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ストーミングホーム

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ストーミングホーム
マクトゥーム・アール・マクトゥームの勝負服
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1998年2月14日
死没 不明(2020年用途変更)
父 Machiavellian
母 Try To Catch Me
母の父 Shareef Dancer
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Gainsborough Stud Management Ltd.
馬主 Maktoum bin Rashid Al Maktoum
調教師 バリー・ヒルズ(イギリス)
→ニール・ドライスデール(アメリカ)
競走成績
生涯成績 24戦8勝
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ストーミングホーム (Storming Home) とは、イギリス生まれの競走馬、種牡馬。2002年ジャパンカップに出走し、日本でチークピーシズが普及するきっかけを作った。種牡馬として一時期日本でも活動した。

競走馬時代

2000年(2歳)、7月のデビュー戦は9着だったが、2戦目で初勝利を挙げた。重賞初挑戦となったソラリオステークス (G3) では2着となったが、タタソールステークス (G3) は9着だった。

2001年(3歳)、4月に2勝目を挙げ(ブルーリバンドトライアルステークス)、ダンテステークス (G2) 3着となって挑んだダービーステークスは、ガリレオ (Galileo) らに敗れ7着だった。続くキングエドワード7世ステークス (G2) を制し、重賞初勝利を挙げたが、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでは、再びガリレオに敗れ4着だった。その後はグレートヴォルティジュールステークス (G2) で2着、ニエル賞 (G2) で7着となった。

2002年(4歳)、ジョッキークラブステークス (G2) で3着、コロネーションカップ (G1) で2着、ハードウィックステークス (G2) で2着と惜しいレースが続き、2年連続で出走したキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでは6着だった。その後2戦して1勝し、チャンピオンステークス (G1) でムーンバラッドら相手にG1初勝利を挙げる。そして日本に初来日を果たし、中央競馬初出走となったジャパンカップでは15着という結果に終わった。

2003年(5歳)、アメリカのニール・ドライスデール (Neil D. Drysdale) 厩舎へ転厩し、移籍2戦目のチャールズウィッティンガムメモリアルハンデキャップ (G1) を制した。続くアーリントンミリオンは1着で入線したが、降着で4着だった。続くクレメント・L・ハーシュメモリアルターフカップステークス (G1) を制したが、ブリーダーズカップターフで7着となり、このレースを最後に競走馬を引退することになった。

種牡馬時代

2004年(6歳)、シャドウェルスタッドで種牡馬入り。初年度種付料は1万ポンド。海外時代の産駒は2頭がG1を勝っている。

2006年(8歳)、ナナリースタッドに繋養先が移動。

2007年(9歳)、初年度産駒デビュー。日本に輸入され、ダーレージャパンスタリオンコンプレックスで繋養される。翌年より日本で供用が開始され、初年度の種付料は250万円。

2011年(13歳)、日本での初年度産駒がデビュー。

2015年(17歳)、イーストスタッドに繋養先が移動。2014年末時点での産駒成績は、中央重賞勝ち馬はおらず、地方重賞勝ち馬を2頭出すにとどまった。

2017年(19歳)、この年の種付けシーズン終了後にクラックステーブルに移動[1]

2020年(22歳)、用途変更となる[2]。その後の行方は不明。

代表産駒

エピソード

  • 2002年のジャパンカップでは、当時日本に馴染みの薄かったチークピーシズを装着していたことで話題となり、日本におけるチークピーシズ普及の火付け役となった。
  • 神経質な馬で、5歳時のアーリントンミリオンではレース中に観衆からの声援に驚いて大きく斜行し、騎手を振り落としてしまい1着入線しながら4着降着となった。
  • 血統表を見ると判るように、父方の祖父であるミスタープロスペクターの2×3(37.50%)をはじめ、ネイティヴダンサーの4×5×5×5(15.63%)やナタルマの4×4(12.50%)など非常に強いインブリードを持つ。ストーミングホーム自身は頑健であり、2歳時から5歳までの競走生活で世界各地のレースを転戦しつつ、大きな故障をすることなく24戦に出走している。

血統表

脚注

外部リンク

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