三雲南小路遺跡
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文政5年(1822年)2月、三苫清四郎が住宅の土塀を築こうと南小路の畠の土を取ろうとして偶然発見したという[3]。後の1974年(昭和49年)の再調査の時に「2号甕棺」が発見された。平成の学術調査で周溝をもつことが判明し、現在は「方形周溝墓で、甕棺を2器を添える様にして設置した墓」である、とされる。甕棺の形式は「立岩式古段階(弥生時代中期中頃)」の形状をもつ。西側の周溝に祭祀跡とみられる痕跡があり、東側の高祖山系の山並みとの関連性がうかがえる。これは後の時代の平原遺跡1号墓(平原弥生古墳)に通じるものであろう[4]。
最新の研究では、この三雲南小路遺跡と、春日市の須玖岡本遺跡の巨石下甕棺墓とは同一規模の構造を呈している可能性が示唆されている[5]。
