ハートレイク
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| ハートレイク | ||||||||||||
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| 欧字表記 | Heart Lake | |||||||||||
| 香港表記 | 心湖 | |||||||||||
| 品種 | サラブレッド | |||||||||||
| 性別 | 牡 | |||||||||||
| 毛色 | 栗毛 | |||||||||||
| 生誕 | 1991年4月22日 | |||||||||||
| 死没 | 1999年9月24日(8歳没) | |||||||||||
| 父 | Nureyev | |||||||||||
| 母 | My Darling One | |||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | シェイク・モハメド | |||||||||||
| 馬主 | ゴドルフィン | |||||||||||
| 調教師 |
ジョン・オックス(アイルランド) サイード・ビン・スルール (UAE) | |||||||||||
| 競走成績 | ||||||||||||
| 生涯成績 | 17戦6勝 | |||||||||||
| 獲得賞金 |
2万5790ポンド 45万香港ドル 11万ディルハム 1億6522万2000円 | |||||||||||
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ハートレイク (Heart Lake、1991年 - 1999年)は、イギリス生まれのサラブレッド競走馬、および種牡馬。
ゴドルフィン所有の外国馬ながら、日本では4戦(中央競馬)をこなし、重賞を2勝した。日本では武豊が騎乗し、1995年の安田記念ではサクラチトセオーを、1996年の京王杯スプリングカップではタイキブリザードを破って優勝している。
4歳
※馬齢は旧表記に統一する。
ハートレイクのデビューは5月と遅かったが、マイケル・キネーンが手綱を取ってデビュー勝ちした。続く2戦目のバリコーラスステークス(準重賞)は2着、3戦目は1着と好成績を収め、英国G III・クリテリオンステークスに挑んだ。重賞初挑戦だったが4着に敗れた。
それでも、ハートレイクはアイルランドのG III・コンコルドステークスで優勝し重賞ウイナーの仲間入りを果たした。しかし、次走のG III・デズモンドステークスで1位で入線するが、進路妨害で失格となってしまう。この後、デビュー4ヶ月で6戦というハードローテーションだったこともあり、一旦休養に入った。4ヶ月の休養後、沙田競馬場のG III・香港国際ボウルで復帰。鞍上にはランフランコ・デットーリを迎えたが、3着に終わった。
5歳
年が明けて、ナド・アルシバ競馬場での一般競走を勝利すると、日本へ遠征。上述のように、鞍上には武豊を起用した。安田記念の前哨戦、京王杯スプリングカップでは5着に敗れたが、本番の安田記念では優勝を果たした。外国調教馬が安田記念を優勝したのは、史上初のことであった。
GI制覇を成し遂げたハートレイクの次走はニューマーケット競馬場でのジュライカップ。再びデットーリを鞍上に迎えるが、1着馬レイクコニストンから22馬身、8着馬からも10馬身離された9着と殿負けを喫し、再び休養に入った。
6歳
年明けに復帰したハートレイクはアブダビでの2戦を61kgという酷量を背負いながら2着に好走すると、ナドアルシバマイル4着後、再び日本へやってくることになった。59kgの斤量を背負いつつも京王杯スプリングカップを優勝する。しかし、安田記念では2番人気ながら12着と大敗を喫する。そして、次走のサセックスステークスで9着に敗れたのを最後に引退した。
引退後
1997年から社台スタリオンステーションで種牡馬として供用されていたが、1999年9月24日にシャトル供用先のオーストラリアの牧場で、種付け中の事故のため、死亡した。