細川隆元
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中学濟々黌、旧制第五高等学校大学予科[2](現熊本大学)を経て1923年、東京帝国大学法学部を卒業[3]、同年朝日新聞社に入社する[1]。記者を務め1936年政治部長、1940年ニューヨーク支局長、1944年編集局長[4]。
1947年朝日新聞社に在籍したまま熊本県知事選に出馬するも落選した[5]。同年、朝日新聞を退社して日本国憲法成立直後の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党から熊本2区から出馬して初当選[6]、衆議院議員を1期務めた[7]。
その後、政治評論家に転身し1957年から始まったTBSの『時事放談』で小汀利得(後に藤原弘達)とホストを務めた。歯に衣着せない毒舌で影響力を誇り、番組においては総理大臣に対しても「君」付けで呼び、特に保守本流の立場での言動が目立った。ビートルズ来日の際には日本武道館を会場とすることに対して、小汀とともに、ファンの少年少女を批判する言論を張り、彼らを「コジキ芸人」と罵倒した。
1967年東京都知事選挙では、松下正寿を支持した。
名前の「隆元」の本当の読み方はタカチカだが、1947年に初めて選挙に出たときに、友人からの勧めでタカモトとした。しかし、その後、衆院議員の保利茂の家へ電話をかけた際、「細川タカモト」と名乗るも、保利は彼の名前をリュウゲンだと思い込んでおり、すぐに気づいてもらえなかった。これをきっかけにリュウゲンを名乗ることにし、マスコミへもその旨を葉書で伝えたという[8]。
1994年12月19日、脳梗塞のため94歳で死去。
著書
- 『昭和人物史――政治と人脈』(文藝春秋新社, 1956年)
- 『大狸小狸』(信友社,1957年)
- 『実録朝日新聞』(中央公論社,1958年)
- 『田中義一 三代宰相列伝』(時事通信社,1958年、新版1985年)
- 『現代の政治家 政界のホープ五十人』(雪華社,1960年)
- 『朝日新聞外史 騒動の内幕』(秋田書店,1965年)
- 『戦後日本をダメにした学者・文化人』(山手書房,1978年)
- 『隆元のはだか交友録――時事放談こぼれ話』(山手書房,1978年、改訂版1983年)
- 『隆元のわが宰相論――戦後歴代総理の政治を語る』(山手書房,1978年)
- 『男でござる――暴れん坊一代記』風の巻、龍の巻(山手書房,1981年)
- 『天皇陛下と語る』(山手書房,1982年)
- 『隆元の一九八四年 心残りで死にきれん』(山手書房,1984年)
共著
- 『時事放談「四人組」の大放談』藤原弘達、土屋清、加藤寛共著(山手書房,1979年)
- 『隆元・弘達の実録「時事放談」うらおもて』藤原弘達との対談(山手書房, 1979年)
- 『対話こそ人生だ――隆元さわやか対談集』(山手書房, 1980年)
- 『生存か滅亡か 岐路に立つ日本』藤原弘達、土屋清、加藤寛共著(山手書房,1981年)
- 『世相は踊る 時事巷談 黙っていては悪がはびこる』斎藤栄三郎共著(通産新報社出版局,1981年)
- 『黙っておれるか』竹村健一共著(山手書房,1981年)
- 『隆元・先端技術に挑む―牧野昇がすべてに答える』牧野昇との対談(山手書房,1983年、集英社文庫,1985年)
- 『耐えてこそ勝つ 人を活かし企業を活かす』坪内寿夫共著(山手書房,1984年)
- 『ちょっと待て先端技術―21世紀、人間は幸福になれるのか』牧野昇との対談(山手書房,1984年、集英社文庫,1985年)