ヒース・ベル

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生年月日 (1977-09-29) 1977年9月29日(48歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
250 lb =約113.4 kg
ヒース・ベル
Heath Bell
サンディエゴ・パドレスでの現役時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オーシャンサイド
生年月日 (1977-09-29) 1977年9月29日(48歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 2004年8月24日
最終出場 2014年5月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2009年2013年

ヒース・ジャスティン・ベルHeath Justin Bell, 1977年9月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オーシャンサイド出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

プロ入り前

1997年MLBドラフト69巡目(全体1583位)でタンパベイ・デビルレイズ(現:タンパベイ・レイズ)から指名されたが[1]、契約には至らなかった。

メッツ時代

1998年6月16日にニューヨーク・メッツとドラフト外で契約。メッツ傘下のマイナー球団で6年間を過ごした。

2004年8月24日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューした。デビュー戦は2イニング無失点、3奪三振の好投であった。

パドレス時代

2006年11月15日、ジョン・アドキンス英語版ベン・ジョンソンとのトレードでロイス・リング英語版とともにサンディエゴ・パドレスへ移籍。

2007年セットアッパーとして起用された。8月23日にメジャー初セーブを記録。最終的にチーム最多の81試合に登板し、34ホールドを記録。

2008年は前半戦の防御率が2.15と好調だったが、後半戦は制球が定まらなくなり、防御率も6.18と悪化した[2]。シーズン終了後、抑えのトレバー・ホフマンミルウォーキー・ブルワーズ移籍に伴い球団はベルを抑えとして起用することに[3]

2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表に選出された[4]
シーズンでは、42セーブを記録し、ナショナルリーグ最多セーブとなった。

2010年は更に安定感を増し、6勝1敗47セーブ、防御率1.93、セーブ成功率94%(両リーグトップ)を記録。最多セーブこそブライアン・ウィルソンに1つ及ばず逃したが、投球内容が評価され、MLBから最優秀救援投手として表彰された[5]

2011年5月3日、41セーブ機会連続成功となり、トレバー・ホフマンの持つ球団記録に並んだ。この年は奪三振率が低下したものの、3年連続で40セーブの大台を突破。オフにFAとなった。

マーリンズ時代

2011年12月2日に3年総額2700万ドルの契約でマイアミ・マーリンズへ移籍した[6]

2012年は序盤からセーブ失敗を繰り返し、後半戦は抑えから外された。

ダイヤモンドバックス時代

2012年10月20日にオークランド・アスレチックスも含めた三角トレードによってアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[7]

2013年はシーズン開幕前の2月27日に第3回WBCアメリカ合衆国代表に選出された事が発表され[8]、代表入りし[9]2大会連続2度目の選出となった。

レイズ時代

2013年12月3日、ダイヤモンドバックス、シンシナティ・レッズタンパベイ・レイズ間の三角トレードでレイズに移籍[10]

2014年は開幕ロースター入り。13試合に登板し、1勝1敗、防御率7.27と安定せず、5月4日にDFAとなった[11]。5月10日に放出された。

オリオールズ傘下時代

2014年5月17日、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[12]

ヤンキース傘下時代

2014年6月13日、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[13]。6月24日に、解雇された[14]

現役引退

2014年12月22日、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[15]。しかし、開幕前の2015年3月23日に解雇され、3月24日に現役引退を表明した[16]

詳細情報

脚注

外部リンク

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