下飯田町 (名古屋市)
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字一覧
歴史
町名の由来
江戸期の春日井郡下飯田村を前身とする。中世まで山田郡に属した。かつては「下井田」とも書き、由来については諸説ある。片山天神社境内の杉をその近郷5ヶ村に分けた際にその杉の「下枝」を渡されたことによるという説、水が田から湧き出ているような土地であったことに由来する「井田」が転じたとする説などがある。『尾張徇行記』上飯田村条によれば、矢田川が天井川であるために伏流水が湧水する土地であったという[3]。江戸期には集落が東脇・西脇・前島の3つに分かれていた[4]。
地名は南北朝から確認でき、『天龍寺領目録』に「(尾張)国下飯田郷」とあり、山城天竜寺領であったらしい[4]。
行政区画の変遷
- 1880年(明治13年) - 西春日井郡成立により同郡下飯田村に所属[5]。
- 1889年(明治22年) - 六郷村大字下飯田となる[5]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 合併に伴い、六郷村大字下飯田を名古屋市東区下飯田町と改称[1]。
- 1932年(昭和7年)9月1日 - 以下の通り、周辺との境界変更を行う[1][6]。
- 字下垣戸・寺西・東猿投・南出・南原・仲田・郷添・仲ノ川の各一部を若葉通1~5丁目に編入。
- 字寺西・郷添・南出・五幡田・下流・下ノ町・流の各一部を瑠璃光町1~5丁目に編入。
- 字下流・流の各一部を真畔町に編入。
- 字仲田・東原・仲ノ川の各一部を報徳町に編入。
- 字下ノ町・松本・畑得の各一部を織部町に編入。
- 字下ノ町・流の各一部を尾上町に編入。
- 字仲ノ川・郷添・松本・堀ノ内・畑得の各一部を御成通1~4丁目に編入。
- 字南出・東生駒・塩又木・南原・桃ノ木・薬師裏の各一部を芦辺町1~3丁目に編入。
- 字下垣戸・東猿投・五幡田・寺西の各一部を垣戸町1~3丁目に編入。
- 字南原・仲田・薬師裏・西向田の各一部を彩紅橋通1~2丁目に編入。
- 字下流・五幡田・下垣戸・東猿投の各一部を木津根町に編入。
- 字東原・仲ノ川・藤方志の各一部を指金町に編入。
- 字寺西・南出・東生駒・下三反田の各一部を紅雲町に編入。
- 字下流・五幡田の各一部を龍ノ口町に編入。
- 字五幡田・下垣戸の各一部を憧旛町1~3丁目に編入。
- 字仲ノ川・松本・堀ノ内・藤方志・中浦の各一部を八龍町に編入。
- 字仲田・東原・西向田の各一部を古径町に編入。
- 字仲田・仲ノ川・東原・西向田・東向田・藤方志の各一部を平安通1~4丁目に編入。
- 1938年(昭和13年)6月1日 - 以下の通り、境界変更等を行った[6]。
- 字郷添の大部分を1~4丁目とした。
- 字郷添・南原の各一部を若葉通4~5丁目に編入。
- 字寺西の残部全部を瑠璃光町1丁目に編入。
- 字南原の残部全部を芦辺町2丁目に編入。
- 字仲田の残部全部を平安通1丁目に編入。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 字下通り・辻町字下ノ通・狐向の各全部を下飯田町字狐向とした[6]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 北区成立に伴い同区に編入。
- 1949年(昭和24年)7月1日 - 字狐向の一部を辻本通1~4丁目に編入[6]。
- 1956年(昭和31年)8月5日 - 字堀ノ内の一部を御成通4丁目に編入[6]。また、字宮前・堀ノ内の各一部を八龍町に編入[6]。
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 6]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 7]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|
| 全域 | 名古屋市立名北小学校 | 名古屋市立若葉中学校 | 尾張学区 |
