ダイアリー・オブ・ア・マッドマン
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| 『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』 | ||||
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| オジー・オズボーン の スタジオ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | 1981年 | |||
| ジャンル | ヘヴィメタル | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | ジェット・レコード | |||
| プロデュース | マックス・ノーマン、オジー・オズボーン、ランディ・ローズ | |||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
| チャート最高順位 | ||||
| オジー・オズボーン アルバム 年表 | ||||
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| ミュージックビデオ | ||||
| 「Flying High Again」 - YouTube | ||||
『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』(Diary of a Madman)は、オジー・オズボーンが1981年に発表した2作目のスタジオ・アルバム。
本作のレコーディング終了後、ボブ・デイズリーとリー・カースレイクがオズボーンのバンドを脱退。アルバムのインナー・スリーヴのグループ・ショットは、後任として加入したルディ・サーゾとトミー・アルドリッジを含む写真が掲載されたが、彼らは実際には本作で演奏していない[4]。なお、脱退したデイズリーとカースレイクは、カースレイクがかつて在籍していたユーライア・ヒープに、2人揃って加入した。
本作からの第1弾シングル「フライング・ハイ・アゲイン」はビルボード誌のメインストリーム・ロック・チャートで2位に達した[2]。その後、「オーヴァー・ザ・マウンテン」も同チャートで38位[2]、「ユー・キャント・キル・ロックン・ロール」も41位に達した[2]。
本作発表後のツアーの途中の1982年3月19日、ランディ・ローズが飛行機事故で死去したため、本作はローズ在籍時としては最後のスタジオ・アルバムとなった。
2002年に発売されたリマスター盤では、ボーナス・トラックとして前作収録曲「アイ・ドント・ノウ」のライヴ・ヴァージョンが追加収録され、ベースとドラムスのパートが、当時オズボーンのバンドに在籍していたロバート・トゥルージロとマイク・ボーディンの演奏に差し替えられた。しかし、2011年発売の「レガシー・エディション」では、オリジナル通りデイズリーとカースレイクの演奏に戻された[5]。また、2011年発売の「ライヴ・エディション」は、未発表ライヴ音源を収録したボーナス・ディスクが付属しており、このライヴ音源にはサーゾとアルドリッジが参加している[6]。