八事天道
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歴史
町名の由来
天白町大字八事の小字名「天道」による[3]。字名の天道は高照寺の山号に由来する[3]。
『愛知縣郡町村字名調』(1882年)や『愛知郡誌』(1923年)には八事の小字として「天道」の記載はなく、八事の小字名として「天道」が使用されるのは大正期以降である。
八事山の春遊
天白区の歴史(愛知県郷土資料刊行会)によると、「天道山高照寺の南門を出たあたりからの山から裏山の善光寺一面にかけて、つつじの花の咲くころともなれば、名古屋人が酒肴を携えて春遊を楽しんだものである。谷合いに池もあって、ボートを楽しむ若者も見られる。家の子郎党をつれて、緋の敷物の上で盃を傾けながら歌や踊りを楽しむ人もある。また山々は弘法大師もあちこちに祀られていたので、弘法巡りをする老人の姿もあった。」[4]。
明治初期の様子
1890年(明治23年)発行の「尾張名所図絵」の中で、「天道山は八事村に在り。名古屋市の東方一里ばかり距つ、山上平坦砥の如くにして閑雅高邁の勝地なり、殊に山上より南方を眺望する時は尾三勢志の海面と山嶽とを両眸のうちに収むるありて、大いに心情の爽快なるを覚えしむ。之を以て春日の候に至れば、遊山此の山に蒐集し、絃哥山上に沸き、舞踊厚地を動かし頗る賑やかなり」と記されている。[5]。
名古屋市の東部郊外に広がる八事山、天道山、音聞山、川名山などの八事丘陵一帯は、江戸から昭和初期にかけて、名古屋人の「山遊び」の行楽先としてたいへんに賑わった場所であった。[要出典]
尾張電気軌道の開通

1912年(明治45年)4月21日、尾張電気軌道が山遊びや参詣客を目当てに、千早(千種区)~興正寺前(昭和区)間で暫定開通したが、1912年(大正元年)9月19日には八事天道(天白区)までの延伸工事を終える[6]。
電停「八事天道」は、現在の「八事交差点」附近にあり、「八事天道」という地名は近くの「天道山高照寺」の山号からきていて、八事交差点から南に少し下ると天道山高照寺の門前に至る。[要出典]
現在、八事交差点付近のコンビニの角に、天道山高照寺の「天道山大門」という石標が建っている。この石標の建立が大正元年と刻まれており、尾張電気軌道延伸に合わせ、天道山高照寺への道標として建てられたものと推察される。[要出典]
行政区画の変遷
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 11]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|
| 全域 | 名古屋市立表山小学校 | 名古屋市立御幸山中学校 | 尾張学区 |
