中野勇治郎
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京都府北桑田郡生まれ[4]。中野半右衛門(或は中野平右衛門[5])の長男[6]。少時京都に出て漢籍を修め、経史百家の書を耽読する傍ら法律を研究し、18歳の時普通文官試験に合格[4]。
明治33年(1900年)星亨を慕って上京[4]。 日本法律学校、東京法学院に学んで在学一年半にして業を終り[4]、明治34年(1901年)判検事登用試験及弁護士試験に合格し司法官試補検事代理を命ぜられ後弁護士となる[6]。東京弁護士会副会長に推され、東京府教育会評議員会議長に当選し同会副会長を務めた[6]。
本所区会議長、東京府会議員、同参事会員、同副議長、同議長等に挙げられ、警視庁防疫評議員、特別都市計画委員会委員にも就任した[6]。
1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙(東京府第4区)に出馬し、当選を果たした。

