クラウディオ・ロペス

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本名 クラウディオ・ハビエル・ロペス
Claudio Javier López
愛称 El Piojo (エル・ピオホ、シラミ)
ラテン文字 Claudio LÓPEZ
クラウディオ・ロペス
名前
本名 クラウディオ・ハビエル・ロペス
Claudio Javier López
愛称 El Piojo (エル・ピオホ、シラミ)
ラテン文字 Claudio LÓPEZ
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1974-07-17) 1974年7月17日(51歳)
出身地 リオ・テルセオスペイン語版
身長 178cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW / MF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1992 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 39 (14)
1992-1996 アルゼンチンの旗 ラシン・クルブ 116 (25)
1996-2000 スペインの旗 バレンシア 123 (42)
2000-2004 イタリアの旗 ラツィオ 105 (28)
2004-2007 メキシコの旗 アメリカ 87 (27)
2007-2008 アルゼンチンの旗 ラシン・クルブ 34 (10)
2008-2009 アメリカ合衆国の旗 カンザスシティ・ウィザーズ 57 (13)
2010 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ 11 (0)
代表歴
1996  アルゼンチン U-23 6 (2)
1995-2003 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 55 (10)
獲得メダル
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
男子 サッカー
オリンピック
1996 アトランタサッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラウディオ・ハビエル・ロペス(Claudio Javier López, 1974年7月17日 - )は、アルゼンチンコルドバ州リオ・テルセオ出身の元サッカー選手アルゼンチン代表であった。ポジションはフォワード。サッカー選手を引退してからはラリードライバーとして活動しており、アルゼンチンラリー選手権に参戦している。

バレンシア

16歳だった1990年、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、1992年にはラシン・クルブに移籍して出場機会を得た。

1996年夏、リーガ・エスパニョーラバレンシアCFに移籍。1996-97シーズンは32試合に出場して3得点を挙げた。1997-98シーズンは28試合に出場して12得点を挙げ、アルゼンチン代表にも定着。1998-99シーズンには完全に中心選手となり、国内リーグで21得点したほか、コパ・デル・レイ優勝にも貢献した。1999-2000シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで躍進。準々決勝ではSSラツィオ(イタリア)と対戦し、ファーストレグはロペスの得点などで5-2と大勝した。決勝ではレアル・マドリードに0-3で敗れたが、同大会でクラブ史上最高の成績を残した。FCバルセロナに相性が良く、バルセロナ戦15試合で12得点を挙げている。

ラツィオ

2000年夏、イタリア・セリエAのラツィオに移籍。移籍金は3500万ユーロと報じられ、背番号7を与えられた。数ヶ月前にUEFAチャンピオンズリーグでラツィオとバレンシアが対戦した際にセルジオ・クラニョッティ会長が興味を抱いたとされる。代表でチームメイトのエルナン・クレスポディエゴ・シメオネフアン・セバスティアン・ベロンロベルト・センシーニなど多くのアルゼンチン人選手がラツィオに在籍していた。9月8日、スーペルコッパ・イタリアーナインテル戦 (4-3) でデビューし、2得点を挙げてトロフィー獲得に貢献。2000-01シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに出場し、スタディオ・オリンピコでのRSCアンデルレヒト戦ではコーナーキックを直接ゴールに蹴り込んで得点を挙げた。11月1日のブレシア・カルチョ戦で左膝靭帯を損傷して残りのシーズンを棒に振り、リーグ戦では16試合出場無得点でシーズンを終えた。2001年夏にはバレンシアでチームメイトだったガイスカ・メンディエタが加入。2001-02シーズン開幕戦のピアチェンツァ・カルチョ戦で復帰して得点も挙げると、同シーズンはレギュラーとして29試合に出場して10得点を挙げた。ラツィオは財政難に見舞われたが、2002-03シーズンベルナルド・コッラーディとコンビを組み、14得点(リーグ6位)12アシスト(リーグトップ)を記録した。2002年12月9日のインテル戦ではハットトリックを達成したが、その後3点差を追いつかれて引き分けた。2003-04シーズンはUEFAチャンピオンズリーグに出場したが、ラツィオはグループ最下位でグループリーグ敗退に終わった。

メキシコとラシン復帰

2003-04シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオン・メヒカーナクラブ・アメリカに移籍。アペルトゥーラ2004で17試合に出場して4得点を挙げると、クラウスーラ2005では10得点を挙げて10度目のリーグ優勝に貢献。2004-05シーズン全体では14得点を挙げた。バレンシアやラツィオではリーグ優勝の経験がないため、自身初のリーグ優勝となった。2006年のCONCACAFチャンピオンズカップでは、決勝のエストゥディアンテス・テコス戦で2得点するなどして優勝に貢献。同年12月には日本で開催されたFIFAクラブワールドカップに出場した。2007年1月、11年ぶりにラシン・クルブへ復帰。出場機会は後半からの途中出場が多かったが何度も重要な得点を挙げた。

MLS時代

2008年3月7日、フリートランスファーでメジャーリーグサッカー (MLS) のカンザスシティ・ウィザーズと契約したと発表された。特別指定選手の資格を有さず、ウィザーズのサラリーキャップである年俸41万5000ドルでの契約だった[1]。3月29日のD.C. ユナイテッド戦でデビューし、その試合で移籍後初得点も挙げた。2010年2月23日には2シーズン過ごしたカンザスシティ・ウィザーズを退団した[2][3]。4月2日、コロラド・ラピッズと契約した[4][5][6]。2010年シーズン終了後、ラピッズは契約延長オプションを行使せず、ロペスはMLSのリエントリー・ドラフトに参加。フリーエージェントとなったが、リエントリー・ドラフトではどのクラブからも指名されなかった。

代表経歴

1993年5月13日、南アフリカ戦でアルゼンチンA代表デビュー。1996年にはU-23アルゼンチン代表としてアトランタオリンピックに出場し、6試合出場2得点の成績で銀メダル獲得に貢献。バレンシアで活躍した1997-98シーズン中にアルゼンチンA代表に定着し、1998 FIFAワールドカップのメンバーに選出された。全5試合に出場してベスト8の成績を修めた。準々決勝のオランダ戦では、アルゼンチン代表の大会通算100得点目となる節目の得点を挙げたが[要出典]、試合終了間際にデニス・ベルカンプに決勝点を決められ、1-2で敗れて敗退が決まった。2002 FIFAワールドカップでは2試合に出場したが、グループリーグ敗退という結果に終わった。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 54試合 10得点(1995年-2003年)[7]
アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
199520
199640
199782
1998123
199940
200082
200183
200260
200320
通算5410

タイトル

脚注

外部リンク

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