フェリペ・カイセド

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本名 フェリペ・サルバドール・カイセド・コローソ
Felipe Salvador Caicedo Corozo
愛称 Felipao, Espinete
ラテン文字 Felipe Caicedo
フェリペ・カイセド
エクアドル代表でのカイセド(2015年)
名前
本名 フェリペ・サルバドール・カイセド・コローソ
Felipe Salvador Caicedo Corozo
愛称 Felipao, Espinete
ラテン文字 Felipe Caicedo
基本情報
国籍 エクアドルの旗 エクアドル
生年月日 (1988-09-05) 1988年9月5日(37歳)
出身地 グアヤキル
身長 183cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
利き足 左足
ユース
2002-2004 エクアドルの旗 バルセロナSC
2004-2005 エクアドルの旗 ロカフエルテ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2008 スイスの旗 バーゼル 45 (11)
2008-2011 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 27 (8)
2009 ポルトガルの旗 スポルティングCP (loan) 7 (0)
2010 スペインの旗 マラガ (loan) 18 (4)
2010-2011 スペインの旗 レバンテ (loan) 27 (13)
2011-2013 ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ 52 (11)
2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ 9 (4)
2014-2017 スペインの旗 エスパニョール 93 (19)
2017-2021 イタリアの旗 ラツィオ 105 (28)
2021-2022 イタリアの旗 ジェノア 9 (1)
2022 イタリアの旗 インテル (loan) 3 (0)
2022-2023 サウジアラビアの旗 アブハー・クラブ 23 (2)
2025- エクアドルの旗 バルセロナSC 10 (2)
代表歴2
2005-2017 エクアドルの旗 エクアドル 68 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月15日現在。
2. 2017年9月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フェリペ・サルバドール・カイセド・コローソ(Felipe Salvador Caicedo Corozo, 1988年9月5日 - )は、エクアドルグアヤキル出身のサッカー選手。元エクアドル代表。ポジションはFW

クラブ

地元のバルセロナSCの下部組織で育ち、2004年にはロカフエルテFCの下部組織に移った。

FCバーゼル

2006年冬、スイス・スーパーリーグFCバーゼルに移籍した。移籍金は公開されていない。この時点ではヨーロッパでプレーするエクアドル人サッカー選手はおらず、カイセドが唯一の存在であった。移籍当初は下部リーグで経験を積み、2006-07シーズンはスイス・スーパーリーグで27試合に出場して7得点し、2007-08シーズンは18試合に出場して4得点した。リーガ・エスパニョーラプレミアリーグセリエAのクラブが関心を示し、2007年1月にはACミランが選手の照会を行った[1]

マンチェスター・シティFC

2007-08シーズン

2008年1月31日、労働許可証の取得が完了してプレミアリーグマンチェスター・シティFCと4年半契約を結んだ[2][3]。移籍金は520万ポンド(約700万ユーロ)であり、スイス・スーパーリーグ所属の選手としては過去最高額となった。マーク・ヒューズ監督はカイセドを「南米最高のタレントのひとり」と評し、ブラジル代表アドリアーノと比較された[4]。2月10日、マンチェスター・ユナイテッドFCとのマンチェスター・ダービー (2-1) の後半から出場してデビューした。2007-08シーズン終了までに10試合に出場したが、すべて途中出場であった。

2008-09シーズン

2008年12月19日、UEFAカップラシン・サンタンデール戦で移籍後初得点を挙げ、ラシン戦の直後のWBA戦ではバックヒールシュートで得点した。当初はゴールキーパーのオウンゴールと記録されたが、試合後にカイセドの得点であると訂正された。WBA戦の1週間後のハル・シティAFC戦 (5-1) では1試合2得点を決めた。2009年3月13日、UEFAカップベスト16のオールボーBK戦ファーストレグ (2-0) では先制点を挙げ、最終的にはPK戦の末に勝ち上がりを決めた。4月16日のハンブルガーSV戦セカンドレグ (2-1) ではシーズン6点目を決めたが、2試合合計3-4で敗退した。5月2日のブラックバーン・ローヴァーズFC戦 (3-1) で7点目、シーズン最終節のボルトン・ワンダラーズFC戦 (1-0) ではリーグ戦8得点目を決めた[5]。ゴール前でボールを保持し、ディフェンダーを振り切ってシュートを打てるチーム唯一のストライカーとして、多くのファンに強い印象を与えた。

スポルティングへのレンタル移籍

2009年夏にはパラグアイ代表のFWロケ・サンタクルストーゴ代表のFWエマニュエル・アデバヨールアルゼンチン代表のFWカルロス・テベスが加入したため、カイセドは余剰戦力となった[6]。7月23日、1年間の契約でスポルティングCPにレンタル移籍し[7]、2009-10シーズンはUEFAチャンピオンズリーグにも出場した。契約には完全移籍オプションも付けられていたが、レンタル期間を半年間に短縮し、2010年になってイングランドに戻った。

マラガCFへのレンタル移籍

ハル・シティからもオファーがあったが、2010年1月8日、リーガ・エスパニョーラマラガCFにレンタル移籍し[8][9]、2月14日のラシン戦 (3-0) で移籍後初得点を決めた[10]。最終節を前にして残留が決定していなかったが、最終節のレアル・マドリード戦の9分にセルジオ・ドゥダの得点をアシストし[11]、残留を決める貴重な勝ち点1獲得に貢献した[12]

レバンテUDへのレンタル移籍

2010年8月31日、スペインの移籍市場が閉まる1時間前にレバンテUDへのレンタル移籍が完了した[13]。レバンテでは飛躍的な成長を遂げ、12月までの12試合に出場して7得点を挙げた[14]。11月21日のラシン (3-1) ではクリスティアン・ストゥアニとコンビを組んで2得点を挙げ、チームを残留圏内に押し上げた[15]。12月18日のアスレティック・ビルバオ戦 (1-2) では3試合連続となる得点を挙げたが[16]、この試合からチームは5連敗し、一気に最下位に転落した[17]。2011年1月29日のヘタフェCF戦 (2-0) ではチームの2点目を決め、この試合で浮上の兆しを掴んだチームは3試合連続完封勝利で残留圏内に浮上した[18]。5月11日のFCバルセロナ戦 (1-1) では、DFジェラール・ピケのミスに付け込み、シーズンを通じて僅か21失点しか喫しなかった相手から得点を奪った[19][20]。なおこの試合は1-1の引き分けに終わり、バルセロナはリーグ戦3連覇を決めた[21][22]。最終的に27試合に出場して13得点を奪い、14位でのプリメーラ・ディビシオン残留に貢献した。

レバンテUD

シーズン終了後、ロシア・プレミアリーグFCアンジ・マハチカラFCロコモティフ・モスクワに興味を示されたが[23]、移籍金100万ユーロでレバンテに完全移籍した。

FCロコモティフ・モスクワ

ロコモティフ・モスクワでプレーするカイセド

2011年7月22日、ロコモティフ・モスクワへ4年契約の移籍金750万ユーロで移籍をした[24][25]

アル・ジャジーラ・クラブ

2014年1月、UAEプロリーグアル・ジャジーラ・クラブへ移籍金700万ユーロで移籍をした。

2014年7月、カイセドとアル・ジャジーラは合意の上、契約解除をしボスマンプレーヤーとなった。

RCDエスパニョール

2014年7月、リーガ・エスパニョーラのRCDエスパニョールと契約をした[26]

SSラツィオ

2017年8月、セリエASSラツィオへ移籍金250万ユーロで移籍をした[27]

ジェノアCFC

2021年8月31日、同じくセリエAのジェノアCFCへ移籍金200万ユーロで移籍をした[28]

インテルナツィオナーレ・ミラノ

2022年1月29日、2021-22シーズン終了までのレンタル移籍で同じくセリエAのインテルナツィオナーレ・ミラノへ加入した[29]

代表

FCバーゼルに移籍する前の2005年にイタリア代表との親善試合でエクアドル代表デビューした。この時点で16歳であり、エクアドル代表の最年少出場記録を更新した。しかし、2006年のドイツW杯の出場メンバーからは漏れた。A代表デビュー後もU-20代表に選ばれ続け、2007年には南米ユース選手権に出場した。同年3月にはアメリカメキシコとの親善試合に出場し、アメリカ戦では1得点を挙げた。コパ・アメリカ2007では背番号10を背負い、グループリーグの3試合(チリ戦、メキシコ戦、ブラジル戦)すべてに途中出場したが、グループリーグで敗退した。2009年2月10日、U-21イングランド代表戦 (3-2) で得点した[30]コパ・アメリカ2011ではグループリーグ第3戦のブラジル戦で2得点を挙げたものの、チームは敗れ、グループリーグで敗退した。2014 FIFAワールドカップではクリスティアン・ベニテスが使用していた代表永久欠番の11を付けてプレーするが、これは規定により欠番が認められていないため。

2017年9月、グスタヴォ・キンテロスが監督職を更迭されると代表引退を表明した。

所属クラブ

個人成績

2022年5月22日現在[31]
クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ 国際大会 合計
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
FCバーゼル 2006-07 27700277
2007-08 1840040224
通算 451100404911
マンチェスター・シティFC 2007-08 100000000100
2008-09 175101063248
通算 275101063348
スポルティングCP 2009-10 70000030100
通算 70000030100
マラガCF 2009-10 18400184
通算 18400184
レバンテUD 2010-11 2713212914
通算 2713212914
ロコモティフ・モスクワ 2011-12 17 6 7 0 7 2 25 8
2012-13 22 4 2 2 0 0 24 6
2013-14 13 1 1 0 0 0 14 1
通算 52 11 4 2 7 2 63 15
アル・ジャジーラ 2013-14 9 4 2 0 7 1 18 5
通算 9 4 2 0 7 1 18 5
エスパニョール 2014-15 35 9 5 3 0 0 40 12
2015-16 31 8 3 2 0 0 34 10
2016-17 27 2 2 0 0 0 29 2
合計 9319105000010324
ラツィオ 2017-18 223200093336
2018-19 2885051389
2019-20 309101060389
2020-21 2580051309
合計 10528801025513933
ジェノア 2021-22 9110101
インテル・ミラノ (loan) 2021-22 30000030
通算 395953610205714486119

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 68試合 22得点(2005年-2017年)[32]
エクアドル代表国際Aマッチ
出場得点
200510
200620
2007132
200881
200940
201000
201142
201234
2013116
201470
201564
201652
201741
通算6822

タイトル

脚注

外部リンク

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