トレント・アシッド

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リングネーム トレント・アシッド
本名 マイケル・ヴァーディ
身長 180cm
体重 90kg
トレント・アシッド
プロフィール
リングネーム トレント・アシッド
本名 マイケル・ヴァーディ
身長 180cm
体重 90kg
誕生日 1980年11月12日
死亡日 2010年6月18日(29歳没)
出身地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
所属 CZW
デビュー 1995年5月20日
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トレント・アシッド(Trent Acid,1980年11月12日2010年6月18日)は、1990年代から2000年代に掛けて活動した、アメリカ合衆国出身のプロレスラー

身長180cm、体重89kg。本名マイケル・ヴァーディ(Michael Verdi)[1]

”ホーリー”・トレント・アシッド』というギミックを備え持ちつつ、コンバット・ゾーン・レスリング(CZW)リング・オブ・オーナー(ROH)プロレスリング・アンプラグドを主とする数多のプロレス団体を舞台に活動した。[2]

ペンシルベニア州フィラデルフィアの南部にあたるサウス・フィラデルフィア―通称サウス・フィリーに生を享け[2]、幼年期から祖母に連れられてプロレスの試合を毎週のように観にいっていた。[3] いつしか様々なプロレスラー養成所にてプロレスを学んだのちに、1995年5月20日にプロレスラーとしてデビュー。[2] 1999年頃からCZWのマットを舞台に活動し始めた。[3]

やがてCZWと大日本プロレスとの抗争の時代が幕を開けると、いわゆるCZW軍の一員として日本の地を踏み、大日本プロレスの巡業に伴い愛知県静岡県千葉県東京都神奈川県埼玉県三重県などを巡行。この時期に対戦した相手には、ザンディグ『神風』金村キンタロー関本大介ジョニー・カジミア葛西純ジ・ウィンガージャスティス・ペインラッカスMEN'Sテイオーファンタスティックネイト・ヘイトリッド伊東竜二保坂秀樹が含まれ、タッグを組んだ相手には、ワイフビーターマッドマン・ポンド、ネイト・ヘイトリッド、山川竜司ニック・ゲージ、ジョニー・カジミア、ジ・ウィンガー、関本大介、ファンタスティックが含まれた。[4]

2000年の6月に開かれたCZWの大会『バウンド・フォー・グローリー5』にてCZW世界ジュニアヘビー級王座を奪取。その翌2001年に横浜を舞台にこの王座を再び獲得したうえ、フィラデルフィアに開かれたCZWの『ケージ・オブ・デス3』にあっては、自身3度目であったCZW世界ジュニアヘビー級王座を―同時に大日本プロレスの同王座を獲得。[5][6]

2001年のCZWにあっては、ネイト・ヘイトリッドニック・モンドニック・ゲージジョニー・カジミアジャスティス・ペインロボ、・・・こうした面々とともに『ヘイト・クラブ』(H8 Club)という連合を結成し、更にはジョン・ザンディグ、ニック・モンド、ワイフビーター、Zバール、葛西純という面々とともに『ビッグ・ディールズ』(Big Dealz)という連合を組んでいた。[7]

2002年には自身2度目の出場となったCZWベスト・オブ・ザ・ベストの第2回を制覇し[8]、更にその翌2003年にあってはCZWアイアンマン王座をも戴冠するに至った。[5]

いつしかジョニー・カジミアとともに組んだ『ザ・バックシート・ボーイズ』というタッグの活躍は目覚しく、1999年におけるイースト・コースト・レスリング・アソシエーションのタッグ王座の獲得[9]に始まり、2000年から2003年に掛けてCZWのタッグ王座を4度にわたって獲得したうえ[5]、2003年の9月に至ってROHのタッグ王座をも獲得することとなった。[10]

2004年を通してCZWとROHとを主戦場に活動し、サンジェイ・ダットジミー・ジェイコブスアレックス・シェリーテディ・ハートメサイアサブゥーアダム・フラッシュロドリック・ストロングMASADAコルト・カバーナマット・サイダルサモア・ジョージャック・エバンスなどの面々を相手に激戦を繰り広げ、それから2005年〜2006年〜2007年〜2008年〜2009年と、プロレスリング・アンプラグドジャージー・オール・プロレスリングを含む数多のプロレス団体のマットに活躍した。[2]

2010年にはおおよそ10年ぶりの大日本プロレスのマットへの参戦が予定されたものの、健康上の問題に係る長期の治療の必要という理由で頓挫するに至り、そのまま実現せずに終わった。[11] そして同年の6月18日の朝―自宅で死亡している姿が母親によって発見された。29歳であった。死因は特定されていない。長年の相棒であったジョニー・カジミアがフェイスブックで喪に服す様が伝えられた。[12]

「日本流」

日本を舞台に数多のプロレス経験を積んできたアシッドは、それを自身のプロレスラーとしてのアイデンティティと見做していたようで、自らを『日本流レスラー』(Japanese style wrestler)と評し、更には自身のことを『日本人スーパースター』であると語っていた。いわく、ビデオなどから学び取っただけで日本に行ったこともないのに『日本流レスラー』を名乗りたがるレスラーらが米国にはかなり存在しているが、そうした者らは批判されるべき存在であり、それらと違って自身は真の『日本流レスラー』の一人であったのだという。アシッドいわくの日本流(Japanese style)とはすなわちストロングスタイルのことであった。[3]

更には、日本のプロレスファンと比較したうえで、米国のプロレスファンのことを『甘い』(spoiled)と評した。いわく、日本のプロレスファンのほうがこのスポーツ―すなわちプロレスに対する尊重心が厚く、それは米国と日本の文化の違いから来ているものであるのだという。そうしたことを総括したうえで、自身の日本におけるプロレスの経験の回想として『とにかく日本のプロレスは偉大だった』とそう語っていた。[3]

決め技

戴冠歴

出典

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