フランク・フラゼッタ
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フランク・フラゼッタ | |
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Frank Frazetta | |
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フラゼッタの肖像。グラツィアーノ・オリーガによる1997年の作品。 | |
| 生誕 |
Francesco Alfredo Frazzetta 1928年2月9日 アメリカ合衆国ニューヨークブルックリンシープスヘッドベイ |
| 死没 |
2010年5月10日(82歳没) アメリカ合衆国フロリダ州フォートマイヤーズ |
| 教育 | ブルックリン・アカデミー・オブ・ファインアーツ |
| 著名な実績 | イラストレーション、絵画 |
| 受賞 |
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フランク・フラゼッタ(Frank Frazetta [frəˈzɛtə]、出生名 Francesco Alfredo Frazzetta、1928年2月9日 - 2010年5月10日)[1][2]はファンタジーやSFをテーマとする作品で知られるアメリカ人の画家・イラストレーター。コミックブック作画家として出発し、のちにペーパーバック書籍表紙、ポスター、レコードジャケットなどの多様な媒体で活動した。筋肉質な英雄や肉感的な女性の主題、躍動的な人体表現と強い視線誘導を備えた画風で知られ、後代のファンタジー画の形成に大きく寄与したとされる。1970年代から1980年代にかけて日本でも広く受容され、ファンタジーのジャンルや漫画表現に影響を与えた。
ロバート・E・ハワードによる小説「蛮人コナン」シリーズの装画や、『デス・ディーラー』などの絵画作品で知られる[3]。米国イラストレーター協会殿堂。ファンタジー・SFアートの分野では世界ファンタジー大会生涯功労賞やスペクトラム・グランドマスター賞を受け、コミック作画家としてはアイズナー賞殿堂とハーベイ賞ジャック・カービー殿堂に列せられている。
生い立ち:1920年代-1940年代
1928年2月9日、ニューヨーク、ブルックリンのシープスヘッドベイ地区においてシチリア系の一家に生まれる[4][5]。本名は Frazzetta だが、イラストレーターとしての活動初期に、すっきりするように z を一つ省いて Frazetta と綴り始めた[1]。姉妹が3人いる中で唯一の男児であり、祖母と過ごすことが多かった。2歳で絵を描き始めたフラゼッタを祖母は後押しした[6]。幼いころからジャック・カービー、ハル・フォスター、ミルトン・カニフの漫画を愛読し、コミックブックを描くことを夢見ていた[5][7]。フォスターの漫画版「ターザン」やカニフはよく模写しており[8]、後年にはフォスターを「初期の影響では最大」と呼んでいる[9]。文字の本はほとんど読むことがなかったが、ジェームズ・アレン・セント=ジョンの挿絵に惹かれてエドガー・ライス・バローズの「ターザン」だけは読んだ[10][11]。
フラゼッタの絵に感嘆した小学校の教師に勧められ、8歳でブルックリン・アカデミー・オブ・ファインアーツに通い始めた[12]。新古典主義の美術家ミケーレ・ファランガが唯一の講師を務める小さな美術学校だった。フラゼッタの回想によると、ファランガは彼の才能を認めてイタリアに留学させる計画を持っていたが、それが実現する間もなく、フラゼッタが14歳になるころ亡くなった[10]。その一方でファランガは放任主義であり「そこの級友から学んだことの方が多かった」とも回想している[5]。ファランガの没後も生徒たちは自主的に会費を集めて美術学校の家賃を支払い、数か月にわたって活動を継続していた[7]。
フラゼッタは野球選手としても優れており、地元のアマチュアリーグであるパレード・グラウンズ・リーグでMVPに選出されたことがある[13]。プロ球団からも注目を受けており、ニューヨーク・ジャイアンツのトライアウトを受けた[14]。しかし、プロ野球選手の待遇が現在ほど高くなかったこともあり、将来的な生計を見通してプロの道には進まず、以後は趣味としてプレイするにとどめた[13][15]。
コミック分野での初期の活動:1940年代-1960年代


初期のフラゼッタはコミックブックや新聞漫画の作画を活動の場とした。1944年、コミック作画家バーナード・ベイリーのスタジオでジョン・ジュンタのアシスタントとして業界入りした[16]。最初に印刷されたコミック作品は習作を元にした8ページの "Snowman" だった。ペンシル(下描き)とインキング(ペン入れ)はジュンタと共同で[7][12]、単発コミックブック『タリーホー・コミックス (Tally-Ho Comics)』(1944年12月)に掲載された[16]。その後、1946年にコミック出版社フィクション・ハウスで6か月間はたらき[7][16]、消しゴムかけや枠線引きなどの仕上げ作業を行った[5]。
1947年、スタンダード・コミックスに勤めていた作画家グラハム・インゲルズに見込まれ、連載「ジュディ・オブ・ザ・ジャングル」の作画を手掛けた[5][17]。同社のアートディレクターから解剖学を学ぶよう示唆され、短期間で集中的に研究した[5]。スタンダードでは『バーンヤード・コミックス』、『クー・クー・コミックス』などで動物キャラクターの子ども向け作品や[7]、人気新聞漫画『リル・アブナー』の類似作品 "Looie Lazybones" を描いた。後者は『リル・アブナー』の作者アル・キャップがフラゼッタを知るきっかけとなった[18]。
1950年代にはスタンダードを離れてフリーになり、冒険もののコミックブックを描くようになった[18]。マガジン・エンタープライジズでは西部劇『デュランゴ・キッド』などの作画や『ゴーストライダー』表紙を描き、1951年にはターザン風の新シリーズ『サンダ』を立ち上げた[18]。ECコミックスでは読み切り1編と表紙画1枚を描き[19]、ナショナル(現DCコミックス)ではファンタジー「シャイニング・ナイト」などに携わった[19]。『フェイマス・ファニーズ』(イースタン・カラー社)で1953年から1955年にかけて描いたバック・ロジャーズの表紙画8枚は後年のファンに人気が高い。同社では『ムービー・ラブ』などのコミック誌でもロマンスや有名人の作品を数作描いていた[20]。これらの仕事により業界では認知される存在となった[18]。
これらの間、新聞漫画(当時はコミックブックより格上の仕事と考えられていた)の配信社にも企画(野球やコメディ、SF冒険など)を投稿していた。そのうちの一社から起用され、1952年から1953年にかけてカーレース漫画『ジョニー・コメット』(後に『エース・マッコイ』に改題)の作画を担当したが、広い人気を得られないまま終了した。そのほか短期間『フラッシュ・ゴードン』で作者ダン・バリーの代筆を務めた[18]。
1953年、当時トップクラスの人気漫画家だったアル・キャップに乞われて『リル・アブナー』日曜版のペンシルを任された[21]。1954年に低俗文化批判の高まりによってコミックブック出版が低迷期に入ったこともあり[22]、数年にわたって同作の代筆のみが主要な仕事となった[21]。その間、1956年11月にニューヨークでマサチューセッツ出身のエレノア・ケリーと結婚し[1][23]、後に4人の子どもを儲けた[1]。やがて1961年に金銭面で折り合わずキャップとの仕事を打ち切った[5]。
その後はコミックブック界に戻ろうとしたが、旧知のコミック出版社の多くは活動を停止していた[24]。大手出版社DCコミックスの編集者からはポートフォリオが評価されず、仕事は得られなかった[25]。その理由としては、エロティックなロマンス漫画やホラー、ジャングルもののような得意ジャンルが廃れていたことや、『リル・アブナー』で身に付いたユーモア感覚がミスマッチだったことなどが指摘されている[26]。フラゼッタは友人の漫画家ジョージ・エヴァンスからペン入れを請け負っていくらかの収入を得た[25][27]。別方面の仕事を求め始めたフラゼッタは、ソフトコア・ポルノ小説の挿絵や一般男性誌のイラストレーションも描いた[25]。
書籍装画での飛躍:1960年代-1970年代

1960年代以降、フラゼッタは各種のイラストレーションで広く知られるようになる。評者によってはこの時期をキャリアの頂点とみなしている[5]。1960年代前半、友人の装画家ロイ・クレンケルを手伝ったのをきっかけにエース・ブックスのペーパーバック書籍の表紙を手掛け始めた[28]。フラゼッタが1962年にエドガー・ライス・バローズの『ターザンと失われた帝国』に描いた表紙は高く評価された[28]。筋肉質で半裸の男性が自然の脅威や部族民と戦う画題はその後もフラゼッタのトレードマークとなった[29]。
やがてランサー・ブックスから好条件でアプローチを受け、ロバート・E・ハワード作「蛮人コナン」を手掛けた[5]。フラゼッタの表紙絵は1920年代に生まれたコナンのキャラクターイメージとして後世まで続く決定版となり[30][31]、コミック化や映画化などコナンの復興に寄与したとされる[32]。また「剣と魔法」ジャンルの視覚表現にも大きな影響を与えたと評されている[30][31]。ランサーの「コナン」シリーズ11冊は1966年から1971年までに1000万部以上売れ、そのうち8冊がフラゼッタの表紙だった[30]。そのほかフラゼッタはバローズの「火星」や「ペルシダー」のシリーズなども手掛けた[3]。デル・ブックスのアンソロジー書籍[注 1]の表紙に提供したオリジナルの絵画『デス・ディーラー』(1973) は、後にフラゼッタを象徴する作品とみなされるようになった[33][34]。
このころのいわゆる「ペーパーバック革命」期において、表紙の視覚的訴求は販売上の重要な要素となっており[35]、これらの書籍装画はフラゼッタのキャリアを代表する仕事となった[1]。当時の新聞で、出版社はフラゼッタが描いた表紙に合わせて作家を選ぶと書かれたこともある[1]。

1964年、『Mad』誌で広告パロディとして描いたビートルズのリンゴ・スターの似顔絵が映画制作会社ユナイテッド・アーティスツの目に留まり、ウディ・アレン脚本の『何かいいことないか子猫チャン』のポスターを依頼された[36]。最初の映画関連の仕事であったが[1]、半日の仕事でコミックブック仕事での年収に相当する報酬を稼いだとされている[5]。フラゼッタはその後もカートゥーン調の映画ポスターを手がけている[3]。
コミックブック出版社ウォーレン・パブリッシングでは、『クリーピー』や『イーリー』誌の表紙絵として『スワンプ・ゴッド』、『シー・ウィッチ』、『エジプシャン・クイーン』などの絵画作品を提供した[37]。稿料が低い代わりに内容に注文を受けず自由に描けたことで、フラゼッタ自身にとって一つの転機となった[5]。アートキュレーターのダン・ネーデルは、これらの作品によって円熟期の作風が完成したと評価している[10]。また数々の表紙は、1960年代にホラー・コミックのジャンルを再興したウォーレン社を代表するヴィジュアルイメージにもなった[38]。1969年にはウォーレンの女吸血鬼キャラであるヴァンピレラの最終デザインを行った[39][注 2]。フラゼッタが『ヴァンピレラ』第1号に描いた表紙絵はホラー・コミックを代表する作品の一つとされている[40]。
この時期にはまだ散発的に漫画形式の作品を描いていた。ウォーレンでは短編のほか、刊行物すべてに掲載される禁煙の公共広告漫画を寄稿した[41]。1965年、ハーヴェイ・カーツマンとウィル・エルダーが『プレイボーイ』誌で描いていたエロティックな風刺漫画「リトル・アニー・ファニー」に参加し、数話にわたってカラーの塗りを手掛けた[5][41]。1966年に『Mad』誌に描いた1ページのユーモア作品がフラゼッタ最後のコマ割り漫画となった[41]。後の1983年にコミックに戻る気はないか質問されたフラゼッタは、映画制作を含む大きな仕事を行った後ではその理由がないと答えている[41]。
ブランド展開と映画制作:1970年代-1990年代
フラゼッタは1975年ごろから作品のマーチャンダイジングに力を入れ始め、新作の発表は減少した[33]。作品に年記と著作権表記を行うようになったのもこのころからである[24]。妻のエレノアがビジネス面の主体を担い、原画の売却のほか、複製画や関連商品の販売を行った。複製販売のライセンス契約は大きな収入源となったとされる[42][43]。イラストの分野におけるこうしたビジネスモデルはフラゼッタが先行例とみなされている[44]。1970年代から1980年代にかけてフラゼッタの作品はポスターや衣服の装飾などを通じて広く流通し[45]、モリー・ハチェットやナザレスなどによる音楽アルバムのジャケットにも用いられた[1]。1977年には画集『ファンタスティック・アート・オブ・フランク・フラゼッタ』が30万部以上発行された[1]。1978年、男性用コロンジョーバン・セックス・アピールのCMでリチャード・ウィリアムズがフラゼッタの作品『アゲインスト・ザ・ゴッド』をアニメ化した[46][47]。
1983年、ファンタジーの流行や『コナン・ザ・グレート』(1982) のヒットを背景に制作されたアニメーション映画『ファイヤー&アイス』に原案を提供した。監督のラルフ・バクシは躍動感のあるフラゼッタ作品を実際に動かしたいという意向を持っており[48]、既存の絵画作品で描かれた人物をモチーフにストーリーが作られた[49]。フラゼッタは1年半にわたってカリフォルニアに移住し[50]、共同プロデューサーとしてこの映画に開発段階から深く関与した。本人の回想によると、ロトスコープ方式の実写撮影ではアクション演技の指導を行い、動画制作では監修や指導を行った[5]。この映画はフラゼッタの作品世界の映像化としては一定の評価があるが[49]、商業的には成功せず[51]、本人や家族にとっても満足いく経験ではなかったという証言がある[52]。

その後フラゼッタは健康上の問題に見舞われた。本人の発言によると、1986年ごろにテレビン油への暴露が原因で甲状腺機能障害におちいり、心身に慢性の不調を生じていた。この時期には不安感や多様な身体症状が続き、創造的感覚が損なわれたように感じられたという。制作においても自然な筆致や生気が失われ、絵が平板になったと振り返っている。症状は8年間続いたのちに投薬量の調整によって消失し[5]、制作を再開することができた[50]。1994年、ヴェロティク社から新作鉛筆画のファンタジー・アート集『フラゼッタ: イラストレーションズ・アーカナム』が出た[54]。同社からは『デス・ディーラー』(1995) などフラゼッタの油絵作品をキーイメージとしたコミックブックも発刊され、フラゼッタは監修のほか表紙として油彩の新作を描いた[54][55]。
1980年代初頭、エレノアの発案により、ペンシルベニア州イースト・ストラウズバーグ市街地の邸宅の上階に、自作やほかの作品を所蔵する美術館を開設した[14][50]。同館は10年近く運営された後に近隣で起きた小火がきっかけで閉館した。1995年にフラゼッタは、避寒地として利用していたフロリダ州ボカ・グランデに第2の美術館(フラゼッタ・アート・ギャラリー)を開いたが、翌年に健康問題により閉鎖を余儀なくされた。2000年、イースト・ストラウズバーグ周辺の湖畔に第3の美術館が設置された[50][53]。家族の回想によると、美術館を運営していたエレノアは原画を厳格に管理しており、旧作に手を入れる癖があったフラゼッタ本人でさえ自由に触れることができなかった[43]。
1994年には、ニューヨークのアレクサンダー・ギャラリーにおいて、私設美術館以外では初めての個展が行われた[9]。フラゼッタはこの展示によってファインアートとしての評価を受けることを期待していた[56]。
晩年:1990年代-2000年代
1996年以降、フラゼッタは複数回の脳卒中に見舞われた。後遺症によって利き腕の右腕に振戦が生じたため、晩年の14年間にわたって制作は左手で行われた[24][57]。2001年ごろからドキュメンタリー映画『フランク・フラゼッタ: ペインティング・ウィズ・ファイア』が撮影され、2003年に公開された[24][57]。

晩年には4人の子供たちの間で作品の所有権と管理方針を巡る対立が生じた[53]。ペンシルベニア州の地所で美術館の運営と作品の販売にかかわっていた妻エレノアが2009年に癌で死没すると[14][50]、作品の管理権はビルら3人の子供が経営する合同会社にわたった[53]。その過程では、残りの1人であるフランクJr.が2000万ドル相当の絵画を美術館から不当に搬出したとして逮捕される一幕もあった[58]。フランクJr.は美術館の扉をショベルカーで破って90点の作品を運び出したと報じられている[59]。2010年4月23日、4人の子供たちは作品に関する訴訟がすべて解決したと声明を出した[60][注 3]。
2010年5月10日、フラゼッタはフロリダの住居近くの病院で卒中のため死去した[1][2]。
没後の作品管理と展示:2010年代以降
フラゼッタの没後、本人所蔵の100点余りのコレクションは分割され、4人の遺児が均等に継承することになった[50]。フランクJr.はエレノアの後を継いで美術館を再開した[62]。ほかの遺産は2013年にフラゼッタの孫娘サラらが設立したフラゼッタ・ガールズ社がブランディングと版権管理に当たっている[63][45]。同社は2020年代前後にトレーディングカードゲームやストリートウェアブランド[45][64]、コレクターグッズ関連の企業とコラボレーションを行っている[65]。2020年3月、フラゼッタ・ガールズはフラゼッタが晩年を過ごしたフロリダ州ボカ・グランデの美術館を再開した[66]。
2026年に開館が予定されているジョージ・ルーカスのルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティブ・アートはコミックやイラスト、映画や写真など多様な作品を集めた美術館で、フラゼッタの『火星のプリンセス』装画 (1970) が展示される[67]。
作風
主題
筋肉質の男性と肉感的な女性、流血、怪物などを組み合せた、暗い色調のファンタジーアートで広く知られている[2][3][51][68]。特に人体に独自の様式があった[53]。人物は顔の表情よりも身体と動きが強調されていた[69]。背景や前後の物語を細かく描写するより「人体模型」のように誇張されたポーズの人体が優先され、鑑賞者の感情を揺さぶることに重点が置かれていた[29]。
男性ヒーローの多くは、善悪や秩序・混沌といった理念のためではなく、自身の力だけを信じて戦う蛮人やアウトサイダーとして描かれた[70]。代表作の『蛮人コナン』装画『ザ・バーバリアン』(1966) では、分厚い筋肉を持った男性が直立し、その脚に取りすがる裸の女体や積み上げられた敵の死骸と対比される。ピラミッド型の構図は頂点に配置された男性の優位を強調している。シニア・キュレーターのライアン・リンコフはこの図を「肉体的な力の記念碑」とした[71]。英文学者アンドレ・カルドーゾは「(ヒーローの)力や生命感と一体化できる願望充足のファンタジー」と評した[72]。フラゼッタ自身も、見る者を楽しませることを重視して「ヒーローは必ず勝ちそうに描く」とも述べている[5]。
フラゼッタの女性は、小柄ながら豊かな丸みを帯びた特徴的な身体を持ち[12]、たくましい男性ヒーローの横に活動的で官能的な姿で描かれることが多かった[29]。特に臀部を強調する構図が多い[11][注 4]。典型的な女性像としては、猛獣を従えた「セクシーな女戦士」「危険な魔女」、あるいは少女のような顔と成熟した体を併せ持つ存在が挙げられる[73]。膝を付き、危険にさらされ、エロティックに表現される女性像が多い一方で、画面内で優位に立つように見える図像もある[74]。代表例の一つが『エジプシャン・クイーン』である[74]。豹や衛兵を従え、宮殿への侵入者に向き合うように描かれる同作の女王は、神秘性と官能性を兼ね備えている[75][76]。
その作風はエロティシズムを前面に出した「剣と魔法」ペーパーバック表紙の典型とみなされることがある[77]。その一方で、絵画的完成度の高さによって通俗的なファンタジー画の枠を超えて評価されてきた[9][77]。イラストレーターのニール・アダムスは、フラゼッタが古典美術の油彩表現を駆使し、体の内側から発するような力感や人物の性的魅力を描き出したと評した[31]。幻想画の著述家J・デイヴィッド・スパーロックも、実在感ある絵柄や古典的な造形感覚によって、パルプ時代の性・暴力表現を一段高い水準に引き上げたと述べた[78]。フラゼッタ自身も、性表現では露骨なポルノグラフィではない洗練された官能性を、暴力表現では残酷さそのものよりも画面の美しさや均整を志向していたと語っている[5]。
身体感覚と自己像
フラゼッタは外見を「タフガイ風の美男」と評されており、若いころは自身をモデルとして描くことがあった[79]。ダン・ネーデルは、征服者、保安官、好色漢など役回りを問わず作中人物がしばしばフラゼッタ自身の顔で描かれていると指摘し、作者自身の精神や身体の状態が絵に投影されていると見ている[10]。
自ら「肉体派」と称していたフラゼッタは[80]、絵画制作に没頭する芸術家というより、「スティックボールで遊んだり、女の子を追いかける合間に絵を描く」という自己像を語っていた[10]。また身体能力の高さを自負しており、高校時代にはジムに通わずとも片手懸垂を10回行えたと回想している。そうした瞬発力は、本人によると、時間をかけず即興で優れた作品を描き上げる集中力とつながっていた[5]。身体表現の上でも、運動選手としての経験から、身体のどこに力が宿るかについて独自の感覚を持っていた。1994年のインタビューでは、ボディビル的に誇張された胸部や上腕二頭筋を描くのではなく、素早さと瞬発力につながる臀部・背中・前腕などの筋肉を重視していたと語っている[5]。自身のヒーロー像も、アスリートや戦士のような動きに基づいて「ネコ科の動物のような優美さと力」と例え、それに対するヴィランは「動き方がぎこちないもの」とした[5]。
極度に男性的な作家イメージは、主題の暴力性、残虐性、衝撃と結び付けられて論じられることがある[11]。映画『コナン・ザ・グレート』で主演したボディビルダー出身のアーノルド・シュワルツェネッガーについては、殺伐さを感じさせず役に合わないと語り、自分ならジムではなくブルックリンのような治安の悪い街路で適役を探すと述べた[79]。フラゼッタの出身地であるシープスヘッドベイも不良集団の抗争が絶えない荒っぽい土地柄で、本人も若いころは殴り合いの喧嘩を辞さなかったと回想している[81]。
その反面、画集の共同編集者アーニー・フェナーの証言によると、フラゼッタは正規の美術教育を受けていないことに引け目を感じており、それが高じて虚勢を張る一面があった[82]。本人のインタビューでは、自身を本質的にはファインアート作家と捉えており「間違った分野で仕事をしている」と述べている[56]。また別の場では、主題や媒体の通俗性によって評価されることに反発し、作品はその質によって評価されるべきだという考えを語っていた[9]。
画面構成と動勢、色彩
ダン・ネーデルはフラゼッタの円熟期の作風を「単一の焦点」「空間の奥行き」「画面全体に視線を誘導するが、中心からは決してそらさない色の配置」による明快さで説明している[10]。フラゼッタの絵は巧みな空間構成によって重要な要素を際立たせることに定評があり[53]、コミックという空間的制約が多い媒体で活動したことが優れた視線誘導に寄与しているという指摘もある[12]。例として『エジプシャン・クイーン』では、中央の女王がもたれかかるわずかに傾いた円柱が、画面周縁部に描かれた暗がりへの動きを生み出している[75]。前景で主題が強調される一方で、背景には半ば隠れた人物や巨大な生物の断片など、暗示的な要素が配置される[12]。『ザ・バーバリアン』では蛮人の背後におぼろげな死と破壊のイメージが描かれている[83]。画家のスティーヴン・セリオはフラゼッタの構図を、中心は明瞭に見えながら周辺はぼやける人間の視界に例えている[9]。
画面は全体が強い運動感を帯びている。出版者ベティ・バランタインは活力と生命感がフラゼッタの最大の特徴だとした。また「動くものは何でもフラゼッタの注意を引く」と述べ、動物や戦う男性像、木々の根や枝、水の流れにいたるまで、画面全体がうねりと運動で構成されるとした[12]。同様にネーデルは、すべての要素が流れるように描かれて目を休める点が存在しないと書いた[10]。デイヴィッド・ヴィニエヴィチはインク画『ロード・オブ・ザ・サヴェッジ・ジャングル』(1964) について、半裸の男たちの筋肉が統御された線によって絶えず躍動して見えると評した[84]。
劇的な照明効果と、独創的な色彩も特徴として挙げられる[13]。フラゼッタ本人は、題材や雰囲気に応じて常識にとらわれず色を選ぶと語っており、異様な光源を想定して人体を非現実的な色調で描く手法を例に挙げている[85]。『コナン(マンエイプ)』では、アースカラーの明暗表現によって背景と人体が描写され、猿人がひるがえすマントの緋色が強く対比される[32]。コナンの頭部にも、光源は明示されないまま同じ緋色のハイライトが差している[86]。コミックのペン画でも明暗の演出が見られ、立体感と視線誘導のため、インクを水で溶くことで繊細な階調の調整が行われている[84]。ヴィニエヴィチはインク画『トゥース・アンド・クロウ』(1964) を評して「視線は明部と暗部の間を絶えず動き続ける。それらは私たちの注意を瞬間ごとに新たにするよう周到に配置されている」と書いた[87]。
制作
油彩画で特に知られ[31]、水彩、鉛筆、インクによる作品も残している[88]。画材には無頓着で、使い古した筆や「ミッキー・マウスの12色セット」の水彩絵の具を愛用していたという[13]。大部分は独学であるが[13]、幼少期にはミケーレ・ファランガから濃淡やウォッシュ、細い線の筆遣いを学んだ[10]。ライアン・リンコフは、フラゼッタの絵には19世紀新古典主義の絵画教育からの「色調・プロポーション・陰影へのこだわりや演劇的な照明効果」が生きていると述べている[29]。
技法は奔放で即興性が強く[29]、大作もせいぜい数日で仕上げる速筆だったとされる[13]。本人によると、後年の油彩制作では事前に小型のスケッチブックに鉛筆でサムネイルを描く程度で、必要を感じたときのみ水彩で光の当たり方を試していた。ラフには時間をかけず、本制作に多くの余地を残したいう[89]。インク画でも、描き込みがタイトになると絵が死ぬとして、筆の毛先でなでる程度の筆致を心がけていたと語っている[84]。
1994年のインタビューでフラゼッタは、人物や動物を含めて、ほとんどモデルや資料に頼らず想像だけで描くと語った[5]。ただし、フェナーによると、実際には自身や妻を撮影した写真、他者の作品の一部、投影機器などを利用していた。ヴィニエヴィチはフラゼッタの説明には自己像を保つ意図があったと示唆している[90]。いずれにしてもフラゼッタは、写真的リアリズムを避け、夢幻的な感触を作り出す意図では一貫していた[9]。書籍装画でも本文内容への忠実さよりフラゼッタ独自のイメージが優先されることがあった[91]。代表作「コナン」でも、「鷹のような男」という原作の描写から離れて、筋肉隆々で傷だらけの「究極の蛮人」が描かれた[9]。
受容と評価
同時代および後代への影響
英語圏では、フラゼッタはファンタジーおよびSF分野を代表するイラストレーターの一人と見なされており、同時代以降の作家に広く影響を与えたとされる[51][92]。後年には全米イラストレーション協会殿堂入りや世界ファンタジー大会生涯功労賞の受賞など[17][93]、ジャンル内外で制度的な評価も受けた。
フラゼッタの活動はペーパーバック書籍やポスターなど大衆的視覚媒体の広がりと重なっていた[94]。名声を決定づけたのは、1960年代のペーパーバック、特にロバート・E・ハワードの「コナン」シリーズの装画だった[51]。フラゼッタの絵は1930年代パルプ小説に由来するコナンの、1960年代以降における視覚的イメージ形成に大きく寄与した。映画『コナン・ザ・グレート』(1982) の監督ジョン・ミリアスもフラゼッタの影響を認めている[31]。
1970年代から1980年代にかけてコミックやファンタジー創作の受容が広がるにつれて、フラゼッタもさらに広く受け入れられていった[31]。その影響は個別の作品にとどまらず、「フラゼッタ風」がヒロイック・ファンタジーと関連するある種の画風の代名詞ともなった[92]。ロサンゼルス・タイムズはフラゼッタの絵が同ジャンルの現代的なヴィジュアルを決定づけたのに近いと書いた[31]。映画監督ギレルモ・デル・トロはファンタジーにおけるフラゼッタの地位を米国文化に対するノーマン・ロックウェルに例え、その影響力はジャンルの外からは測りがたいと述べた[31]。
ノーマン・ロックウェル美術館はこうした影響の広がりについて、「イラストレーションの黄金時代」以後のファンタジー画の系譜を受け継ぎ、ロールプレイングゲーム、アニメーションやビデオゲームといった新たな媒体へ展開させた世代の中の重要な一人としてフラゼッタを位置付けている[注 5][94]。2010年代のデジタルアート専門誌『ImagineFX』もフラゼッタを「黄金期の巨匠たちの伝統と近代のアーティストをつなぐ架け橋」とした[95]。
文化的波及


フラゼッタの影響は、映画、音楽、コミックなど広い領域のポップカルチャーに及んだ。ジョージ・ルーカスは1979年のインタビューで、デザイン感覚と想像力の鮮烈さに惹かれているイラストレーターの一人としてフラゼッタの名を挙げている[97]。映画「スター・ウォーズ」第1作 (1977) のポスターは人物がフラゼッタ風を意識して描かれていた[98]。第3作 (1983) においてレイア・オーガナが着用する金属のビキニも、制作者アギー・ゲラード・ロジャーズの証言によるとフラゼッタが描く女性像や金属製の装束から着想を得たものだった[79][99]。この衣装はその後ファンダムや一般社会から広く賛否が寄せられている[100][101]。
音楽の分野では、イングヴェイ・マルムスティーンやナザレス、モリー・ハチェットなどがアルバムのジャケットにフラゼッタの絵を用いている[31][102]。1970年代初頭に人気を高めたフラゼッタの作風は、同時期に台頭したヘヴィメタルとも[1]、神話的・英雄的イメージを重視する面で美学的な親和性があるとされている[103]。2009年にはメタリカのカーク・ハメットが Conan the Conqueror 原画を100万ドルで購入したことが報じられた[1]。
1985年、血塗られた斧を持つ騎馬戦士が描かれた『デス・ディーラー』が、アメリカ陸軍第3軍団によって重機甲部隊のシンボルとして採用された。マスコット化された人物像は「ファントム・ライダー」と名付けられ、司令部のエントランスや顕彰室に彫像が設置されたほか、軍団がイラクに配備された際には1体の彫像が携行された[96]。
米国コミック界への波及もみられる。1990年代のコミック情報誌『ウィザード』は、フラゼッタを当代のコミック作家に広く影響を与えた存在として紹介した[54]。絵画作品『デス・ディーラー』は繰り返しコミック化されており、1995年にはヘヴィメタルアーティストのグレン・ダンジグのレーベルヴェロティクから4号が、2007年にイメージ・コミックスから6号が発行された。2022年にはインセンディアムが3度目のコミック化と、フラゼッタ関連コミックのユニバース展開を行った[104][105][106]。そのほか、フラゼッタに触発された作品を掲載するコミック誌『フランク・フラゼッタ・ファンタジー・イラストレイテッド』が1998年から1999年にかけて8号にわたって刊行された[107][108]。フラゼッタのコミック作家としての評価そのものはイラストレーターとしての評価に及ばないとされるが、コミック作品から影響を受けた作画家にバーニー・ライトソン(スワンプシング)などがいる[109]。
批判的評価
フラゼッタの作品は高い人気を得た一方で、願望充足的な逃避に過ぎないという批判を呼ぶこともあった[70]。また主題の単調さが批判されることもあった。ライターのボブ・レヴィンは評論誌『コミックス・ジャーナル』の記事で、フラゼッタ作品を「定型的」で感情の幅に乏しいものと評した[53]。同誌の別の評論によると、そうした欠点は初期には傑出した想像力と描写力によって補われていたが、1970年代以降にはそれらが衰え、テーマ的な発展も見られず反復に陥った[70]。
そのほかには身体表象のあり方をめぐる議論もある。ライアン・リンコフは筋肉質な男性と豊満な女性との組み合わせに性的・ジェンダー的な力関係を読み取っており[110]、願望充足、パルプ的刺激、反動的性差観の混合物として位置づけている[80]。また男性主人公の表現を作者自身の男性的ペルソナと関わるものとして論じている[80]。
美術市場での評価
ファンタジー画は長らく美術界からは制度外の存在と見なされ、ファンダム内部の市場で独自に価値が付けられてきた[111]。フラゼッタの原画は1978年時点ですでにSFアートの分野で最も高い値段がついていたが[112]、2000年代にはイラストレーション全般の価値が上昇し、中でもフラゼッタ作品は存命作家として例外的なほど値上がりした[113]。
フラゼッタはキャリアの初期から原画の価値を重視しており、出版社が原画ごと買い切る米国コミックブック界の慣行に不満を持っていた。フラゼッタは1994年のインタビューで、1955年に描いた『ウィアード・サイエンスファンタジー』誌の表紙画について、出版社と交渉して買い切り原稿料60ドルの半額で版権だけを売ったと語っている[5](この絵は2010年にコミック原画として最高値の38万ドルを記録した[114])。また、1960年代のペーパーバック装画でエース社よりもランサー社に力作を提供したのは原画が返却される契約だったからだとも述べている[5]。
2010年代以降、フラゼッタの原画はさらに高騰し始めた。2019年にシカゴでヘリテージ・オークションズが主催したビンテージ・コミックと原画の公開オークションにおいて、フラゼッタの作品『エジプシャン・クイーン』(1969) が540万ドルで落札され、最高額を更新した[115]。2023年には『ダーク・キングダム』(1976)[注 6] がヘリテージ・オークションにおいて600万ドルで落札され、フラゼッタ作品のみならずファンタジー・アートの最高記録となった[116]。2025年9月15日、フラゼッタ家が保持していた代表作『コナン(マンエイプ)』(1967)[注 7]が、ヘリテージによる単独ロットの特設オークションにおいて1350万ドルで取引された[32][117]。2025年にヘリテージイラストレーション部門の代表者は、フラゼッタ市場の高騰をポップカルチャーやファンタジーアートへの関心拡大と結びつけて論じ、伝統的な美術作品の買い手や美術機関からの注目が高まっていると述べている[111]。
受賞
1966年、SFのヒューゴー賞をプロアーティスト部門で受賞した[118]。1974年には全米イラストレーター協会から優秀賞を[13]、1976年に幻想文学大賞を受賞した[56]。
1995年にはコミックブック界のウィル・アイズナー賞殿堂に迎えられ[119]、スペクトラム・グランドマスター賞を受賞した[14]。1999年にジャック・カービー賞殿堂[17]、1998年にイラストレーター協会殿堂入り[93]。2001年、世界ファンタジー大会生涯功労賞[17]。2014年にミュージアム・オブ・ポップカルチャーSF殿堂入り[17]。2023年、コミックのインキングを対象とするインクウェル賞ジョー・シノット殿堂入り[120]。
日本での受容・影響
受容史
フラゼッタを早くから受容していた人物の一人に、『ワイルド7』(1969) で知られる漫画家の望月三起也がいる。1938年生まれの望月は[121]、中高生のころ神田古書店街で米国産コミックブックを買い求めていた[122][123][124][注 8]。望月はコミック作画家時代のフラゼッタが表紙や短編を描いている号を特に収集しており、後年のインタビューで影響を受けた画家として名を挙げている。望月はまた、漫画家として活動を始めてからも米国ペーパーバック書籍の表紙を資料として集めていた[126]。
一般にフラゼッタが紹介されたのは、遅くとも1971年、SF文芸誌『SFマガジン』においてである。そこでは海外のヒロイック・ファンタジー小説の装画家の一人として「ちょっとアクが強いがコナンなど躍動的な人物を書かせたら絶品」とされていた[127]。SF作家の高千穂遥によると、1970年代半ばにはフラゼッタの画集が日本に入ってきた。米国のアートに関心のある層では受容がさらに早かったという[128]。漫画界では永井豪がその一人である[128]。永井は和製ヒロイック・ファンタジーの先駆けを意図して『手天童子』[129](1976) を始めたころにフラゼッタを知り、米国でポスターや画集、ファンジンを買い集めたと語っている[130]。アニメ界でも、1970年代にタツノコプロのキャラクターデザイン室に入った天野喜孝によると、『新造人間キャシャーン』(1973) や『科学忍者隊ガッチャマンII』(1978) のようなヒーローアニメの制作資料としてフラゼッタ作品が用いられていた[128][131]。また『機動戦士ガンダム』(1979) のキャラクターデザインで知られる安彦良和も、1976年ごろに同僚の出﨑哲から画集を紹介されたと述べている[132]。
1980年前後になると受容はさらに広がった。SFヴィジュアル誌『スターログ日本版』(1979)[133]、漫画誌『ポップコーン』(1980)[134]、総合週刊誌『週刊ポスト』(1979)[135]で特集が組まれ、コマーシャル・アートとしても用いられた[136]。また、『ウルトラマン80』(1980)[137]や『太陽戦隊サンバルカン』(1981)[138]のような特撮番組でも、一部の怪獣や怪人のデザインに参照された。1982年には『SFマガジン』誌上で「SFファンなら誰でも知ってる画家」(難波弘之)と呼ばれるようになっていた[139]。
ファンタジー分野での受容
ファンタジーという外来のジャンルが日本に受容される過程では、1980年前後に、フラゼッタがメビウスなどとともにヴィジュアルな様式の参照源の一つとなった[140]。日本にヒロイック・ファンタジーを紹介した一人である鏡明は、このジャンルとの出会いがフラゼッタの描く「コナン」だったと語っている[141]。小説家田中文雄は、初期のヒロイック・ファンタジー小説「大魔界」シリーズ (1981) の執筆動機となったのがフラゼッタの画集だったと述べている[142]。「スタジオぬえ」創設メンバーの加藤直之は、影響を受けた画家の一人としてフラゼッタを挙げ、現実の文化に基づかない創作デザインに「感動した」としている[143][144]。イラストレーターの米田仁士は「学生時代にはファンタジーアートのお手本のような存在」だったと述べている[145][146]。「ファイナルファンタジー」(1987) のアートワークを手掛けた天野喜孝は、1981年ごろイラストレーターとして活動を始める際に、漠然と思い描いた「描きたい絵」のイメージがフラゼッタ風だったと語っている[147]。
後代の日本のファンタジーシーンに大きな影響を与えた『ロードス島戦記』(1986) の作者である水野良も、世界観形成のため参照した中にフラゼッタの絵を挙げている[148]。ただし、実際にイラストを担当した出渕裕は、同作のヴィジュアルが、フラゼッタに代表される「筋肉」「厚塗り」といった米国流ではなく、柔らかい水彩の英国ファンタジーアートの系譜に属すると語っている[149]。
漫画・アニメ・ゲームなどへの波及
フラゼッタは、ファンタジーのジャンルに限らない創作者の間で、物語性を備えた一枚絵の描き手として受容された。永井豪は、元コミック作家らしく顔に表情があり、ワンシーンのうちに一連の動きやドラマが感じられると評している[130]。同じく漫画家の荒木飛呂彦も「ワクワク感のある」一枚絵のインパクトを称賛し[150]、「美術界の人ではなくて、こっち側の人という感じ」と評している[151]。漫画編集者の椛島良介もまた、動きと物語性を備えたフラゼッタの絵は漫画家のイラストに近いとしている[151]。『アリオン』(1979) でアニメから漫画に転向した安彦良和は、手塚治虫流とも劇画調とも異なる絵の様式を模索する中で[152]、一枚絵のカラーイラストで物語を伝えるフラゼッタの表現に注目し、その油彩独特のタッチを研究したと語っている[153]。
フラゼッタの筋肉表現に注目する作家も多かった。荒木飛呂彦はフラゼッタが描く筋肉が「まろやか」で柔らかいと述べ、腕をねじるポーズや、身体に蛇が巻き付く一体感を例に挙げた[151]。対戦型格闘ゲーム『ストリートファイターII』(1991) のキャラクターをデザインしたあきまんは「計り知れない程影響をうけた」と述べ、筋肉表現の先駆者として言及した[154][155]。ゲイ・エロティック・アーティストの田亀源五郎は少年時代に「重厚な筋肉描写とパワフルな画風」に惹かれたと語っている[156]。『キン肉マン』(1979) の作画家中井義則は2024年に、異形の身体構造を持つ超人を描く際にフラゼッタの創作的な筋肉表現を参照し続けていると語った[157]。
影響の広がりを示す証言として、荒木飛呂彦が「1980年代にデビューした漫画家や『週刊少年ジャンプ』の編集者は [フラゼッタの画集を] 一度は見ているんじゃないかな」と回想し、画集を見た作家は売れるという「都市伝説」が編集部にあったことを語っている[151]。このころジャンプで活動した作家のうち、『北斗の拳』(1983) の作画家である原哲夫は、フラゼッタからの影響がキャラクター造形や陰影表現、特定場面の構図にまで及んでおり「自分の絵の原点ともいえる」と述べている[158][159][160]。鳥山明もフラゼッタの画集を集めており、『Dr.スランプ』(1980) 連載初期の扉絵でオマージュを捧げていた[161]。『リングにかけろ』(1977) の車田正美についても、背景にフラゼッタの模写が見られるという指摘がある[162]。また荒木独特の「ジョジョ立ち」と呼ばれる人体のポージングについて、影響源の一つにフラゼッタを見る評者もいる[163]。
ジャンプ系列以外の漫画家でも、『サイレントメビウス』(1988) の麻宮騎亜や『ベルセルク』(1989) の三浦建太郎が、西洋からの影響を語る中でフラゼッタの名前を挙げている[164][165]。
そのほかイラストレーションの分野では、怪獣の絵で知られる開田裕治も表現手法に影響を受けたと述べている[166]。ほかに影響を認めている人物に寺田克也[167]、韮沢靖[168]、PABLO UCHIDA[169]らがいる。
作品リスト
代表的な絵画
日付は制作日である[170]。
- Carson of Venus – 1963
- Tales from the Crypt – 1964
- Lost City – 1964
- Land of Terror – 1964
- Reassembled Man – 1964
- Wolfman – 1965
- The Barbarian – 1966[注 9]
- King Kong – 1966
- Sea Monster – 1966
- Spider Man – 1966
- The Sorcerer – 1966
- Swords of Mars – 1966
- Winged Terror – 1966
- The Brain – 1967
- Bran Mak Morn – 1967
- Cat Girl – 1967
- Conan (Man Ape) – 1967[注 10]
- The Berserker – 1967[注 11]
- Chained – 1967[注 12]
- Night Winds – 1967
- Sea Witch – 1967
- Snow Giants – 1967
- Sacrifice – 1968[注 13]
- Rogue Roman – 1968
- Swamp Ogre – 1968
- Egyptian Queen – 1969
- Mongol Tyrant – 1969
- Primitive Beauty / La of Opar – 1969
- Savage World / Young World – 1969
- Vampirella – 1969
- A Princess of Mars – 1970
- Downward to the Earth – 1970
- Eternal Champion – 1970
- The Godmakers – 1970
- Nightstalker – 1970
- Pony Tail – 1970
- The Return of Jongor – 1970
- Sun Goddess – 1970
- Tyrannosaurus Rex – 1970
- Woman with a Scythe – 1970
- The Destroyer – 1971[注 14]
- Desperation – 1971
- John Carter and the Savage Apes of Mars – 1971
- At the Earth's Core – 1972
- Birdman – 1972
- Creatures of the Night – 1972
- The Silver Warrior – 1972[注 15]
- Thuvia, Maid of Mars – 1972
- A Fighting Man of Mars – 1973
- Atlantis – 1973
- Black Emperor – 1973
- Black Panther – 1973
- Black Star – 1973
- Conan of Aquilonia – 1973
- The Death Dealer I – 1973
- Flash for Freedom – 1973
- Flying Reptiles – 1973
- Ghoul Queen – 1973
- Gollum – 1973
- The Mammoth – 1973
- Monster Out of Time – 1973
- The Moon Maid – 1973
- Serpent – 1973
- Tanar of Pellucidar – 1973
- Tarzan and the Ant Men – 1973
- Tree of Death – 1973
- Barbarian – 1974
- Flashman on the Charge – 1974
- Invaders – 1974
- Madame Derringer – 1974
- The Mucker – 1974
- Bloodstone – 1975
- Paradox – 1975
- Dark Kingdom – 1976
- Darkness at Times Edge – 1976
- Fire Demon – 1976
- The Eighth Wonder / King Kong and Snake – 1976
- Queen Kong – 1976
- Golden Girl – 1977
- Castle of Sin / Arthur Rex – 1978
- The Cave Demon – 1978
- Kane on the Golden Sea – 1978
- Sound – 1979
- Witherwing – 1979
- The Sacrifice – 1980
- Las Vegas – 1980
- Seven Romans – 1980
- Fire and Ice – 1982
- Geisha – 1983
- The Disagreement – 1986
- Victorious – 1986
- Predators – 1987
- The Death Dealer II – 1987
- The Death Dealer III – 1987
- The Death Dealer IV – 1987
- The Death Dealer V – 1989
- Cat Girl II – 1990
- The Countess and the Greenman – 1991
- Dawn Attack – 1991
- The Moons Rapture / Catwalk – 1994
- Beauty and the Beast – 1995
- Shi – 1995
- The Sorceress – 1995
- The Death Dealer VI – 1996
- From Dusk till Dawn – 1996
アルバムジャケット
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映画ポスター
- 『何かいいことないか子猫チャン』(1965)[36]
- The Secret of My Success(1965)[182]
- 『紳士泥棒 大ゴールデン作戦』(1966)[15]
- 『ホテル・パラディソ』(1966)[183]
- 『間抜けなマフィア』(1967)[184]
- 『吸血鬼』(1967)[92]
- 『ニューヨーク泥棒結社』(1967)[185]
- 『怪物の狂宴』(1967)[46]
- The Night They Raided Minsky's (1968)[186]
- 『合併結婚』(1968)[187]
- 『危険な国から愛をこめて』(1971)[188]
- Luana (1973)[180]
- Mixed Company (1974)[189]
- 『ガントレット』(1977)[15]
- 『ファイヤー&アイス』 (1983)[15]
主要画集
受賞・ノミネートがある著作を挙げる[190]。
- Frazetta, Frank (1975). The Fantastic Art of Frank Frazetta. Rufus Publications & Peacock Press. ISBN 0-553-01013-1
- Frazetta, Frank; Ballantine, Betty (1978). Frank Frazetta Book III. Peacock Press/Bantam. ISBN 0-553-01136-7
- Frazetta, Frank (1998). Icon: A Retrospective by the Grand Master of Fantastic Art, Frank Frazetta. Underwood Books. ISBN 1-887424-40-7
- Fenner, Arnie; Fenner, Cathey; Frazetta, Frank (1999). Legacy: Selected Paintings and Drawings by Frank Frazetta. Underwood Books. ISBN 1-887424-48-2
- Fenner, Arnie; Fenner, Cathey; Frazetta, Frank (2001). Testament: A Celebration of the Life & Art of Frank Frazetta. Underwood Books. ISBN 1-887424-62-8
- Frazetta, Frank; Frazetta, Frank Jr. (2013). Frank Frazetta Art and Remembrances. Hermes Press. ISBN 978-1-61345-055-0
- Frazetta, Frank; Spurlock, J. David (2013). Frazetta Sketchbook. Vanguard Publishing. ISBN 978-1-934331-56-9
- Frazetta, Frank (2020). Spurlock, J. David. ed. Fantastic Paintings of Frazetta. Vanguard Publishing. ISBN 978-1-934331-81-1
- Frazetta, Frank; Nadel, Dan; Smith, Zak (2022). The Fantastic Worlds of Frank Frazetta. Taschen. ISBN 978-3-8365-7921-6
ギャラリー
- コミックブック『ゴーストライダー』第3号 (1951) 表紙
- 『ゴーストライダー』第5号 (1951) 表紙
- コミックブック『フェイマス・ファニーズ』第209号 (1953) 表紙、バック・ロジャーズ
- 『フェイマス・ファニーズ』第210号 (1954) 表紙、バック・ロジャーズ
- 『フェイマス・ファニーズ』第211号 (1954) 表紙、バック・ロジャーズ
- 『フェイマス・ファニーズ』第212号 (1954) 表紙、バック・ロジャーズ
- コミックブック『ビウェア』第10号 (1954)
- ミッドウッド・ブックス刊のロマンス小説表紙 (1963)
- 『ターザンとライオン・マン』(Tarzan and the Lion Man, 1963) 表紙