朝倉虎治郎
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愛知県碧海郡旭村(現・碧南市)に杉浦家の二男として生まれた[11][注 2]。小学校を5年で中退した[12]。東京深川木場の材木店で働いた[12]。
1897年に朝倉たきの入婿となり[13]、1899年に家督を相続した[14]。三田用水の朝倉水車業を手伝う[1]。精米業を営み[15][16]、「丸朝商店」と称した[10][13]。
1904年、養父・徳次郎の後を継いで、渋谷村会(のち渋谷町会)議員に推挙された[12]。家業の傍ら自治の仕事に携わった[12]。この間、朝倉米店は「虎治郎商店」と名前を変えた[12]。1915年、東京府会議員に選出され、家業一切から手を引き、家業は実弟の朝倉八郎に任せた[12]。
東京府会郡部会議長、同府会議長、渋谷区会議長等を歴任した[9][14][15]。東横乗合自動車、中央酒造、北海道証券交換所各監査役等をつとめた[5][6]。
人物
栄典
家族・親族
- 朝倉家

朝倉家は徳次郎の代に米穀問屋を始めた[11]。
- 養父・徳次郎(1841年 - ?、農民、地主、米屋、政治家・渋谷村会議員[12]、水車業[18])
- 妻・たき(1872年 - ?、東京、朝倉徳次郎の三女[10]、愛国婦人会渋谷支部幹事[19])
- 養妹
- 養子・誠一郎(1904年 - ?、愛知、杉浦きやうの孫[10]、朝倉八郎の長男[14]、1908年、伯父・朝倉虎治郎の養子となる[14]、1929年に慶應義塾大学経済学部卒業[20]、朝倉精米所取締役[14]、供託社会計主任[4][20])
- 弟・八郎(1885年 - 1950年、愛知県碧海郡旭村・杉浦太市の八男で、朝倉徳次郎の養子[14]、1908年に家督を相続[14]、趣味は書画、旅行[11]、宗教は日蓮宗[11]、米穀商[11]、東洋青物市場会社員、地主、家主[14])
- 親戚
- 馬島渡(北海道拓殖銀行取締役)[21]