ルイス・メンドーサ

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生年月日 (1983-10-31) 1983年10月31日(42歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
240 lb =約108.9 kg
ルイス・メンドーサ
Luis Mendoza
カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2012年3月25日)
基本情報
国籍 メキシコの旗 メキシコ
出身地 ベラクルス州ベラクルス
生年月日 (1983-10-31) 1983年10月31日(42歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2007年9月8日
NPB / 2014年4月1日
最終出場 MLB / 2013年9月22日
NPB / 2017年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム メキシコの旗 メキシコ
WBC 2013年2017年

ルイス・アロンソ・メンドーサ・ロドリゲスLuis Alonso Mendoza Rodríguez, 1983年10月31日 - )は、メキシコベラクルス州ベラクルス出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。現在はメキシカンリーググアダラハラ・マリアッチスGMを務める。日本ハム時代の愛称は「メンディ」。

レッドソックス・パドレス時代

2000年に、アマチュア・フリーエージェントでボストン・レッドソックスに入団。1A+に在籍していた2005年には、7月8日にウェーバーサンディエゴ・パドレスに移籍したが、20日後の7月28日に再びウェーバーでレッドソックスに復帰した。

レンジャーズ時代

2006年7月30日に、ブライアン・コーリーとの交換トレードでテキサス・レンジャーズに移籍した。

2007年には、9月8日の対オークランド・アスレチックス戦に、先発投手としてMLBデビューを果たした。

2008年には、MLB公式戦25試合に登板。11試合で先発を任されたが、防御率が8.36にまで達した。

2009年には、8月14日に3Aでノーヒットノーランを達成した[1]が、MLB公式戦での登板はわずか1試合だった。

ロイヤルズ時代

2010年4月2日に、金銭トレードでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍した。

2011年には、7月18日に3Aで自身2度目のノーヒットノーランを達成。しかし、セーフと判定された安打性の打球(記録は失策)について、試合後に審判員が誤審を認めた(判定自体は覆らず)[2]

2012年には、MLB公式戦で自己最多の30試合に登板。25試合で先発を任されると、8勝を挙げるとともに、シーズン最終登板で自身初の規定投球回到達を果たした。

2013年には、開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の本大会に、メキシコ代表として出場。本大会の終了後にチームへ復帰すると、MLB公式戦15試合に登板した。しかし、2勝6敗と振るわず、11月11日付でフリーエージェントの対象になった。その一方で、MLBのシーズン終了後には、母国のウィンターリーグであるリーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコへ参加。所属したヤキス・デ・オブレゴンのリーグ優勝によってカリビアンシリーズにも出場すると、MVPに選ばれた[3]

日本ハム時代

2013年11月12日に、北海道日本ハムファイターズがメンドーサとの入団契約で合意に達したことを発表した[4]2015年シーズン終了までの2年契約で、背番号は15

2014年には、チームの公式戦開幕4試合目であった4月1日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡 ヤフオク!ドーム)に先発投手として来日初登板を果たすと、6回2/3を1失点に抑えて公式戦初勝利を挙げた。日本ハムと契約した外国人投手が、NPBの一軍公式戦で初登板・初先発・初勝利を同時に記録した事例は、2003年クリス・シールバック以来12年ぶりだった[5]。その後も、シーズンを通じて一軍先発陣の一角に定着。9月11日の対ソフトバンク戦(東京ドーム)で来日後初めての完投勝利を挙げたが、一軍公式戦全体では、26試合の登板で7勝13敗と負け越した。

2015年には、一軍公式戦26試合に登板。先発登板25試合で10勝8敗という成績を残したほか、6月10日の対読売ジャイアンツ戦(札幌ドーム)では、来日後初めての救援登板でホールドを記録した。このシーズンには、前述した2年契約の満了に備えて、MLB球団のスカウトがメンドーサの登板試合を頻繁に視察。しかし、ポストシーズン中の10月24日には、球団がメンドーサとの再契約で合意したことを発表した[6]

2017年6月17日(日本ハム時)に投球をするメンドーサ

2016年のレギュラーシーズンには、主に先発投手として一軍公式戦23試合に登板。チームはパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝を経てクライマックスシリーズへ進出したものの、メンドーサ自身はレギュラーシーズンで7勝8敗と負け越したことから、ポストシーズンで救援要員に回った。ソフトバンクとのCSファイナルステージでは登板機会がなかったが、チームのステージ突破で臨んだ広島東洋カープとの日本シリーズには2試合に登板。シリーズ2試合目の登板であった10月27日の第5戦(札幌ドーム)では、2回表1死満塁のピンチで先発投手の加藤貴之から交代すると、5回2/3を無失点で凌いだ[7]。日本シリーズに救援で登板した外国人投手が、5イニング以上を投げて無失点に抑えた事例は、シリーズ史上初めてであった。メンドーサ自身は勝利投手にはなれなかったが、チームは降板後に逆転勝利[8]。第6戦で日本シリーズ制覇を決めた。

2017年には、チームの主力打者で前年度パ・リーグ本塁打王ブランドン・レアードと共に[9]第4回WBC本大会へメキシコ代表として出場[10]。3月9日の1次リーグD組・対イタリア戦では、先発で4回2失点という内容ながら、メキシコ代表としてはこの大会唯一の勝利投手になった[11]。メキシコ代表はD組の最下位で決勝ラウンドへ進めなかったため、オープン戦の終盤からは、レアードと共にチームへ再び合流している。レギュラーシーズンでは、主に先発投手として、一軍公式戦で開幕から20試合に登板。防御率をおおむね3点台にとどめていたが、打線の援護に恵まれなかったこともあって、3勝7敗にとどまった。さらに、チームは開幕から下位に低迷。CS進出の可能性がほぼ消滅した7月以降は、若手選手を積極的に起用する方針に転じた。メンドーサも、この影響で先発登板の機会が減少。7月には救援で3試合に登板した[12]が、先発に復帰した8月18日の対埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)では、8回途中無失点の好投で自身89日振りの勝利を挙げた。先発登板の機会を求めて他球団への移籍を希望し[13]、球団もその希望に沿って、NPBにウェイバー公示を申請した結果、8月24日付で公示された。

阪神時代

2017年8月30日に、阪神タイガースがNPBに対して、ウェイバー公示中のメンドーサを獲得することを申請。翌31日には、日本ハム球団との間でメンドーサの保有権譲渡に関する契約が成立したことを発表した[14]。NPBの野球協約第13章第119条「選手契約の譲渡(優先順位)」の適用による移籍で[15]、背番号は75[注 1]

移籍後は、9月3日の対中日ドラゴンズ戦で、先発投手としてセ・リーグ公式戦に初登板。日本ハムでの最終登板から中15日で臨んだ[16]が、7回4失点という内容で敗戦投手になった。9月18日の対広島戦(いずれも甲子園)では、前年の日本シリーズでの好投(前述)を買われて先発に起用[17]。セ・リーグの優勝マジック1で甲子園に乗り込んだ広島打線を相手に、5回を2失点で凌いだ。1点ビハインドでの降板後にチームがいったん同点に追い付いたため、メンドーサ自身に勝敗は付かなかったが、救援陣が終盤に再び勝ち越しを許した末にチームは敗戦。この敗戦によって、広島のセ・リーグ2連覇が決まった[18]。メンドーサ自身は、二軍での調整を経て、9月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)にも先発で登板。4回4失点という内容で黒星が付いた末に、翌9月30日付で出場選手登録を抹消され、阪神移籍後は未勝利のままレギュラーシーズンを終えた。

メンドーサが阪神と契約した8月31日は、この年のCSや日本シリーズに出場するための契約期限の最終日でもあった。さらに、阪神がレギュラーシーズン2位でDeNAとのCSファーストステージ(甲子園)へ進んだため、メンドーサには日本ハム時代の前年に続いてポストシーズンの試合へ登板する可能性があった。しかし実際には、メッセンジャーがレギュラーシーズンの最終盤から、先発要員として一軍に復帰。チームもCSファーストステージ第3戦でステージ敗退が決まったため、メンドーサはポストシーズンの試合へ登板することなく、第3戦の翌日10月18日にメキシコへ帰国した。

帰国から1ヶ月後の11月22日からは、ウィンターリーグのヤキス・デ・オブレゴンで4シーズン振りにプレー。DeNAから派遣されていた乙坂智のチームメイトになった[19]。その一方で、阪神への残留を希望していたが[20]、球団はメッセンジャー、マルコス・マテオラファエル・ドリスを残留させることを優先。さらに、呂彦青ディエゴ・モレノウィリン・ロサリオを相次いで獲得したため、12月2日にNPBから自由契約選手として公示された。阪神での在籍期間は3か月間で、球団の歴代所属投手では最も短く[21]、野手を含めてもヤンガービス・ソラーテ2019年シーズンの途中に2か月間在籍)に次ぐ短さである。

メキシカンリーグ時代

2018年4月17日に、メキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズへ入団することが発表された[22]。背番号は、ロイヤルズ時代にも着用していた39[23]で、幼馴染みで少年野球でも一緒だったルイス・クルーズ(前年限りで楽天を退団した内野手)と再びチームメイトになった。

2019年には、クルーズと共に野球メキシコ代表の一員として来日すると、3月9日に野球日本代表との強化試合(京セラドーム大阪)で先発登板。日本では阪神からの退団以来約1年半ぶりのマウンドで、2回を投げて1失点という内容だった[24]。4月13日にユカタン・ライオンズに移籍した。

2020年1月31日にプエブラ・パロッツと契約した。

引退後

2020年限りで現役を引退し、2021年より、メキシカンリーグの新球団であるグアダラハラ・マリアッチスGMに就任した[25][26]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 TEX 6300010001.0006416.0131402700442.251.06
2008 25110003810.27331663.19772546355074618.671.93
2009 100000000----71.0211010004436.003.00
2010 KC 400000100.000254.0104300100101022.503.25
2011 2200020001.0006014.2110502700321.231.09
2012 302500081000.444709166.017615593111046284784.231.42
2013 22150002600.25041994.01061043035410160565.361.59
2014 日本ハム 262610071300.350698162.017064511011913175703.891.33
2015 262510110801.556626148.213486218856163583.511.32
2016 23220007801.467573132.1135134524777064573.881.36
2017 20170003700.30043799.210693818565045443.971.44
阪神 440000200.0009021.0222601151012125.141.33
'17計 24210003900.250527120.2128114419716057564.181.43
MLB:7年 9056000162510.3901600359.0415381407252082132392155.391.55
NPB:4年 9994201273802.4152424563.2567381965313523222592413.851.33
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB初記録
投手記録
打撃記録

背番号

  • 32 (2007年)
  • 46 (2008年 - 2009年)
  • 39 (2010年 - 2013年、2018年 - 2020年)
  • 15 (2014年 - 2017年途中)
  • 75 (2017年途中 - 同年終了)

脚注

関連項目

外部リンク

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