ビー・バップ・ア・ルーラ

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B面 ウーマン・ラヴ
リリース
規格 10インチSPレコード
7インチ・シングル
録音 1956年5月4日 テネシー州ナッシュビル Owen Bradley's Studio[1]
「ビー・バップ・ア・ルーラ」
ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスシングル
B面 ウーマン・ラヴ
リリース
規格 10インチSPレコード
7インチ・シングル
録音 1956年5月4日 テネシー州ナッシュビル Owen Bradley's Studio[1]
ジャンル ロックンロールロカビリー
レーベル キャピトル・レコード
作詞・作曲 ジーン・ヴィンセント、シェリフ・テックス・デイヴィス
チャート最高順位
  • 7位(アメリカ[2]
  • 16位(イギリス[3]
ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップス シングル 年表
ビー・バップ・ア・ルーラ
(1956年)
レース・ウィズ・ザ・デヴィル
(1956年)
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ビー・バップ・ア・ルーラ」(原題:Be-Bop-A-Lula)は、ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスが1956年に発表した楽曲。後にビートルズのライヴで演奏され、また、ジョン・レノンポール・マッカートニーを含む多くのアーティストによってカヴァーされた。

クレジット上ではジーン・ヴィンセントとシェリフ・テックス・デイヴィスの共作だが、実際には、ヴィンセントと同じ海軍病院に入院していたドナルド・グレイヴスがソングライティングに関与したといわれる[1]。この曲の成り立ちについては、クレジット通りヴィンセントとシェリフ・テックス・デイヴィスが作ったという説、ヴィンセントとグレイヴスが共作してシェリフ・テックス・デイヴィスがグレイヴスの版権を25ドルで買い取った説、それにグレイヴスが一人で書いてヴィンセントに50ドルで売ったという説がある[4]。なお、1955年にヴィンセント及びグレイヴスと同じ病院に入り、同じ主治医にかかっていた"MG"なる人物の証言によれば、グレイヴが歌詞を書きヴィンセントがメロディを作ったという[5]

本作は当初、ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスのデビュー・シングル「ウーマン・ラヴ」のB面曲としてリリースされたが、「ウーマン・ラヴ」はアメリカのラジオ局で人気を得られず、イギリスのBBCでは放送禁止になったため、発売元のキャピトル・レコードは本作をA面曲に変更した[6]

反響・評価

ヴィンセントの母国アメリカでは『ビルボード』のポップ・シングル・チャートで7位、カントリー・シングル・チャートで5位、R&Bシングル・チャートで8位を記録した[2]。イギリスでは1956年7月13日付の全英シングルチャートに初登場し、7週チャート圏内に入って最高16位を記録した[3]

ローリング・ストーン』誌が選出したオールタイム・グレイテスト・ソング500では103位にランク・イン[7]。『NME』誌が選出した「1950年代のベスト・ソング100」では62位にランク・インした[8]。また、ロックの殿堂公式サイトで選出された「ロックン・ロールを形作った500曲」の中にも含まれている[9]

他メディアでの使用例

カバー

脚注

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