元号法制化実現国民会議

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設立 1978年7月18日
設立者 元号問題研究会
解散 1981年10月27日
元号法制化実現国民会議
元号法制化実現国民会議
後継 日本を守る国民会議
設立 1978年7月18日
設立者 元号問題研究会
解散 1981年10月27日
目的 元号の法制化
重要人物 副島廣之準備委員長,初代議長:石田和外,運営委員長:末次一郎,代表委員:天池清次
関連組織 自由民主党公明党民社党新自由クラブ[1]元号法制化促進国会議員連盟
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元号法制化実現国民会議(げんごうほうせいかじつげんこくみんかいぎ)は、日本の政治団体。1978年7月18日の結成会には元号法制化促進国会議員連盟会長、各自治体、自由民主党・公明党・民社党・新自由クラブの代表が出席した[2][3]。宗教団体(神社本庁神道政治連盟生長の家日本青年協議会[4]等)、旧軍・自衛隊関係団体(郷友連盟・軍恩連盟・遺族会・防衛協会・隊友会)、反憲学連などの新日本協議会傘下の右翼諸団体、旧統一教会関連団体「国際勝共連合」などが結集、元号に対する世論を盛り上げ、元号法制定を日本政府に求め[5][6][7][8]、初代議長石田和外逝去翌月の1979年6月6日第87回国会で元号法は成立、同月12日に公布・即日施行され、その目的を達成した。

後継団体に日本を守る国民会議日本会議がある[9][10]

GHQは元号の法制化を拒否[11]1947年1月15日に公布された新皇室典範から元号は削除され慣習となった[12]。1950年、参議院文部委員長、田中耕太郎山本有三らが西暦一本化と元号廃止を目指した[12]1975年3月、三木内閣は元号存続を告示する方針を示し[13]、7月28日、10年ぶりに元号の公式制度調査会議が開催され、政府は本格的検討に入った[12]1976年10月28日、総理府総務長官の西村尚治議員は参議院内閣委員会で元号制度を内閣告示で存続すると発言した[12][14]

1976年11月8日、家永三郎和田森太郎等34名を呼びかけ人として、歴史学研究会歴史科学協議会並びにその参加学会、日本史研究会歴史教育者協議会が中心となって3千人を超える歴史研究者・歴史教育者の連名による署名を集めた「元号制度の存続に反対する声明」を発表[15]1977年1月27日、日本社会党は元号を昭和限りとし、それ以降は西暦のみにすると党議決定した[12]。自由民主党、民社党、新自由クラブは元号法制化賛成、公明党は天皇中心主義に逆戻りしないという条件付きで賛成した。日本社会党は西暦への一本化、社会民主連合は元号の存続に反対、日本共産党は元号の法制化には反対、慣習的使用には反対ではなかった[16]。世論は、元号制度は「あったほうがよい」が56.8%、「どちらかといえばあった方がよい」は18.9%、「どちらかといえば廃止した方がよい」と「廃止した方がよい」を併せると5.8%であった(1976年総理府調査)[16]

沿革

1977年2月に総理大臣福田赳夫の「元号法制化もありうる」という発言がきっかけで、この月から前述の右翼勢力が「大衆的な運動」を開始し[17]、同年5月、元号法制化要求中央国民大会(会長は国際勝共連合代表世話人の宇野精一東京大学名誉教授[18])を開催して、全国的な結集が展開しだしたと宮地正人はいう[17]

同年12月に熊本県で「元号法制化要求熊本県民大会」が開催され、法制化要求が決議された[17]。この大会の事務局を担当したのは、生長の家政治連合熊本県委員会だった[17][8]。加盟団体は熊本県神社庁、熊本県防衛協会、熊本県隊友会、熊本県遺族連合会、熊本県傷痍軍人会、熊本県軍恩連盟、熊本県海洋会、熊本県軍人恩友会、熊本県偕行会、熊本県郷友連合会、熊本県護国神社崇敬会、教育を憂うる千人委員会、不二歌道会、神道政治連盟、勝共連合、生長の家政治連合熊本委員会であったが、12月1日付の「御案内」では勝共連合の記載は無かったという[17][8]。大会の司会は神道政治連盟の行藤輝臣生長の家青年会の山本次吉が行い、参議院議員の細川護熙自民党元号問題小委員会委員が記念講演を行なった[8]

1978年5月3日、「元号法制化実現国民大会」が開催され、国会議員の源田実志村愛子竹内潔谷川寛三玉沢徳一郎、西村尚治、藤井裕久石本茂塚田徹佐藤文生下条進一郎野田穀山崎拓玉生孝久森清武藤嘉文辻英雄、小倉弘、中曽根康弘中村弘海岩上二郎菅野儀作愛知和男後藤正夫望月邦夫有馬元治渡辺一太郎(元議員)(以上、自民党)、受田新吉和田耕作(以上、民社党)、西岡武夫大原一三(以上、新自由クラブ)が参加した[19][17]。5月15日、超党派の元号問題研究会準備会開催、西村尚治、鯨岡兵輔玉置和郎村田敬次郎(以上、自民党)、塚本三郎、受田新吉、向井長年(以上、民社党)、西岡武夫、有田一寿(以上、新自由クラブ)が出席した。5月18日、元号問題研究会と文化人・団体との朝食会で、議員側から超党派議員連盟構想、民間団体側からは団体・学者・文化人を結集した「国民会議」結成構想が公式に打ち出された[20]

同年6月14日、自民党民社党新自由クラブ・所属議員並びに無所属議員411名により「元号法制化促進国会議員連盟」が発足、四党代表挨拶の後、結成準備が進められていた元号法制化実現国民会議の代表として宮城まり子副島廣之準備委員長が祝辞を述べた[21]。会長には自民党元号問題小委員会委員長の西村尚治議員が就任した。公明党はオブザーバーとして参加した[22][23][24]。顧問は前尾繁三郎、中曽根康弘、町村金吾河野謙三佐々木良作、塚本三郎、春日一幸河野洋平、西岡武夫、副会長は鯨岡兵輔、玉置和郎、受田新吉、向井長年、山口敏夫、有田一寿、事務局長は中野寛成[25]

同年7月18日、元号法制化実現国民会議結成[16][26]、赤坂プリンスホテルで結成式が開催され[2][8][27]、123名の国会議員も出席した。自民党の中曽根康弘は元号法制化を党議決定したと報告、公明党石田幸四郎副議長、塚本三郎民社党書記長、西岡武夫新自由クラブ幹事長、西村尚治元号法制化促進国会議員連盟会長が挨拶した[28]。石田和外が議長に選任され、石田はそれを承諾した[29]

同年10月3日、武道館に2万5千人を動員して「元号法制化実現総決起国民大会」を開催した[30]。国会議員354名が出席した。福田赳夫内閣総理大臣が「政府はこのような元号制度を将来も存続させるべきものであると考えております」とのメッセージを送り、内閣官房長官森喜朗が代読した[31]高橋史朗は壇上で、学生服姿で大会決議文を読み上げた[32]

1978年8月に「元号法制化全国縦断キャラバン」を行い、民社党を軸に公明党などの協力を得て県民会議を結成する活動を各地で行った[33]。この運動は右翼系によって組織されたもので、この頃の右翼運動にみられた特徴的動向として、右翼が元号の問題を「昭和維新への布石」として重視している点を警察庁はあげている[34]朝日新聞によれば、元号法制化実現国民会議結成に至る背景には、生長の家神社本庁など宗教団体の働きかけ、地方議会における決議や請願があった[35]日本協議会の『祖国と青年』はこの朝日新聞記事を紹介し、「かなり正確・公平に報道している」と評価した[36][37]

1979年5月9日、初代会長石田和外が逝去。同年6月6日第87回国会で元号法成立、同月12日に公布・即日施行され、会の目的は達成された。

1981年10月、元号法制化実現国民会議を改組し、「日本を守る国民会議」が設立された[10]

1997年5月30日、「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」は統合し、「日本会議」となった[38][9]

主要人物

呼び掛け人は以下。

議長:石田和外[40]、運営委員長:末次一郎(日本健青会[44][41]、事務総長:副島広之(日本を守る会)[41]、事務局長:椛島有三(日本青年協議会)[33]、代表委員100名[41](黛敏郎、天池清次他)[45][41]

中島三千男によれば、当時の主要人物が英霊にこたえる会日本を守る会と重なっていた一方、同盟会長天池氏が代表委員に入ったように、より広範な参加もあった[41]

主張

批判

出典

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