ボブ・ヴィール
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![]() ピッツバーグ・パイレーツ時代 (1966年) | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1935年10月28日 |
| 没年月日 |
2025年1月3日(89歳没) |
| 身長 体重 |
6' 6" =約198.1 cm 212 lb =約96.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投両打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1958年 |
| 初出場 | 1962年4月16日 |
| 最終出場 | 1974年9月8日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ロバート・アンドルー・ヴィール(Robert Andrew Veale, 1935年10月28日 - 2025年1月3日または1月7日)は、アメリカ合衆国アラバマ州バーミングハム出身のプロ野球選手(投手)。左投両打。
パイレーツ時代
1958年にピッツバーグ・パイレーツと契約。
1962年4月16日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー[1]。9月28日のミルウォーキー・ブレーブス戦では7回2死までノーヒットに抑えて完投勝利を挙げる[2]など2勝を記録する。
1963年は開幕からリリーフとして登板し好投。終盤先発に回り、9月6日のセントルイス・カージナルス戦でメジャー初完封[3]。9月16日のカブス戦では7回1死までノーヒットに抑えて2安打完封勝利を挙げる[4]など5勝2敗・防御率1.04を記録した。
1964年は開幕投手を務め、9月30日のシンシナティ・レッズ戦では13回途中まで16奪三振で無失点に抑えた[5]。リーグワーストの124四球ながら18勝12敗・防御率2.74・250奪三振の成績で、サンディ・コーファックスを抑えて最多奪三振を獲得。
1965年は4月12日のサンフランシスコ・ジャイアンツとの開幕戦で、5回以降の6イニングをパーフェクトに抑えて延長10回を完封し、フアン・マリシャルに投げ勝つ[6]。6月1日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では16奪三振を記録する[7]など、前半戦で9勝6敗・防御率2.62を記録し[8]、オールスターゲームに初選出される。9月19日のフィリーズ戦では延長10回を1安打完封[7]。2年連続リーグワーストの119四球ながら17勝12敗・防御率2.84、キャリアハイの276奪三振・7完封の好成績を挙げ、被本塁打は266.0イニングで5本だけだった。
1966年は2年連続でオールスターゲームに選出され、16勝12敗・229奪三振を記録。
1967年は開幕から6連勝。16勝を挙げるが、リーグワーストの119四球だった。
1968年は2年連続リーグワーストの94四球で13勝14敗と負け越したが、キャリアハイの防御率2.05の成績だった。
1969年は前半戦で5勝11敗に終わるが、後半戦で7連勝を記録[9]するなど8勝・防御率2.18と復調[10]し、3年ぶりに200を越える213奪三振を挙げた。
1970年は10勝15敗と不本意な成績に終わる。
1971年はリリーフに回り、6勝を記録するものの防御率6.99と打ち込まれた。チームはリーグ優勝を果たし、ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズも4勝3敗で制しワールドチャンピオンに輝いたが、自身は第5戦で1試合に登板したのみだった[11]。
1972年はマイナーに降格し、9月2日にボストン・レッドソックスに移籍。
レッドソックス時代
移籍後は6試合に登板して無失点で2勝を挙げた。
1973年は11セーブを挙げるが、10月25日に解雇される。
その後再契約するが、1974年は18試合の登板に終わって10月24日に再び解雇され、現役を引退。
投手としての球種はシンキングファストボール、スライダー、チェンジアップ、カーブ[12]。
