ピエール・ティラール From Wikipedia, the free encyclopedia カロリュス=デュランによる肖像画、1885年。 ピエール・エマニュエル・ティラール(Pierre Emmanuel Tirard、1827年9月27日 – 1893年11月4日)は、フランス第三共和政の政治家。第二帝政期に帝政に反対し、パリ・コミューンでは中央委員会に反対した[1]。議会で財政を専門としたこともあり、商業大臣(英語版)や財務大臣などを歴任した[1]。1880年代後半に2度組閣しており、ブーランジェ将軍事件、元大統領ジュール・グレヴィの女婿ダニエル・ヴィルソン(フランス語版)による勲章収賄事件(フランス語版)の対応に追われた[1]。1893年、元老院議員と財務大臣の在任中に死去した[2]。 1827年9月27日、ジュネーヴで生まれた[1]。イゼール県出身の家系であり、ジュネーヴ大学で教育を受けた後、19歳のときにパリに出た[2]。はじめ土木技師になるものの、数年後に宝石商に転職した[1]。 第二帝政期に帝政に反対し、1869年フランス立法院選挙(英語版)でエミール・オリヴィエの対立候補フランソワ=デジレ・バンセル(フランス語版)を支持した[1][2]。1870年9月4日に帝政が打倒され、国防政府が樹立されると、ティラールはパリ2区の暫定区長に就任、同年11月の選挙で正式に区長に選出された[2]。1871年2月の国民議会選挙(英語版)でセーヌ県から議員に選出された[2]。3月のパリ・コミューン選挙(英語版)にパリ・コミューンのパリ2区代表に選出されたが、中央委員会に反対して辞任、ヴェルサイユの国民議会に合流した[1][2]。国民議会では極左に属し[1]、普仏戦争におけるドイツとの講和に反対した[2]。 1876年フランス代議院選挙(英語版)でパリ1区から代議院議員に選出され、翌年の選挙(英語版)で再選した[1]。代議院では財政を専門とし、1879年3月にウィリアム・アンリ・ワディントン内閣の農業・商業大臣に就任、第1次シャルル・ド・フレシネ内閣と第1次ジュール・フェリー内閣にも留任して[1]、1881年11月まで務めた[2]。1881年8月の選挙(英語版)で再選した後[2]、1882年の第2次フレシネ内閣で商業大臣(英語版)を務め、同年のシャルル・デュクレール内閣で財務大臣に転じた[1]。アルマン・ファリエール内閣(1883年)、第2次フェリー内閣(1883年 – 1885年)にも留任した[1]。また1883年6月に終身上院議員(英語版)に選出され、元老院に移籍している[3]。 1887年にマリー・フランソワ・サディ・カルノーが大統領に就任すると、サディ・カルノーはティラールに組閣を要請[1]、ティラールは閣僚評議会議長(首相)と財務大臣を兼任した[2]。在任中に元大統領ジュール・グレヴィの女婿ダニエル・ヴィルソン(フランス語版)による勲章収賄事件(フランス語版)の後始末、ブーランジェ将軍事件の対応に追われ、憲法改正の推進に反対したことで1888年3月に内閣が倒れた[1]。 1889年に再び首相に就任[1]、今度は商業・工業・植民地大臣(英語版)を兼任した[2]。ブーランジェ将軍事件をめぐり、ジョルジュ・ブーランジェ将軍の起訴を決定したが、ブーランジェ将軍が海外逃亡したことで事態が沈静化した[1]。このほか、旧王族のオルレアン公ルイ・フィリップ・ロベールが秘密裏にパリを訪れると、オルレアン公の逮捕に踏み切った[1]。1890年3月、オスマン帝国との通商条約問題により第2次ティラール内閣が倒れた[1]。 1892年から1893年にかけての第1次、第2次アレクサンドル・リボー内閣で財務大臣を務めたが、このときには健康を害しており、1893年3月に退任した後、同年11月4日にパリで死去した[2]。 出典 ウィキメディア・コモンズには、ピエール・ティラールに関連するカテゴリがあります。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 Chisholm, Hugh, ed. (1911). “Tirard, Pierre Emanuel” . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 26 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 1006. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 “Pierre, Emmanuel Tirard”. Assemblée nationale (フランス語). 2025年12月10日閲覧. ↑ “TIRARD Pierre”. Sénat (フランス語). 2025年12月10日閲覧. 公職 先代シャルル・ルペール(英語版) 農業・商業大臣1879年 – 1881年 次代モーリス・ルーヴィエ(商業大臣)ポール・ドヴェ(英語版)(農業大臣) 先代モーリス・ルーヴィエ 商業大臣(英語版)1882年 次代ピエール・ルグラン(英語版) 先代レオン・セイ(英語版) 財務大臣1882年 – 1885年 次代ジャン=ジュール・クラマグラン(英語版) 先代モーリス・ルーヴィエ 閣僚評議会議長(首相)1887年 – 1888年 次代シャルル・フロケ 先代モーリス・ルーヴィエ 財務大臣1887年 – 1888年 次代ポール・ペイトラル(英語版) 先代シャルル・フロケ 閣僚評議会議長(首相)1889年 – 1890年 次代シャルル・ド・フレシネ 先代ピエール・ルグラン(英語版) 商業・工業・植民地大臣(英語版)1889年 – 1890年 次代ジュール・ロッシュ(英語版) 先代モーリス・ルーヴィエ 財務大臣1892年 – 1893年 次代ポール・ペイトラル(英語版) 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFWorldCat国立図書館ドイツフランスBnF data人物Sycomoreその他IdRef Related Articles