ビル・フォスター (野球)
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1923年にニグロリーグで野球を始める際、入団の契約を廻って兄ルーブといざこざを起こす。大抵はルーブの傲慢な要求が原因だったという(その頃ルーブ自身が神経衰弱に陥ろうとしていた時期でもあった)。直球やチェンジアップのキレに加え抜群のコントロールを持っていたビルは、シカゴ・アメリカン・ジャイアンツに所属していた1926年に26試合で23勝を上げ、カンザスシティ・モナークスとリーグ優勝をかけたダブルヘッダーに2試合登板して連勝、逆転でリーグを制覇するという活躍をする。ニグロ・ワールドシリーズでの防御率は1.27だったという記録が残っている。また翌年のシーズン通算成績は32勝3敗というすさまじいものだった。
1933年に開かれたニグロリーグの東西オールスター戦では、そうそうたる選手達を相手に完投勝利を挙げた。またメジャーリーグのチームとの試合では通算で7度先発し6勝を挙げたという記録も残っている。ニグロリーグでは1938年までプレーし、引退後は1978年に亡くなるまで、ミシシッピ州のアルコーン・ステート・カレッジの野球コーチを務めていた。1996年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り。
投手としての球種はカーブ、スライダー、チェンジアップ 投球フォームはオーバーハンド、サイドアーム。 (米書 「guide to pitchers」より)
所属球団
- メンフィス・レッドソックス(1923,1924,1938年)
- シカゴ・アメリカン・ジャイアンツ(1923~1930,1937年)
- バーミンガム・ブラックバロンズ(1925年)
- ホームステッド・グレイズ(1931年)
- カンザスシティ・モナークス(1931年)
- コールズ・アメリカン・ジャイアンツ(1932~1935年)
- ピッツバーグ・クロフォーズ(1936年)