ロンボク島
インドネシア共和国の島
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地理
ロンボク島は南北、東西ともに約80キロメートルの島であり、西側にはバリ島、東側にはスンバワ島が隣接する。一年の内4月から9月が乾期、10月から3月までが雨期にあたる。雨季と乾季の降水量の差は大きく、バリ島と比較して乾燥している[2]。農業と牧畜が盛んで、米、藍、コーヒー、カカオを産出する[3]。
北部には火山湖であるスガラアナック湖を中心とした火山帯がある。インドネシア第二の活火山リンジャニ山(3726メートル)がそびえ、乾期には南麓にサバナが展開している。サバナ以外には山地、低地雨林などの植生もあり、生物多様性に富む。2018年にリンジャニ山を含むロンボク島はユネスコの世界ジオパークと生物圏保護区に指定された[4][3]。
島の中央は東西56キロメートル、南北25キロメートルの平野となっており、島の人口のほとんどがこの地域で生活している[2]。西ロンボクと呼ばれる水が豊富で肥沃な北東部では主に水田耕作が営まれている。東ロンボクと呼ばれ、歴史的にその属領であった南東部にはムスリムであるササク人が居住する。2つの地域の間にはジュリン(Juring)と呼ばれる深い森林帯がある。島の南部はマレシェ山(716メートル)をピークとする、標高300から400メートルの丘陵帯が東西に延びている。
歴史
紀元前6世紀ごろにロンボク島南部にバリやスンバと同系の人類が居住していたことが、考古学調査によって判明している[2]。9世紀から11世紀にかけて東ロンボクにインド・ビルマ系のササク人が移動し王国を築いた。ササク人の伝説では、マジャパヒト王国の王子ラデン・マスパヒトがバトゥ・バラン王国という国を建てたといわれ、この国がロンボクの別名であるスラパランと考えられている[2]。その後、13世紀にはジャワ人勢力がクダロ国を建てたといわれる。
マジャパヒト王国の叙事詩『ナーガラクルターガマ』によれば、マジャパヒト王国のジャワへの侵攻は1343年に行われ、翌年にはロンボク島に影響が及び、スラパランやクダロを隷下に収めた[2]。マジャパヒト王国崩壊後、ロンボク島は小王国が林立する状態となる。15世紀前半にロンボク島でイスラム教による最初の改宗運動が行われ、部分的な成功を収めた。
17世紀初頭にカランガスム王国がロンボク島にマタラムやチャクラヌガラなどの植民地を作り、影響力を強めていた。しかし、同時期にスンバワのマカッサル族が東ロンボクに進出し、ロンボク島は1849年のロンボク戦争終結まで、長期にわたる抗争の場となった[2]。
地震
人口
行政区分
- マタラム - 西ヌサ・トゥンガラ州の州都。
- 西ロンボク県
- 中部ロンボク県
- 東ロンボク県
- 北ロンボク県

