ジェローム・カーン
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マンハッタンのサットン・プレイスでドイツ系ユダヤ移民の息子として生まれ、子供の時から音楽に才能を示す。1901年には初めてミュージカルのために曲を提供している。その後、反対する父を説得してニューヨーク音楽大学(現在のニューヨーク大学シュタインハルト文化・教育・人間発達学部)で学び、卒業後にブロードウェイでピアニストとして働いた後に本格的にミュージカルの作曲を始めた。
20世紀初頭におけるミュージカル作曲家の一人であり、40年以上のキャリアでの作曲数は700以上に及ぶ。コール・ポーターとならび日本人にもなじみが深く、中でも有名な曲名としては、「煙が目にしみる」や「イエスタデイズ」、「オール・ザ・シングス・ユー・アー」などがある。オットー・ハーバック、オスカー・ハマースタイン2世との共作も多く残した。
1940年、ハマースタインはドイツに侵攻されたフランスへの想いを込めて「The Last Time I Saw Paris」を作詞した。カーンにとって歌詞ありきでの作曲、およびミュージカル作品以外でのヒット曲はこれが最初で最後であった[1]。まずはトニー・マーティンの歌唱でヒットし、その後ノエル・カワードの歌唱でヒットした。1941年、この曲は映画『レディ・ビー・グッド』で使用され、アカデミー歌曲賞を受賞した。
1945年秋、「ショウボート」再演のためのオーディションの審査ためニューヨークに戻り、ロジャース&ハマースタインのプロデュースによるミュージカル「アニーよ銃をとれ」の作曲を始めていた。11月5日、60歳の頃、パーク・アベニューと57番通りの交差点を歩行中に脳内出血で倒れた[2]。身元がわかるものが米国作曲家作詞家出版者協会のカードしかなく、市民病院の貧困病棟に搬送され、その後マンハッタンにあるドクターズ・ホスピタルに転院した。ハマースタインはカーンが息を引き取るのを看取った。ハマースタインはカーンの耳元で、2人が製作したミュージカル「空飛ぶ音楽」の曲「"I've Told Ev'ry Little Star"」を歌った。反応はなく、ハマースタインはカーンが亡くなったことを悟った[3]。その後、ロジャースとハマースタインは「アニーよ銃をとれ」の作曲をブロードウェイのベテラン作曲家であるアーヴィング・バーリンに依頼した[4]。
ニューヨーク州ウエストチェスター郡のファーンクリフ墓地に埋葬された。
仕事への姿勢
代表曲
- 「君は我がすべて」- "All the Things You Are"
- 「愛さずにはいられない」- "Can't Help Lovin' Dat Man"
- 「ア・ファイン・ロマンス」- "A Fine Romance"
- 「アイム・オールド・ファッションド」- "I'm Old Fashioned"
- 「オールマン・リバー」- "Ol' Man River"
- 「ピック・ユアセルフ・アップ」- "Pick Yourself Up"
- 「煙が目にしみる」- "Smoke Gets in Your Eyes"
- 「歌こそは君」- "The Song Is You"
- 「今宵の君は」- "The Way You Look Tonight"
- 「フー?」- "Who?"
- 「ホワイ・ワズ・アイ・ボーン?」- "Why Was I Born?"
- 「イエスタデイズ」- "Yesterdays"
- 「ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング」- "Look for the Silver Lining"
- 「ノーバディ・エルス・バット・ミー」-" Nobody Else But Me"