「道悪の鬼」「雨女」と異名を取り[1](実際は、ハンデ戦以外は決して良績では無かった)、不良馬場となった安田記念を優勝している。また同じ道悪の鬼であるアカネテンリュウとの壮絶な叩き合いもあった(東京新聞杯・ラファールは2着)。
重賞2勝目(京王杯オータムハンデキャップ)は良馬場が功を奏しての逃げ切り勝ちであった。牝馬ながら歴戦を重ねたが、晩年は得意の重馬場であっても良績はなかった。最後には障害レースに参戦している(4戦1勝・最後は故障競走中止)。
故障したものの命に別状無く引退繁殖入りしたラファールは、僅か2頭の産駒を残し1977年7月10日栃木県ハイランド牧場で死亡。死因は腸捻転であった。