テッド・リリー
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ロサンゼルス・ドジャース時代 | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | カリフォルニア州ロミータ |
| 生年月日 | 1976年1月4日(50歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 195 lb =約88.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1996年 MLBドラフト23巡目 |
| 初出場 | 1999年5月14日 |
| 最終出場 | 2013年6月4日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム |
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| WBC | 2009年 |
この表について
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セオドア・ルーズベルト・リリー(Theodore Roosevelt Lilly, 1976年1月4日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
1996年のMLBドラフトで、ロサンゼルス・ドジャースから23巡目(全体688位)指名を受け入団。
1998年のシーズン途中に、モントリオール・エクスポズへ移籍。翌1999年5月14日にメジャーデビューを果たす。
2000年、伊良部秀輝との交換トレードでジェイク・ウェストブルック、クリスティアン・パーカーと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
2002年、オークランド・アスレチックスへ移籍。
2004年、トロント・ブルージェイズに移籍。同年にはオールスターに初選出された。
2006年8月21日のオークランド・アスレチックス戦において、ジョン・ギボンズ監督と試合中にもかかわらず喧嘩をした。1回で5失点をした段階でギボンズ監督が投手交代のためにマウンドに向かうと、リリーはその場でその決断に怒りを表し、激しく口論。その後も、スタジアムから去ろうとするリリーを監督が追いかけ、喧嘩が続いた。その後何が起こったのかは明らかにされていないが、鼻から出血をした監督の写真が撮られている。試合後、両者は問題は解決したとのコメントを出し、8月27日には何事もなかったかのようにリリーは登板した[1]。シーズン終了後にFAとなり、シカゴ・カブスと4年総額4000万ドルで契約した。
2010年7月31日、ブレット・ウォラック、カイル・スミット、ブレイク・デウィットとのトレードでライアン・テリオと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍。
2011年は12勝を記録し、2003年から9年連続2桁勝利となった。
2012年は開幕から8登板で5勝1敗と好調を維持していたが、肩の故障で離脱。リハビリのため、A級ランチョクカモンガ・クエイクスに降格した。当初は9月に復帰する予定だった[2]が、回復せず9月21日に手術を行った[3]。
2013年は怪我の影響で開幕から故障者リスト入りし、マイナースタートとなった。4月に先発のザック・グレインキーとクリス・カプアーノが故障で離脱したため、4月24日に故障者リストから外れた。2試合に先発したが、5月3日に胸郭周りの筋肉の痛みを訴え、再び故障者リスト入りし、5月20日に外れた。しかし6月4日のサンディエゴ・パドレス戦で、走者のカイル・ブランクスと交錯した際に首を痛め、再び故障者リスト入りすることとなった。その後6月中に復帰した[4]が、7月25日にDFAとなり[5]、8月2日に放出された。8月6日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ[6]。シーズンオフにベネズエラで行われたウィンターリーグに参加し、来季メジャー復帰を目標としていた[7]が、慢性的な首の痛みを理由に11月27日に引退を発表した[8]。
2015年1月24日に、保険金詐欺容疑で告発された[10]。自身が所有する20万ドル相当のキャンピングカーの修理に絡む保険金をだまし取ろうとした疑いをかけられ、裁判では検察との司法取引に応じて容疑を認めた。罰金2500ドル(約30万円)、2年間の保護観察、250時間の地域奉仕活動と引き換えに禁錮刑を免れている。