ヘザーセット
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来歴
競走馬時代
2歳(1961年)
秋にアスコット競馬場で行われた現在の同名競走とは異なるデュークオブエディンバラステークスでデビューして勝利。
その後、ドンカスター競馬場の第1回タイムフォームゴールドカップに出走したが、展開が合わずミラルゴの5着に終わった[4]。
3歳(1962年)
3歳初戦は5月15日にブライトン競馬場のダービートライアルステークスに出走し、2着のリヴァーチャンターに5馬身差付けて勝利。3着はヘロンであった。
3週間後、エプソム競馬場のダービーステークスに45歳のベテランであるハリー・カーを鞍上に迎えて出走すると、経験不足ながら有力視され、26頭立てで単勝5.5倍の1番人気に支持された[5]。しかし中盤、好位置につけていたものの多重落馬事故に巻き込まれた7頭のうちの1頭となってしまった[6]。ヘザーセットは軽傷で済んだものの、カー騎手は肩を骨折して約2ヶ月間離脱することとなった。なお、レースはアイルランド調教馬で伏兵扱いだったラークスパーが制した[7]。
7月のグッドウッド競馬場で行われたゴードンステークスでは馬場の固さが合わずゲイチャレンジャーの7着に終わった。
8月のヨーク競馬場で行われた12ハロン戦のグレートヴォルティジュールステークスでは、フランキー・ダー鞍上で単勝8.5倍に支持され、ミラルゴを短アタマ差抑えて勝利[8]。
続いて、9月12日にドンカスター競馬場で行われた14.5ハロン戦のセントレジャーステークスにカー鞍上で出走。重馬場で距離をこなせるかと不安視されつつ単勝13.5倍に支持されると[9]、残り1.5ハロンで先頭に立ち、そのまま余裕を持って4馬身差で勝利。2着にはモンテリコ、3着にはミラルゴが入り、ラークスパーは6着に終わった[10]。これは最終的にクラシック16勝を挙げるハーン調教師にとって最初のクラシック勝利であった[11]。
更にニューマーケット競馬場の10ハロン戦であるチャンピオンステークスに出走したが、アイリッシュ2000ギニー勝ち馬アークティックストームの2着[4]。
ヘザーセットの活躍により、ホリデイは3度目となるイギリスのリーディングオーナーの座に就き[12]、ハーン調教師もその後計4度獲得することになるリーディングトレーナーの座に初めて就くこととなった[11]。
タイムフォームはヘザーセットに対し、4歳馬マッチを1ポンド下回り、3歳馬としてはアークティックストームと並び首位となる134ポンドのレーティングを与えた[13]。===4歳(1963年)=== 同年、ハーン調教師がホリデイの下を離れてバークシャー州へと拠点を移したため、ヘザーセットの調教師はそれまで厩務員長を務めていたS・J・ミーニーが引き継いだ。3戦して未勝利に終わったものの、ジョッキークラブステークスで2着、コロネーションカップでもエクスビュリに6馬身差の2着となった[14]。
ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書"A Century of Champions"において、ヘザーセットを平均的なセントレジャーステークス優勝馬と評している[15]。
種牡馬時代
引退後は種牡馬入りしたが、1966年8月26日に脳腫瘍のため死亡した。ハーン調教師は、ダービーステークスで負った頭部の怪我が一因ではないかと推測している[16]。
種牡馬としての供用は僅か3年であったが、1969年のダービーステークス勝ち馬ブレイクニーや、ヴェルメイユ賞勝ち馬のハイエストホープス[4]、1971年のチャンピオンステークスで無敗のブリガディアジェラードを短アタマ差にまで追い詰めたレアリティなど優秀な産駒を多く輩出した[17][18][19][20]。
主な産駒
※主要競走の勝ち馬及び日本の重賞馬のみ
- 1966年産
- 1967年産
- Highest Hopes - 1970年ヴェルメイユ賞、1970年ウジェーヌアダム賞、1970年1000ギニートライアルステークス、1970年フレッドダーリンステークス
母の父としての産駒
※G1馬及び日本の重賞馬のみ
- 1973年産
- Hittite Glory(ヒッタイトグローリー) - 1975年フライングチルダーズステークス、1975年ミドルパークステークス
血統表
| 父系 | トウルビヨン系 [§ 2] | |||
|---|---|---|---|---|
父 Hugh Lupus1952 |
父の父 Djebel1937 |
Tourbillon | Ksar | |
| Durban | ||||
| Loika | Gay Crusader | |||
| Coeur a Coeur | ||||
父の母 Sakountala1942 |
Goya | Tourbillon | ||
| Zariba | ||||
| Samos | Bruleur | |||
| Samya | ||||
母 Bride Elect1952 |
Big Game 1939 |
Bahram | Blandford | |
| Friar's Daughter | ||||
| Myrobella | Tetratema | |||
| Dolabella | ||||
母の母 Netherton Maid1944 |
Nearco | Pharos | ||
| Nogara | ||||
| Phase | Windsor Lad | |||
| Lost Soul | ||||
| 母系 (F-No.) | (FN: 21-a) [§ 3] | |||
| 5代内の近親交配 | Tourbillon 3×4、Bruleur 4×5、Blandford 4×5 [§ 4] | |||
| 出典 | ||||
- 父ヒュールーパスは、フランス産馬で1956年のチャンピオンステークスを制した。少数派のバイアリータークの父系に属しており[24][25]、トウルビヨンの強いインブリードが特徴である。種牡馬としては受胎率が低かったものの、1000ギニーステークスの勝ち馬プールパレなど複数の優秀な競走馬を輩出した。
- 母ブライドエレクトは、1954年にロイヤルアスコット開催のクイーンメアリーステークスを制した。
- 半兄にエクリプスステークス2着のプラウドチーフテン[4]、半弟には日本に種牡馬として輸入されたネヴァービートとボールドアンドブレーヴ[26]。
- 2代母ネザートンメイドはオークスステークス2着。牝系子孫にハリケーンレーン、ハーザンド、エミリーアップジョン、テュデナム、ヒッタイトグローリーなど。
- 3代母フェーズの産駒ニーシャムベルは、1951年のオークスステークス勝ち馬。