マット・ソーントン

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生年月日 (1976-09-15) 1976年9月15日(49歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
235 lb =約106.6 kg
マット・ソーントン
Matt Thornton
サンディエゴ・パドレス時代
(2016年6月22日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシガン州セントジョセフ郡スリーリバース英語版
生年月日 (1976-09-15) 1976年9月15日(49歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 MLBドラフト1巡目(全体22位)でシアトル・マリナーズから指名
初出場 2004年6月27日 サンディエゴ・パドレス
最終出場 2016年8月2日 ミルウォーキー・ブルワーズ
年俸 $3,500,000(2015年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2009年

マシュー・J・ソーントンMatthew J. "Matt" Thornton, 1976年9月15日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州セントジョセフ郡スリーリバース英語版出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

プロ入り前

1995年MLBドラフト27巡目(全体742位)でデトロイト・タイガースから指名を受けたが、契約せずにグランドバレー州立大学英語版へ進学。

プロ入りとマリナーズ時代

1998年MLBドラフト1巡目(全体22位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り。

2001年カリフォルニアリーグの最優秀投手に選出された[2]

2002年に肘を故障したため[3]トミー・ジョン手術を受け[4]2003年は8試合にしか登板出来なかった。

2004年は、AAA級タコマ・レイニアーズで開幕を迎え、4月26日にメジャー昇格を果たしたが、プレーすることがないまま、3日後の29日にAAA級タコマへ降格した[4]。その後、6月25日に再びメジャー昇格を果たし[4]、27日にメジャーデビュー。マイナー時代は先発投手として起用されていたが、メジャーではリリーフとして起用された。

2005年はメジャー定着を果たし、55試合に登板。

ホワイトソックス時代

シカゴ・ホワイトソックス時代
(2011年8月8日)

2006年開幕直前の3月20日ジョー・ボーチャードとのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍。ホワイトソックスでは、ドン・クーパー英語版投手コーチと共に制球難克服に取り組み克服[5]。与四球率を6.6から3.5まで改善させた。

2007年2月に球団と1年契約に合意していたが、4月1日に3年総額325万ドルに合意。また、球団側は4年目の2009年は225万ドル、5年目の2010年は300万ドルのオプションを持っている[6]

2007年は不安定な成績で防御率は4.79だった。

2008年は安定した投球を見せ、防御率は2.67と2点以上改善させた。

2009年開催の第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは、アメリカ合衆国代表の一員として出場。

2009年は、速球の威力が更に増し、153 - 156km/hまで出るようになり[7]、奪三振率が向上(10.30から10.83に向上)した。シーズン全体では、2年連続で70試合以上に登板し、6勝3敗4セーブ・防御率2.74という成績を残した。4セーブを記録しているのは、クローザーのボビー・ジェンクスが3度故障者リスト入りした際、ジェンクスの代役を務めた事による[7]

2010年は、60.2イニングで81奪三振を記録し、奪三振率が12.01まで向上した。また、引き継いだランナー31人中27人の生還を阻止するなど、ピンチで役割を果たした[8]。登板試合数は3年ぶりに70以下の数字に終わったが、防御率は2008年に記録した自己ベストと並ぶ2.67という数字をマーク。セーブ数も前年より倍増させ、8セーブを記録した。

2011年3月6日に総額1100万ドルの2年契約(2014年・600万ドルのオプション付き)に合意。クローザーとして起用される可能性が見込まる[8]も、2012年途中からは新人のアディソン・リードがクローザーになった。

レッドソックス時代

ボストン・レッドソックス時代
(2013年7月28日)

2013年7月12日ブランドン・ジェイコブス英語版とのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[9]。オフの11月2日に球団がオプションを破棄したため、FAとなった。

ヤンキース時代

2013年12月17日ニューヨーク・ヤンキースと2年700万ドルで契約に合意したことを報道された[10][11]

2014年1月10日に球団が正式に発表した[12]。開幕後は46試合に登板し、0勝3敗、防御率2.55だった。

ナショナルズ時代

ワシントン・ナショナルズ時代
(2015年8月5日)

2014年8月5日ウェーバーを経てワシントン・ナショナルズへ移籍した[13]。ナショナルズ加入後は18試合に登板し、1点も与えないという見事なピッチングを見せた。これが効き、ヤンキースとの合算では64試合の登板で防御率1.75・WHIP1.14という好成績となった。

2015年は60試合に登板し、10年連続60試合登板以上・通算700試合登板などの記録を達成。防御率(2.18)とWHIP(1.07)でも好成績をマークし、ベテランながらブルペンを支える活躍を見せた。オフの11月2日にFAとなった[14]

パドレス時代

2016年3月3日サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び、招待選手としてスプリングトレーニングに合流した[15]4月3日にメジャー契約を結んで25人枠したが、8日に故障者リスト入りした。5月28日に復帰した。8月6日DFAとなり、11日に自由契約となった[16]。11月7日に現役引退を表明[17]。通算748試合登板は歴代70位(引退当時)。

投球スタイル

最速155km/hを超える剛速球とスライダーが武器のパワーピッチャー。以前は制球を苦手としていたが、現在は克服[18]

詳細情報

年度別投球成績





















































W
H
I
P
2004 SEA 1910001200.33314832.23022510302015154.101.68
2005 5500000405.00026257.054134220577033335.211.68
2006 CWS 63000053218.62522754.04652141491020203.331.21
2007 68000044217.50024956.15942662553031304.791.51
2008 74000053120.62526867.14851922773020202.671.00
2009 70000063424.66729172.15852021874022222.741.08
2010 61000054821.55623960.24132052811018182.671.01
2011 62000025320.28626259.26032150632034223.321.36
2012 740000410326.28626665.06341743532027253.461.23
2013 40000003018.00011628.02541012211014123.861.25
BOS 2000000101.0007115.1220500910663.521.76
'13計 60000004019.00018743.14741512302020183.741.43
2014 NYY 46000003012.00010724.22306242000972.551.18
WSH 18000010061.0004511.1100201800000.001.06
'14計 64000013018.25015236.03308252800971.751.14
2015 60000021018.66717141.13321131231012102.181.07
2016 SD 18000010001.0007717.022260190012115.821.65
通算:13年 7481000364623206.4392799662.25945225137206422802732513.411.28

獲得タイトル・表彰・記録

背番号

  • 43 (2004年)
  • 53 (2005年 - 同年途中)
  • 54 (2005年途中 - 同年終了)
  • 37 (2006年 - 2013年)
  • 48 (2014年 - 同年途中)
  • 46 (2014年途中 - 2016年)

脚注

関連項目

外部リンク

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