スーパーガール (1984年の映画)
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| スーパーガール | |
|---|---|
| Supergirl | |
| 監督 | ヤノット・シュワルツ |
| 脚本 | デヴィッド・オデル |
| 原作 |
キャラクター創造 オットー・バインダー アル・プラスティーノ |
| 製作 | ティモシー・ブリル |
| 製作総指揮 |
イリヤ・サルキンド アレクサンダー・サルキンド |
| 出演者 |
ヘレン・スレイター フェイ・ダナウェイ ピーター・オトゥール ミア・ファロー |
| 音楽 | ジェリー・ゴールドスミス |
| 撮影 | アラン・ヒューム |
| 編集 | マルコム・クック |
| 製作会社 | プエブロ・フィルム AGプロダクションズ |
| 配給 |
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| 公開 |
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| 上映時間 |
105分 (アメリカ) 124分 (国際版)[1] 138分 (ディレクターズカット版)[2] |
| 製作国 |
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| 言語 | 英語 |
| 製作費 | $35,000,000[3] |
| 興行収入 | $14,300,000[4] |
『スーパーガール』(原題:Supergirl)は、1984年に公開されたイギリス製作のスーパーヒーロー映画。DCコミックスに登場する同名キャラクターを原作としている。監督はヤノット・シュワルツ。出演はヘレン・スレイター、フェイ・ダナウェイ、ピーター・オトゥールなど。
日本公開時のキャッチコピーは「ドキッと初登場! この夏、少女はヒーローになる。」
映画プロデューサーのアレクサンダー・サルキンド親子が『スーパーマン』(1978年)に続いてアメリカン・コミックスのヒーローを実写映画化した作品。主人公のスーパーガール役には、数百名のオーディションの中から無名の新人ヘレン・スレイターが起用された。
この映画は1984年7月14日に日本で、続いて7月19日にイギリスで公開され、11月21日からアメリカでも公開されたが、批評家や観客からの反応は芳しくなく、製作費3,500万ドルに対して興行収入は1,400万ドルに留まった[3][4]。映画公開前は3部作のシリーズ化を予定していたものの、本作および同時期に製作した映画『スーパーマンIII/電子の要塞』(1983年)の興行が共に失敗したことにより、サルキンド親子はスーパーマンシリーズの映画化権をキャノン・グループに売却した[5]。
当時のスレイターはアメリカ国内で目にした数々の酷評や、続編の計画がキャンセルされたことで、自分の力が至らなかったのだと胸を痛めた。しかし女性ヒーローが支持される2000年代に入って各地の映画コンベンションに参加するようになったスレイターは、自分が出演した『スーパーガール』が多くのファンからとても愛され、再評価されていたことを知り、驚きと共に感激したという[6]。
ストーリー
クリプトン星爆発の影響から逃れ、インナースペースと呼ばれる異次元に入り込んだことで生き延びた人工都市アルゴ・シティ。彫刻家の魔法使いザルターは、アルゴ・シティの動力部を掌る超エネルギーの球体オメガヘドロンを勝手に持ち出していた。半日のうち元の場所へ戻すつもりだったが、ザルターが目を離した隙に、カル゠エル(スーパーマン)の従兄妹カーラの過ちでオメガヘドロンは外宇宙に飛んで行ってしまう。カーラの両親ゾー゠エルとアルラーは都市の心臓を10代の子どもに預けていたザルターを非難するが、責任を感じたカーラは小型ポッドに乗り込み、オメガヘドロンが飛び去った地球へ回収に向かう。その過程で彼女はスーパーガールに変身した。
地球に堕ちてきたオメガヘドロンは、魔女セレナが偶然拾っていた。セレナは親しかった魔術師ナイジェルを追放した上で友人のビアンカに協力させ、この球体に秘められたパワーを悪用しようと考える。一方、地球に到着したカーラは、自らの正体を隠すために女学院の生徒リンダ・リーと名乗り、ルームメイトのルーシー・レインと親しくなった。セレナは逞しい庭師の青年イーサンを気に入り、服用後に最初に目にした女性に惚れる媚薬を飲ませるが、手違いからイーサンが薬を飲んだ後に初めて見た女性はリンダ・リーことスーパーガールだった。計画が狂ったセレナは激怒し、誘拐したイーサンを餌におびき出したスーパーガールを、宇宙の流刑地ファントム・ゾーンへ送り込んでしまう。オメガヘドロンを失くした罪を問われたザルターもファントム・ゾーンに幽閉されており、ここに飛ばされて気絶していたカーラを救出する。ザルターは彼女を元の空間へ帰すために尽力するが、カーラを出口まで送り届けて力尽き、「いつもお前のそばにいるぞ!」と言いながら暗黒の竜巻の中に消えて行った。
スーパーガールが不在になった町はセレナの手中に落ち、魔術でセレナの召使のようにされたイーサンを始め、ルーシーや彼女の恋人ジミー・オルセン、そしてナイジェルたちがセレナの城に囚われていた。鏡の世界を抜けて城内に現われたスーパーガールを倒そうと、セレナはオメガヘドロンの力を使って巨大なデーモンを召喚する。スーパーガールはセレナの魔術とデーモンのパワーに圧倒されるが、“諦めるな”と最期まで彼女を励まし続けたザルターの声を思い出し、デーモンを振り払う。「今のうちにセレナを拘束するんだ」と叫ぶナイジェルの助言に従い、スーパーガールは旋風を巻き起こしてセレナの自由を奪う。コントロールを離れたデーモンはセレナとビアンカを飲み込み、全ては鏡の中に封印された。
スーパーガールは取り戻したオメガヘドロンを持って故郷へ帰らなければならないと話し、魔術が解けて我にかえったイーサンは、彼女がリンダと同一人物と気付いて「元気で」と別れを告げた。ルーシーとジミーは、自分たちは何も見なかったとして、この秘密を誰にも話さないことを約束する。空の彼方へ飛び去って行くスーパーガールを見送るイーサンは、「さようなら、リンダ」と小さくつぶやくのだった。
キャスト
| 役名 | 俳優 | 日本語吹き替え[7] |
|---|---|---|
| カーラ・ゾー゠エル/リンダ・リー | ヘレン・スレイター[8] | 石川秀美 |
| セレナ | フェイ・ダナウェイ[8] | 来宮良子 |
| ザルター | ピーター・オトゥール[8] | 野沢那智 |
| アルラー(カーラの母) | ミア・ファロー[8] | 小宮和枝 |
| イーサン | ハート・ボックナー[8] | 水島裕 |
| ジミー・オルセン | マーク・マクルーア[8] | 古川登志夫 |
| ビアンカ | ブレンダ・ヴァッカロ[8] | 中西妙子 |
| ナイジェル | ピーター・クック[8] | 家弓家正 |
| ゾー゠エル(カーラの父) | サイモン・ウォード[8] | 西村知道 |
| ルーシー・レイン | モーリーン・ティーフィー[9] | 麻上洋子 |
| その他 | N/A | 佐々木るん、山内雅人 勝生真沙子、田辺宏章 秋元羊介、神代知衣 羽村京子、巴菁子 |
| 日本語版制作スタッフ | ||
| 演出 | 小林守夫 | |
| 翻訳 | 額田やえ子 | |
| 調整 | 丹波晴道 | |
| 効果 | 遠藤堯雄、桜井俊哉 | |
| 制作 | 東北新社 | |
| 初回放送 | 1986年5月3日 『ゴールデン洋画劇場』 | |
※吹替版は2003年11月21日にジェネオンエンタテインメントより発売されたスペシャルエディションDVD(品番PIBF-1543)に収録
スタッフ
- 監督 - ヤノット・シュワルツ[8]
- 製作 - ティモシー・ブリル[8]
- 製作総指揮 - イリヤ・サルキンド[8]、アレクサンダー・サルキンド[8]
- 脚本 - デヴィッド・オデル[8]
- 撮影 - アラン・ヒューム[8]
- 編集 - マルコム・クック[8]
- 美術 - リチャード・マクドナルド[8]、テリー・オークランド・スノー[8]
- キャスティング・ディレクター - エスタ・チャーカム[9]、リン・スタルマスター[9]
- 衣装デザイン - エマ・ポーティアス[8]
- 特殊効果 - デレク・メディングス[8]
- 光学合成/視覚効果 - ロイ・フィールド[9]
- 音楽 - ジェリー・ゴールドスミス[8]
- スタント・コーディネーター - アルフ・ジョイント[9]
- スタントダブル(ヘレン・スレイター) - トレーシー・エドン[9]
- 第2班監督 - デヴィッド・レーン[9]
- 助監督 - デレク・クラックネル[9]
- 字幕 - 戸田奈津子[8]
企画
映画プロデューサーのアレクサンダー・サルキンドとイリヤ親子は、1970年代にDCコミックスのヒーロー、スーパーマンの映画化権を300万ドルで買い取った際、膨大な権利の中にスーパーガールのキャラクターが含まれていることに気が付いた。リチャード・ドナー監督の『スーパーマン』(1978年)が大成功を収めたことで、サルキンド親子はクリストファー・リーヴを足がかりに、様々なスピンオフ作品やシリーズ化などのフランチャイズ展開を考えた[10][11]。
イリヤ・サルキンドは『スーパーマンIII/電子の要塞』の製作前に、作中にスーパーガールを登場させようとしたが、配給元のワーナー・ブラザースが(当時としては)知名度の低いキャラクターを出すことに消極的だったため、この話は見送られた。そこでサルキンド親子は『スーパーマンIII』の撮影が始まる前に、スーパーガールの単独映画化を発表した。イギリスの映画雑誌『スクリーン・インターナショナル』は1982年4月のニュースとして、映画プロデューサーたちが3,000万ドル規模の『スーパーガール』の映画化企画を進めており、同年後半から製作に入ると報道した[10][12]。
製作
映画の製作にあたり、プロデューサーたちは『スーパーマンII 冒険篇』(1980年)のリチャード・レスターを監督に想定していた。サルキンド親子との確執からリチャード・ドナーが撮影途中で降板した『スーパーマンII』を引き継ぎ、完成させたレスターに再び頼ろうとしたのだが辞退された[5]。次にロバート・ワイズにも監督のオファーを出したが辞退されてしまった。クリストファー・リーヴが自身の主演作『ある日どこかで』(1980年)で組んだフランス人監督ヤノット・シュワルツを推薦していたので、製作陣はシュワルツを監督に雇うことにした[5]。当時ロサンゼルスにいたシュワルツは、『スーパーガール』の映画化の話を電話で聞かされたが、自分が今までやってきた作品とあまりに方向性が違うため「それは人選の間違いだろう。他の人に頼んだらどうだ」と答えた。しかし結局ロンドン行きの飛行機に乗せられ、プロデューサーのイリヤ・サルキンドとティモシー・ブリル、第2班監督のデヴィッド・レーンや特殊効果担当のデレク・メディングスを始めとしたスタッフを紹介された。チームの雰囲気はなかなか良く、特にイリヤとは気が合い、読ませてもらった脚本を気に入ってシュワルツは監督を請けることにした[13]。シュワルツは、ドナーに制作の技術面について助言を求めた[5]。
シュワルツが読んだ脚本は、スーパーガールが従兄妹のスーパーマンと宇宙で出会い、セレナの魔法にやられて不死の力を失ったスーパーマンを、スーパーガールが牢獄から救出するドラマチックな展開があった。また、スーパーマンがスーパーガールの良き指導者となり、彼女に力の使い方を教えるシーンも用意されていた。シュワルツはこれに魅かれて監督を引き受けた。しかし肝心のクリストファー・リーヴは、『スーパーマンII』と『スーパーマンIII』で第1作に比べて作品の質が低下したことや、特に奇妙なコメディ要素を採り入れた『スーパーマンIII』の出来に懸念を抱いていた。シュワルツに『スーパーガール』の監督を勧めたのはリーヴだったが、製作開始の3ヵ月前に「どうもしっくりこない」とシュワルツに伝えて、リーヴは出演しないことになった[13][14]。本作で“スーパーマンが別の宇宙に旅立った”とラジオからニュースが流れる場面があるのは、リーヴが出演しなくなったことを受けて脚本が書き直された結果によるものだ[15]。
イリヤ・サルキンドの話では、デヴィッド・オデルによる脚本は素晴らしいアイデアに溢れていたが、そのまま映画化すれば特殊効果のために製作費は2億ドルになるだろうと思われ、予算を抑えるべく多くの要素を削減することになったという。脚本の改定にあたって、マーティン・スコセッシの『ニューヨーク・ニューヨーク』(1977年)で脚本を書いたアール・マック・ローチがノンクレジットで雇われた[16]。スーパーマンのカメオ出演が無くなった以外にも、脚本の内容は大きく変わった。オデルは多くの書き直しを続けたことで、シュワルツが参加した頃には燃え尽き症候群に陥っていた。撮影に入るまでに脚本は5回も改稿されており、あるバージョンではクリプトン星の破壊から始まるものがあった。オリジナルの脚本には、スーパーガールとスーパーマンがタッグを組んで、DCコミックスの悪役ブレイニアックと対決する展開もあったが、リーヴの出演がNGになったことと、DC側がブレイニアックの使用を却下したことで、脚本は全面的に書き直されることとなる。製作がかなり進んでからシュワルツは内容の変更点を知らされ、そのいくつかは良くないものだと感じたが、すでにプリプロダクションに6ヵ月間も関わっていたので企画から降りる気にはならなかった[13][15]。
キャスティング
キャスティング・ディレクターのリン・スタルマスターは、まさに世界を駆けまわってスーパーガールにぴったりな女優を捜していた。シュワルツは単に見栄えが良いだけの女性でなく、撮影前のトレーニングに弱音を吐かない、芯の強い人を見つけて欲しいと伝えていた。大勢の女優と会う中で、シュワルツは容貌と声の良さでデミ・ムーアをとても気に入り、主人公のルームメイトに使いたいと思ったが、彼女は『アバンチュール・イン・リオ』(1984年)の撮影でブラジルに行くことが決まっていたため叶わなかった[13]。
スーパーガールのオーディションを受けた女優は数百人に登り、その中にはブルック・シールズやデブラ・ウィンガー、メラニー・グリフィスもいた。アレクサンダー・サルキンドは主演に有名女優を欲していたが、息子のイリヤと監督のシュワルツは無名の女優が良いと判断し、舞台を中心に活動していた18歳(当時)の新人ヘレン・スレイターを起用した[5][15]。オーディションに立ち会ったスタルマスターは350人と面接し、その中から候補者を50人に絞り込んだ。「監督やプロデューサーたちには、見込みがある8人を会わせたが、ヘレンは最有力候補だったんだ」とスタルマスターは最初から彼女に目を付けていたと話している。スレイターは最初、リンダ・リーの衣装を着てオーディションを受けており、リンダはヒーローに憧れている普通の女学生と思い込んでいたが、最終審査に入る時に初めてスーパーガールの地球上の姿だと聞かされたという[11]。他にルーシー・レイン役にも応募していたスレイターは、1982年9月と10月にニューヨークで2回のオーディションを受け、その後ロンドンでスクリーンテストを受けて11月に主役に決まった[6]。シュワルツの談話によると、スレイターはスーパーガールのオーディション時にタイツとマントを身に着けた即興の衣装で現われ、青い瞳やアゴのラインなど他の誰も敵わないほど完璧に見えたという[13]。スレイターは3本の映画に出演する契約で7万5,000ドルの報酬を手にした[5][10]。
敵役のセレナにはドリー・パートンが検討され、700万ドルのギャラで出演オファーを出していたが、いくら提示されても魔女の役は無理だとして断られた。ゴールディ・ホーンもこの役のオファーを辞退していた[15]。監督に就任したシュワルツは、イリヤ・サルキンドからパートンに打診した話を聞かされて、決して悪い女優ではないがセレナのキャラクターに彼女は合わないだろうと考え、最終的にフェイ・ダナウェイがキャスティングされた。ジェーン・フォンダはビアンカ役でオファーを受けていたが、ダナウェイの添え物の役を演じるのが嫌で断り、このキャラクターはブレンダ・ヴァッカロに決まった。ダドリー・ムーアはザルター役で400万ドルのオファーを受けて辞退したが、テレビの仕事で組んでいた友人のピーター・クックにナイジェル役で出演するよう依頼した。ダドリー・ムーアは本作を断った代わりに、翌年にシュワルツが監督した子ども向けファンタジー映画『サンタクロース』(1985年)に出演してくれた。ザルター役に決まったピーター・オトゥールはシュワルツとすぐ親しくなり、新人のスレイターに対しても、優しく親切に接していた[13][15]。
撮影

撮影前に基礎体力を付けるため、スレイターは3ヶ月間のトレーニングを積んだ。『スーパーマン』でリーヴを鍛えたスタント・コーディネーターのアルフ・ジョイントがトレーナーにつき、動きにキレが出るように乗馬やフェンシングもトレーニング・メニューに採り入れた[11]。主要な撮影は1983年4月18日からイギリスのパインウッド・スタジオで始まった[10]。映画の製作費は全額をサルキンド親子が賄っていたが、配給権を持つワーナー・ブラザースの親会社ワーナー・コミュニケーションズがスーパーマンシリーズに関するあらゆる著作権を持つDCコミックスの親会社でもあったため、製作に関与していた。映画は1984年7月の公開を目指して、ワーナーの管理下で撮影、監修が行なわれた[5]。スレイターはパインウッドで撮影していた頃、偶然にもクリストファー・リーヴと一緒だったと話している。「『スーパーマンIII』の撮影中だったのか時系列はよく覚えていないけど、とにかく彼もそこにいました。それからニューヨークに戻って来て私たちは友だちになりました。私はまだ18歳で、彼はずっと年上でしたから30代ぐらいだったかも。でも兄妹のような、私を守ってくれるような存在で、一緒に過ごしていると暖かい気持ちになりました」とスレイターは回顧した[6]。
初期のプロデューサーは、イリヤのパートナーのアリッサ・カルタヘナが担当していたが、プリプロダクションから撮影の間、イリヤの父アレクサンダーとの間にはずっと緊張関係が続いた。カルタヘナは何度も書き直された脚本にも、映画のプロモーション活動にも満足できず、最終的に共同プロデューサーのティモシー・ブリルに全てを一任する形で映画から降りることになった。カルタヘナは大部分の製作資金の確保に奔走し、高額なギャラだったダナウェイのキャスティングにも尽力していたので強い憤りを感じていた[15]。
スーパーガールが湖の中から飛び出すショットは撮影監督のアラン・ヒュームがアイデアを出し、両腕を伸ばしたスレイターの全身写真を拡大したものを木に貼りつけ、撥水加工を施した物を水中から引き上げた。そのため注意深く見ると、上から吊るしているワイヤーが確認できる[13][15]。ショベルカーが町を暴走するシーンは、美術監督リチャード・マクドナルドが作ったミニチュアを元に、パインウッド・スタジオの中にアメリカ中南部の小さな町を丸ごと建てた[11]。ショベルカーの一部をスーパーガールが持ち上げる場面は、バケット部分とスレイターを別々にワイヤーで吊って動きを同期させるライブ撮影を行なっている[13]。
撮影は1983年8月11日に終了した[10]。しかし撮影中の6月17日に公開された『スーパーマンIII』は批評家筋からの評判が悪く、興行的にも不振だったことからワーナーのパートナーシップに影響を及ぼした。サルキンド親子は1984年夏季のロサンゼルスオリンピックや他の作品との競合を避けるべく、公開時期を夏から冬のホリデーシーズンに変えようと主張したが、ワーナーは冬季の公開枠を確保できないとして配給権をサルキンドに譲って降りてしまった[5]。
シュワルツは『スーパーガール』を振り返る1999年のインタビューの中で「彼ら(ワーナー)は土壇場で“この映画をやりたくない”と言い出しました。その後、ワーナーが変更を望んだのか、トライスター ピクチャーズが加わったことで何か(内容の)変更が起きたかのどちらかです」と話し、こう続けた。「私は何が起こったのか、正直よく分かりません。よくある話ですが、映画は一度制作に入ったら、修正をすると言っても結局は直らないんです。クリス(リーヴス)が降板したこともそうです。スーパーマンと新ヒロインの出会いが脚本に独創性を与えていたので、クリスが“この映画は自分にふさわしくない”といって降りたことが、最後まで作品に大きなダメージを与えていたと思います」[13]。
フェイ・ダナウェイを巡るトラブル
撮影終了後、ブレンダ・ヴァッカロはフェイ・ダナウェイが映画製作中に数々のわがままな振る舞いをしたと公に証言した。ヴァッカロがダナウェイに向かって台詞を言う場面で、ダナウェイは自分と同じ画面に共演者が映りこむことを拒否して癇癪を起したのだ。監督のシュワルツが同じフレーム内に他の俳優が入らないようクローズアップで撮ると約束したにも関わらず、ダナウェイは台詞を言わなかったため、怒ったヴァッカロはセットを出て行った。またヴァッカロは、ダナウェイが衣装スタッフを厳しく叱責していたことも話した[15]。
ヴァッカロは撮影現場の様子をこう語っている。「彼女は撮影スタッフにもよく文句を言っていました。“何でブレンダ(ヴァッカロ)みたいに照明を当ててくれないの?”って。カメラマンのアラン・ヒュームはとてつもなく辛抱強く、優しい人で、フェイ(ダナウェイ)をまるで女王のように扱っていました。フェイが演じていたのはプライドが高く、他人を信じない内向的なキャラクターで、彼女自身も内向的な人だった。自分の見た目や衣装のことばかり気にする、わがままな女優だったの。彼女との関係を進展させることは出来なかったけれど、私は私にやれるだけのことを精一杯やりました」。撮影中、常に髪や衣装を気にかけてピリピリしていたダナウェイに、ヴァッカロは「リラックスして。これはただの楽しい映画なのよ」と、落ち着くように何度も声をかけ続けた。ジミー役のマーク・マクルーアも「撮影中、フェイとはあまり一緒に過ごせなかったんです。フェイがセットに入っている間は、喋ったりふざけたりしちゃいけないルールがあったのは知っています。でもそういう決まりごとが、このプロジェクトに役立ったかどうかは判りません。僕らが撮っていたのは『スーパーガール』であって、『チャイナタウン』じゃないからね。少しは軽い演出やユーモアも必要だったと思います」と現場の雰囲気について明かした[16][17]。
ダナウェイは顔のアップを撮る時はソフトフォーカス・レンズを使って、照明も変えるようシュワルツに命じていた。シュワルツは他のカットと画面のトーンが変わることに納得できなかったが、映画を完成させるために彼女の要求をいくつか飲むことにした。こうした共演者や制作スタッフに対するダナウェイの不遜な態度は、ピーター・クックを非常に苛立たせた。クックは彼女の横暴な振る舞いと、撮影時間を厳守しない態度がスケジュールの遅延を招いたと強く批判して、プロデューサーにクレームをつけた。スタッフ、キャストからの不満の高まりと苦情を受けたプロデューサーは、撮影中にダナウェイを解雇してアンジェリカ・ヒューストンか、ジェーン・フォンダにキャスト変更することも実際に検討していた[15]。
これらの話を肯定したスレイターも、ダナウェイが異常なまでの完璧主義者だったと話した。だがスレイターもヴァッカロも、ダナウェイの並外れた演技力は高く評価している。スレイターは、40代半ばになって良い役を得られなくなり、周囲との軋轢から解雇寸前だったダナウェイの焦りに同情し、そうした色々な感情の不安定さが爆発したのではないかと推し量っている。本作は『愛と憎しみの伝説』(1981年)、『二つの顔の貴婦人』(1983年)と並んで、フェイ・ダナウェイの輝かしいハリウッドスターのキャリアを終わらせた3本の中の1本と見られている[15]。
興行
アメリカでのテスト試写では映画が長すぎると観客が感じたことから、135分だったものが105分に編集され、トライスター・ピクチャーズ配給で1984年11月21日に公開された[5]。シュワルツは次回作『サンタクロース』の準備に追われて試写に参加していなかったが、とても評判が悪かったことを後から聞いて、顔を出さなくて済んだのは幸いだったと感じた[13]。
北米公開時には、封切りから5日間で770万ドルの成績をあげてホリデーシーズンのトップを飾ったが[18]、最終的には1,430万ドル程度の興行成績に留まり、失敗作と見られている。当時の『シカゴ・トリビューン』 の記事には「スタジオにとって明らかな失望だったこの映画は、感謝祭の頃に公開されて数週間で劇場から姿を消しました」と書かれている[19]。
プロデューサーのイリヤは「公開初週は確かに1位だったのに、その後は下降線を辿りました。問題は“『スーパーマン』の製作陣による映画”と宣伝したことだと思います。この映画単独で勝負するべきだったかも知れない」と嘆いた。映画が不調な結果に終わったことで、出演者たちも『スーパーガール』に複雑な思いを寄せた。ヴァッカロは「何かが欠けていた。フェイのキャラクターが問題だったと思うわ。彼女には楽しさも悪役の派手さもない。良い子を破滅させようとする悪い老魔女…というストーリーもよく分からなかったし。セレナが何故あんなにスーパーガールに反発したり執着しているのか、全く理解できなかった」と述べた。リーヴ主演の『スーパーマン』シリーズと同じ役で出演したマクルーアも「ヘレン(スレイター)のことは大好きだけど、脚本にはついていけなかったし、演出も腑に落ちなかったな。シュワルツは本来あるべき以上に映画を大袈裟にしていたように思う。コミックのシーンを描く時は常に誠実で、観客が信じたいものは総て信じさせるべきなんだ。その基準を逸脱すると、作品自体が自らを嘲笑し始める。ディック(リチャード・ドナー)は最高だった。彼はスーパーマンを信じていたからね」と語っている[16]。本作の興行成績の低さは、歴代スーパーマン映画の中でも『スーパーマンIV/最強の敵』(1987年)の1,500万ドルに次ぐものであった[15]。
評価
レビューアグリゲーターのRotten Tomatoesでは120人の批評家レビューによる支持率が19%と低く、10点満点中3.8点の評価となっている。同サイトの総意は「特殊効果は安っぽく、ストーリーには何の目的もなく、目を大きく見開いた明るいヒロインは単純に面白くない」というものだった[20]。加重平均を用いるMetacriticは13件の批評家レビューに基づき、41/100点で「賛否両論、あるいは平均的評価」のスコアを記録した[21]。
『バラエティ』は、本作でスクリーンデビューを飾ったヘレン・スレイターを「掘り出し物だ」と評した。「ブロンドヘアのスーパーガールでも、黒髪のリンダ・リーでも、スレイターは魅力的なヒロインを演じている。脚本の台詞回しはウィットに富んでいるが、シュワルツの演出はやや平板である」としている[22]。
『ニューヨーク・タイムズ』の女性ジャーナリスト ジャネット・マスリンは、『スーパーガール』がシリーズの水準をほぼ維持し、非常に馴染み深い作品だとしながら、「当初は2人の従兄妹の違いに興味をそそられるが、すぐに斬新さを失ってしまう」と書き、「魔女役を大いに楽しんでいるように見えるダナウェイでさえ、題材の軽薄さに窮屈さを感じているようだ」と指摘した。だが主演のスレイターに対しては「揺るぎない誠実さを備えた典型的ヒーローを演じていて、見ているだけでも楽しい」と一定の評価を与えている[23]。
『シカゴ・サンタイムズ』の映画評論家ロジャー・イーバートは、『スーパーマン』の映画は第2作目までは傑作だが、3作目はドタバタ喜劇で滑稽な出来だと書き、その上で「私たちが『スーパーマン』や『スーパーガール』を観に行くのは、登場人物を見下して笑うためではない。スーパーヒーロー映画自体が失いつつある純粋さを取り戻すために劇場に足を運ぶのだ。クリストファー・リーヴはスーパーマンという役を真剣に受け止め、笑うことなく演じている。ヘレン・スレイターにも同じ才能があるが、この映画ではその力を発揮できず、結果として面白くもなく刺激のない映画になっている」と残念さを滲ませた。最後にイーバートは、「まるで自分自身を笑っているかのような映画を、なぜわざわざ作る必要があるのだろう」と締めくくって、4点満点中2点を付けた[24]。
『タイムアウト』誌は「スーパーマンシリーズの中でも、物語の都合を全く気に留めない所が愉快だ。カーラはどうやってスーパーガールに変身するのか? あのヒラヒラした衣装はどこから出て来るのか? オメガヘドロンとは何か? そんなことは誰も聞かないだろうから、そもそも考えられていないのだろう。中南部の風景は明らかにパインウッド製で、渦巻くペイント効果はAIPのSF映画レベル。名スターのダナウェイとオトゥールはダブダブのニットをまとい、映画が求めている以上の演技を見せてくれる」と、揶揄気味のレビューを寄せた[25]。
『DVD Talk』のアール・クリッシーのレビューでは、「正直に言うとガッカリした映画です。演技は時々オーバー過ぎ、プロットや台詞が弱く、話の展開も少々遅い感じがしました」と書かれ、一方で「良い部分も所々にあります。例えばジミー・オルセンとルーシー・レインのロマンスや、ヘレン・スタイナーの演技、ファントム・ゾーンの描写、それにスーパーマンとのタイアップ要素などです」と述べている[26]。
反響
ヘレン・スレイターは『スーパーガール』の想い出を語る2010年のインタビューで、公開時にあまり良い評価を受けなかったことに胸を痛め、計画されていたシリーズ化が中止されたことで「“ああ、これはダメだった。きっと私の方がダメだったんだ”と悲しくなった」と当時の心境を明かした。その上で「映画には賛否両論ありましたけど、私自身は最高の時間を過ごしたし、映画の製作を通じて素晴らしい体験をしました。だからもっと良い結果を出せたら良かったのに。もっと大きな反響があれば良かったのに。脚本が観客の共感を呼ばなかったことと、大きな作品にならなかったことについては、半ば後悔しています。だけど『スーパーガール』に対しては、心からの感謝の気持ちがあります。だってそれまでの自分では出来なかった色々なことを経験できたのですから、本当に本当に、幸運で恵まれていたんだと思います」と語った[6]。
監督を務めたヤノット・シュワルツは、最初から映画のマーケティングに失敗があったと指摘している。「スーパーガールが最初に地球を訪れて自分の力を発見するシーン、彼女が空中で踊るシーン、そして花が芽吹くシーンなど、どれもスレイターを魅力的に撮れていて、全部大好きでした。でもスタジオ側は気に入らなかった。彼らはスーパーマンそのものを求めていたんです。スカートを穿いただけのスーパーマンをね。それなのにプロモーションは最初から間違った客層を狙っていたと思います。私の感触ではドナーの『スーパーマン』より、もっと若い世代を対象にした宣伝のように思えました。スタジオが作った予告編には全く惹かれなかったし、多くの人にとってもそうだったでしょう。マーケティングと、映画の売り込みの面で、誰かがチャンスを逃したんです」とシュワルツは語った[13]。しかし『スーパーマンIV』を監督することになったシドニー・J・フューリーがリチャード・ドナーにアドバイスを求めに行った時、ドナーは“『スーパーガール』の飛行シーンがとても素晴らしかったから、シュワルツに相談すると良い”と勧めていたほど、本作の技術面は評価されていた[13]。
その後スレイターは、米国のテレビシリーズ『ヤング・スーパーマン』(2001-2011年)で、クラーク・ケントの母親ララ役を演じ[27]、『SUPERGIRL/スーパーガール』(2015-2021年)では、主人公カーラ (スーパーガール)の養母イライザ・ダンバースを演じた[28]。DCコミックヒーローと再び関わりを持つことになったスレイターは「ここ10年間で一番好きな仕事」と喜びを語り、多くのコンベンションに参加するようになった。「驚いたことに、沢山のファンが『スーパーガール』の頃の私の写真を持ってきて、どれぐらいこの映画が大好きか、どれほど影響を与えられたかを話してくれました。当時はあまり(映画が)ヒットしなかったと思ったので、何だかとても信じられないポジティブな出来事です。ファンの皆さんはとても親切です」と話している[6]。
さらに2023年公開の映画『ザ・フラッシュ』には、スレイターのスーパーガールがCGIのデジタルで再現されたキャラクターながらも、クリストファー・リーヴのスーパーマンと共にカメオ出演を果たしている[29]