 28 (2)
2006-2008 スコットランドの旗 グレトナ 35 (4)
2008 スコットランドの旗 スターリング・アルビオン(loan) 10 (1)
2008-2010 スコットランドの旗 グリノック・モートン 57 (6)
2010-2013 オーストラリアの旗 ブリスベン・ロアー 79 (10)
2013 中華人民共和国の旗 天津泰達 30 (4)
2014 タイ王国の旗 ムアントン・ユナイテッド 24 (5)
2014-2016 オーストラリアの旗 メルボルン・シティ 40 (7)
2016 大韓民国の旗 全北現代モータース 2 (0)
2016 カタールの旗 アル・フライティヤート(loan) 10 (0)
2017-2021 インドの旗 ベンガルール 67 (9)
代表歴
2003  オーストラリア U-17 3 (0)
2013  オーストラリア 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エリク・エンデル・パールタルErik Endel Paartalu1986年5月3日 - )は、エストニアオーストラリア人の元サッカー選手。元オーストラリア代表。現役時代のポジションはMF

Kリーグ時代の登録名はパータルハングル: 파탈루)[1]

NSL

ニュー・サウス・ウェールズ・インスティチュート・オブ・スポーツ出身でノーザン・スピリトFCの下部組織に入り、トップチームに昇格。2004年1月11日のメルボルン・ナイツFC戦で途中出場しオーストラリアン・ナショナルサッカーリーグデビューするも出場はこの試合に止まり、クラブが解散した。

ノーザン・スピリトが解散したため、ニュー・サウス・ウェールズ・ウィンター・スーパーリーグに参加するノーザン・タイガースFCに移籍、2004シーズンで17試合に出場し4得点[2]

同年、ニュー・サウス・ウェールズ・プレミアリーグに参戦するパラマッタFCに移籍、2006シーズンまで在籍した。

スコットランド

2009年のパールタル

イングランドフットボールリーグ1に参戦するドンカスター・ローヴァーズFCのトライアルに参加し、移籍が期待されていたが、監督のデーヴ・ペニーが解任となって移籍はならなかった[3]

2006年9月にトライアルを経て短期間の契約ではあるが、スコットランドグレトナFCに加入。目覚ましい活躍を遂げ、2007年1月に2年半の契約を勝ち取った。2008年1月には2007-08シーズン終了までスターリング・アルビオンFCへのレンタル移籍となった[4]。スターリング・アルビオンでの初出場は2008年1月5日に行われたハミルトン・アカデミカルFC戦であった[5]。出場2試合目となったリヴィングストンFC戦でスターリング・アルビオン時代唯一の得点を記録した[6]

2008年3月にグレトナが財政破綻したため放出[7]グリノック・モートンFCに加入[8]。クラブをスコティッシュ・フットボールリーグ・ファースト・ディヴィジョンに残留させた功を評価され、2008年4月に2010年までの2年契約を勝ち取った[9]

ブリスベン・ロアー

ブリスベン・ロアーFCAリーグ2012グランドファイナル勝利をベサルト・ベリーシャとともに祝うパールタル(左)

2010年夏に契約が切れるのに先立って、彼は2010年2月24日にブリスベン・ロアーFCと仮契約に合意[10]。ブリスベン・ロアーに加入後は中盤の楔としてそして決定的な得点者として活躍、クラブに不可欠な選手となった[11][12][13]。2011年のAリーググランドファイナルでは延長戦に縺れ込んで120分に同点弾を決めてPK戦に持ち込ませ、PKも決めてクラブのリーグ制覇に大きく貢献した[14]。なおこのシーズンのレギュラーシーズン最終節、ゴールドコースト・ユナイテッドFC戦で決めたボレーシュートは同年のAリーグ年間最優秀ゴールに選定された。

翌2011-12シーズンのファイナルシリーズ第1試合でも強烈な得点を決めて、クラブの勝利に貢献した。なお彼は2010-11シーズン、2011-12シーズンともに全試合でスターティングメンバーに名を連ねていた[15]

天津泰達

2013年1月21日に、中国サッカー・スーパーリーグ天津泰達足球倶楽部に2年契約で加入[16]

ムアントン・ユナイテッド

2014年2月に天津泰達を退団すると、タイ・プレミアリーグムアントン・ユナイテッドFCに加入[17]

2014年7月にはニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFCから国内のマーキープレーヤーとしてのオファーが来たが、彼はムアントン・ユナイテッド残留を選んだ[18]。ニューカッスル・ジェッツはクレイグ・グッドウィンの後釜として9月にも再び声を掛けた[19]

メルボルン・シティ

しかし彼はこれだけ熱心で待遇も良いオファーを蹴って、9月15日に4年契約で普通のサラリーキャップのメルボルン・シティFCに移籍した[20]。これについて彼は「フィールドの内外を問わず勝利出来る気概を持っているクラブに所属したくて、そのクラブがメルボルン・シティだった」と述べている[21]。2シーズン近くで40試合7得点の結果を残した後、大韓民国に活路を求めて退団[22]

全北現代モータース

メルボルン・シティを退団した彼はKリーグクラシック全北現代モータースに加入[23]。しかし数ヶ月で崔康熙監督から韓国の速いサッカーに適応できないと見做されメンバー外落ちとなった[24]。その後数週間でトレーニングも自身でしなければならなくなるまで境遇が悪化したが、彼自身はメンバーに復帰したいと思っていた[25]。2016年10月にカタール・スターズリーグアル・フライティヤートSCにレンタル移籍[26]。同年末を以て全北を退団し、無所属となった。

ベンガルール

2017年7月5日、インド・スーパーリーグに1年契約でベンガルールFCに加入。8月23日に行われたAFCカップ20174.25体育団戦で初出場、3-0で勝利した。

代表歴

2003 FIFA U-17世界選手権にオーストラリアU-17代表として3試合全てに出場した[27]

2012年2月21日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選サウジアラビア代表戦で代表初招集[28]。7月20日に行われた東アジアカップ2013大韓民国代表戦で代表初出場。

タイトル

参考文献

外部リンク

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