デュースブルク
ドイツの都市
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デュースブルク(Duisburg, ドイツ語発音: [ˈdyːsbʊrk] (
音声ファイル)[2], デュースブルク方言:[ˈdyːsbʊə̯ç], [ˈdʏːsbʊʀə̆ɕ][3])は、ドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属し、世界有数の河港を持つ。人口は約50万人。
| 紋章 | 地図 | ||
|---|---|---|---|
| 基本情報 | |||
| 連邦州: | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | ||
| 行政管区: | デュッセルドルフ行政管区 | ||
| 地域連合: | ルール地域連合 | ||
| ラインラント地域連合 | |||
| 行政区分: | 郡独立市 | ||
| 緯度経度: | 北緯51度26分6.53秒 東経6度45分45.69秒 | ||
| 標高: | 海抜 31 m | ||
| 面積: | 232.81 km² | ||
| 人口: |
502,270人(2024年12月31日現在) [1] | ||
| 人口密度: | 2,157 人/km² | ||
| 郵便番号: | 47001–47279 | ||
| 市外局番: | 0203、(一部 02065、02066、02841、02151) | ||
| ナンバープレート: | DU | ||
| 自治体コード: | 05 1 12 000 | ||
| UN/LOコード: | DE DUI | ||
| 市の構成: | 7 市区、 46 小街区 | ||
| 市庁舎の住所: | Burgplatz 19 47051 Duisburg | ||
| ウェブサイト: | www.duisburg.de | ||
| E-Mail: | info@stadt-duisburg.de | ||
| 行政 | |||
| 上級市長: | ゼーレン・リンク (SPD) | ||
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| 地図 | |||
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日本語表記
地勢・産業
歴史
ライン川とルール川の合流点という重要性に注目した古代ローマ帝国の集落が起源で、1世紀の遺跡が発見されている。その後、交易の場として発展し、1290年には帝国自由都市となり、15世紀初めにはハンザ同盟に参加した。しかし、17世紀後半にはブランデンブルク=プロイセンに支配されることとなり、帝国自由都市を称することも禁止された。
ここに大学設置を計画したユーリヒ=クレーヴェ=ベルク公ヴィルヘルム5世は、メルカトルを招いた。しかし、皇帝とローマ教皇による大学設置の許可がなかなか与えられないため、メルカトルは、1559年に設立された専門学校で教鞭をとっている。ヴィルヘルム5世が没した後の1655年にようやく大学が設置され、神学、法学、医学、哲学を擁し、デュースブルクは大学都市として発展した。しかし、1818年にプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって廃止され、大学図書館蔵書の大部分は、同年にボンに新設されたボン大学へ移された。現在デュースブルクにある大学は、その後の1891年に設立されたもので、2003年にエッセン大学と合併されてデュースブルク=エッセン大学となった。
19世紀以降は、産業革命が進展する中で、ライン川とルール川が交わり、石炭資源がある利点を生かし、工業都市として成長した。第二次世界大戦で荒廃したが、戦後復興を果たした。1975年、周辺の地域を合併して現在のデュースブルクが形成された。1980年代に石炭産業と鉄鋼産業の衰退で失業者が増えて「ドイツのラストベルト」と呼ばれたが、2010年代からは渝新欧鉄道が開通して欧州最大の内陸港として注目した中国の一帯一路構想により雇用が生み出されて活況を呈した[11][12][13]。
文化
メルカトル図法で知られるゲラルドゥス・メルカトルがデュースブルクで没した。聖ザルヴァトール教会に埋葬されている。
- 1877年に設立されたデュースブルク・フィルは、ブルックナーの交響曲第9番のドイツ初演を行ったことでも有名。1930年代にはオイゲン・ヨッフムが音楽監督であった。
芸術
スポーツ
- MSVデュースブルク - 当地を本拠地とするサッカークラブチーム。
- FCR2001デュースブルク - 女子サッカークラブチーム、なでしこジャパンの安藤梢選手が一時在籍していた。
- フュクセ・デュースブルク - ドイツアイスホッケー3部リーグに所属しているアイスホッケークラブチーム。
交通
デュースブルク出身の著名人
- ユルゲン・ヒングゼン - 陸上競技選手
- ベルント・アルデンホフ - テノール歌手
